2001年12月4日
衆議院 総務委員会 参考人 陳述要旨

分権損なう地方自治法改正案

福井秀夫
政策研究大学院大学教授


 地方分権の本旨は、権限・財源を地方へ委譲して、きめ細かい住民サービスと地域の自律的発展を促すことにあり、首長等自治体の幹部は以前に増して倫理的・法的責任が求められる。逆に、責任を軽くするのでは、強大化する権力の歯止めがなくなり、腐敗と住民無視が助長されかねない。

 地方自治法に基づく住民訴訟は、談合や不正経理など自治体の財政上の違法を是正するうえで大きな役割を果たしてきた。最近五年間でも原告勝訴や和解などの比率は住民訴訟全体の10 %を上回り、一部で言われるような乱訴とは程遠い。

 94年度から98年度にかけて提起された住民訴訟件数が増えたといわれるが、89件が261件になったにすぎない。自治体総数3300、自治体の歳出純計98兆4590億円という巨大な部門での総計である。4000億円近くの公金について一件しか起こらない訴訟をとらえて市長等の負担が重すぎるという議論は果たして広い支持が得られるものだろうか。

 ところが、現在国会で継続審議中の地方自治法改正案では、住民訴訟にあたっては、個人としての首長等ではなく機関としての首長等を被告としなければならなくなる。首長等の応訴の負担を軽減することで、業務を遂行する際、過度に慎重になり事なかれ主義に陥るのを避ける目的があるという。

 また、被告が敗訴しても、損害賠償させるためには、代表監査委員が個人としての首長等を相手に新たに提訴しなければならない。自治体に損害を与えた民間業者を被告として訴えることも禁じられる。

 改正法案は分権を損なうものであり、慎重な検討が必要だ。

 第一に、住民訴訟は首長等が住民全体に損失を与えた事実に基づいており、原告の住民は、自治体の利益を代弁する代理人としての立場に立つ。その意昧で、本来被害者同士である住民と自治体の関係をあえて敵対関係の構図に置き換えるのは、奇妙である。被害者である自治体も、訴えられれば、理由のいかんを問わず自己を正当化するのは公的機関の宿命でもある。

 私自身建設省職員として成田空港訴訟、長良川水害訴訟はじめ行政側被告代理人を多数務めたが、被告代理人の職責は、原告の訴えにいかに理由がないか、ということを不利な証拠をあえては提出しないことも含めて徹底的に主張することである。しかも、行政庁の負担はすべての納税者によりまかなわれているから、裁判の長期化にはいっさい痛ようがない。仮に違法が存在してもそれが法廷で発見される確率はきわめて小さくならざるをえない。

 住民訴訟と類似する私企業の株主代表訴訟で、加害者(取締役等)の負担軽減を目的に、被害者同士(会杜と株主)を争わせるのが適切だ、などという議論はない。

 住民・株主から業務を任された首長・取締役の責任は、組織ではなく、個人としてのものである。巷で政策判断について個人で裁判を受けるのはおかしいという議論もあるが、住民訴訟は、管理を委ねられた従業員たる市長等が起こした個人的不始末の責任を追及するものであり、だからこそ改正案でも究極の賠償主体は市長等個人とされている。今までにも政策判断固有の是非を問われて賠償を命じられた例は皆無である。しかも、自治体の場合、首長等の報酬は、住民から強制徴収した税金で賄われる。民間役員よりも首長等の責任が軽いという理屈はない。

 住民訴訟の改正の方向には大きく、・首長等個人が被告となっている現行の枠組みは変えずに、まじめに職務を遂行する首長等の負担が過重とならによう措置するという改正の方向と、・首長等個人としての応訴負担を一切発生させないようにするため、被告をそもそも機関としての首長等に切り替えてしまうという改正の方向の二つがある。


(被告を変更する方向について)

メリットしては首長等が一切訴訟事務から解放されるために、わずらわしい手間がなくなるという点が挙げられる。デメリットとしてはいかなる個人不祥事であったとしてもすべて自治体の組織を挙げて個人としての首長等をかばう攻撃防御を行うことになってしまうという点がある。

 民事訴訟法上も行政事件訴訟上も被告は、自己に有利な証拠や資料を相手方に開示する法的義務は一切存在しない。存在している資料について「存在していない」と証言するようなことがあれば偽証罪に問われるだけである。

 また、証拠や文章については、およそ真実を明らかにする上でどのような証拠が存在しているのかは、行政庁の内部職員以外は知りえない立場にある。もし、具体的な証拠や文書を原告側が特定できているならば、文書提出命令当によってこれを法廷の場に提出させることは当然可能であるが、問題はそもそもそのような場面で発生するのではない。いかなる証拠や文書がその事件に関連して存在しているのかすらわからないことが多いのである。自治体との関係で原告に敵対する被告という位置付けを与えられてしまうならば、訴訟法上想定されるように、被告側から自己に不利な主張、すなわち原告側に有利な資料が提出される可能性は極めて小さくなる。違法の要件などが実態的に変更がないとしても、攻撃防御の観点から自治体が被告に変更となることは実質的に真実の究明を妨げる効果を確実に持つことになる。

 このような弊害を残したままでこれまでにも多く解明されてきている違法支出について、これまでどおりの是正がなされると期待するということはきわめて困難である。被告を変更することを前提とする以上、腐敗防止に寄与してきた住民訴訟の実を維持することは不可能になると恐れが強い。

 第二に、改正案では、首長等は、弁護士費用をはじめ訴訟に関する金銭・労力的な負担を、すべて自治体、すなわち住民に負わせて最高裁まで争うことができるようになる。これでは、加害者が被害者の負担で我が身を守ることになる。一方、原告の住民は手弁当のため、両者はおよそ対等性を欠く。

 第三に、勝訴した場合、首長等の弁護士費用は個人負担とならないよう現行法でも措置されている。自らに恥じるところのない首長等が恐れることは何もない。本人死亡の場合、遺族が困っているなど特異な事例を、法改正の理由に挙げる向きもあるが、それなら賠償責任保険や賠償限度額の導入などを講じればいい。今般の改正案が実現しても、遺族の賠償負担は何ら異ならない。

 第四に、住民の貴重な財産を回復する機会や権利を、実質的に制限する機能をもつ。これは規制改革や司法改革の流れにも逆行する。

 改正によって利益を受けるのは、無尽蔵の訴訟資源を私益のために投入できる、違法支出に覚えのある首長等である。

 首長等は、現在でも政策判断の是非で責任を間われることはない。過大な負担が間題だというなら、住民訴訟の対象に政策判断が含まれないことを確認する規定を置くのが筋である。

 第五に、誠実に職務を遂行する市長等に配慮するより適切な対案を提示する。


(具体的法改正事項)

 地方自治法を主に想定した法改正事項は次のとおりである。


T 原告取下げの場合の首長等に対する弁護士費用負担制度の導入

 現在は首長等が勝訴したときにのみ弁護士費用が自治体から支出されるが、原告が一方的に訴訟を取下げた場合についても被告側が黒であると確定したわけでないから、このような場合についてまで個人に弁護士費用を負担させるのは酷であると考えられる。したがって、被告の違法是正措置を伴わない原告の訴訟取下げの場合については弁護士費用は自治体負担とすることが妥当である。


U 賠償限度額の設定

 現在は、財務会計上の違法支出があると認定された場合には、それによって生じた自治体の損失はいかに巨額になろうとも全額賠償を命じられる建前となっている。しかし、軽過失のものも含めこのような巨額な賠償を背負うこととなるのは当人に酷であることから、故意又は重過失の責任についてはこれまでどおり全額賠償とするものの、善意で軽過失の首長等については、原因となった行為を行ったときの年収の4〜6倍以内の賠償限度額を法的に導入することとする。なお、現在も会計担当職員の賠償義務は、故意又は重過失のあるときのみ発生する(243条の2)。

 6倍の根拠は、通常住宅取得価額の年収に対する限度倍率が約5倍と言われていることから、それよりも若干の高い倍率を、軽過失とはいえ損害を発生させた首長等に対して命じることとすることは、国民感情にもそぐうものと考えられるからである。

 ただし、首長等に違法支出の利益が存する場合にはこれを全額返還させるものとする。

 また、談合企業など第三者に利得させた場合には、この第三者はその利得についていかなる場合においても全額賠償義務を負うこととする。


V 自治体の情報提供義務の創設

 自治体による訴訟参加の有無を問わず、自治体は当該論点に関する証拠や文書を裁判所に提出する実体上の義務を負うこととする法改正を行うべきである。

 むろん、このような実体上の義務が導入されたとしても、その取捨選択の第一次判断権者が依然として自治体である以上、これにのみによって証拠提出が完全に図られる考えることはできず、あくまでも補助的手段にすぎないことに留意すべきである。


W 政策判断を争うことは不適法であることを条文に明記

ア 公共施設の立地選定いかんによって、事業費の多寡が生じるケースで、仮に高い事業費の立地を選定したとしても、それに対応した政策的に正当な理由がある場合

イ 赤字の事業に対する補助金の支出、当該事業の継続又は当該事業の中止などについては、それを正当化する政策的に正当な理由がある場合

ウ 当該自治体以外の法的主体で、当該自治体に対する指揮監督権を有する組織等により実施を義務付けられている事業について財政上赤字が発生している場合

エ その他、財務会計上の違法に該当しない政策的な判断を争うものについては、訴えそのものが不適法であることを条文に明記することとする。


(法改正以外の措置)

T 損害賠償責任保険制度の支援

 総務省・自治体が首長等に対する民間保険加入を奨励する。

U 知事会・市町村町会等による共済制度

 賠償責任についての共済制度を関係機関により導入する。

V 住民訴訟自治体協議会

 自治体間の情報交換、連絡等により、違法の発生を未然に防止するため、住民訴訟自治体協議会を当事者が設立するとともに、総務省がこれに協力する。


 国会におかれては、法治国家の最高機関としての見識に照らし、まずは改正案を再検証して、良識にかなう措置をとられるようお願いする。