東京湾原油流出事故へのコメント青山貞一 |
東京湾原油流出事故へのコメント東京湾 夏季下げ潮時の流況分布東京湾上空からの現地調査報告(概要)東京湾原油流出事故の防除作業現場から(石井
純一)参考
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タンカーだけで1日100隻以上、その他を含め600〜700隻
トラフィックを考慮すると毎日が綱渡り状況にある
6時間単位で上げ潮、下げ潮を繰り返すが、東京湾のような閉鎖性水域、内湾では、その潮流と風の応力により油がどう点から面に拡散するかについてのリアルタイム対応が必要
東京湾については、膨大な潮の流れについてのシミュレーションデータが蓄積されているが、こと油の流れについては、油の性状と移送風(風)の影響を考慮した流れの予測がポイントとなる。
今回も気象条件が重要:夏場に卓越する風向(南風系)、風速大気安定度の把握、昨日は南西で風速は10〜12m/s。これが、揮発分が多い今回の流出源油が大気汚染としての拡散する際の重要な要因となる。
昨日の現地情報では、江戸川区などで高濃度(悪臭)が確認されているが、その途中の港区(お台場等)ではほとんど臭いが確認されていない。JALホテル、フジテレビ職員への聞き込み
油回収船の清龍丸は名古屋港におり東京港まで移動している(諸元:3,526t、処理能力 500t/時間)。
内湾でのポイントは、できるだけポイントソース(点発生源)のうちに、高能力の回収船をいち早く直行させ、一気に回収することが影響、費用対効果などすべての面で重要となる。
東京湾の海洋地形、気象(風向、風速)、潮流などの科学的前提、条件を考慮した原油拡散の流況分析情報提供が重要。
水島事故、ナホトカ号事故などの経験がどれだけ生かされているかがポイント
対策会議を招集し、議論しているうちに油は点から面に拡散する
運輸省は昨日午後2時に非常災害対策本部を設置しているが、48時間、とくの最初の24時間が重要なことを考えると、対策本部は事故直後に設置すべき
省庁連絡会議を行っているうちにすぐに半日、1日がたってしまい、対策を具体的に考慮した初動体制に遅れをとってしまう
高能力の油回収船が名古屋港から東京港に向かうと言う現実が今回の最大の課題か?
海上保安庁(第3管区)の巡視船による巡視体制は早かったし、ヘリでの巡視も早かったが、それをどうオイルフェンス設置など具体的な現場対応に結びつけるかが課題
海上保安庁が東京湾の夏場の強風を考慮した潮の流れの予測をリアルタイムでしていたかが大きなポイントである
今回のひとつのポイントは、油の性状からして事故後、初期段階に油全体の過半(50%以上)が揮発する、つまり有害化学物質を含む大気汚染として周辺地域に拡散していることである。
揮発成分は、事故直後から南西、風速10〜12m/sの強風で北東、つまり横浜市本牧沖のポイントソース(点煙源)から江戸川、市川市などに相当の高濃度で到達している。
今回、環境庁、関連自治体が直後に警報を出したかどうかは不明だが、健康影響の観点からも気象条件を考慮した警報をだすべきであろう。
原油の性状を考慮した東京湾水質への影響を緊急緊急モニタリングし、時間経過に伴う水質データを公表すべきであろう。
東京湾については、経年、経月データが定点であるはずなので事故直後からそれらの点で環境モニタリングする必要がある。長期的には、自治体等の常時モニタリングと連動させる。
運輸省、海上保安庁などによる中和剤などの使用がある海域ではその環境影響を政府内の第三者機関として調査すべきである。
野鳥、水生生物への影響調査をNGOなどとタイアップして行い、そっこく行い公表するべきであろう。三番瀬はじめ東京湾に残された数少ない干潟や野鳥飛来地が汚染される可能性が高い。できればそれらの地域の地先にもオイルフェンスを設置すべきで ある。
海洋生物への影響は必至だと思われるので、水産庁、大学などの学術団体とタイアップし調査を行い公表すべきである。
県:事故対策本部 、政令市等:災害対策警戒本部 など本部を設置しているが、運輸省の対策本部、海上保安庁との情報交流、情報共有がどの程度図られているかが課題
環境問題との関連では、環境庁と関連自治体が健康影響の観点から気象条件を考慮した警報をだすことが課題。
県民、市民への影響に関する警告を出すことがポイントとなる。
今後、漂着した場合には、ボランティア活動に関連した健康管理が重要となる。
自衛隊の横須賀地方総監部に災害派遣要請があり、掃海艇を派遣
私見では、初動体制における運輸省、海上保安庁、自衛隊の役割分担を明確にすると言うこともあるが、逆に3者の間にアドホック部隊を緊急時、災害時を想定し設置し、上記の対策を24時間〜最大48時間で巡視船、巡視ヘリ、オイルフェンス、回収船の総動員システムを組むことがベストと考える。
平均して1.6−1.8ヶ月で大部分が入れ替わる?
上記は、今朝(7/3)朝時点でのコメントです。
1997/7/5現在
以下、参考資料(東京都環境保全局「臨海部広域環境予測調査報告書」、平成2年3月より)
(出典:東京都環境保全局「臨海部広域環境予測調査報告書」、平成2年3月)
第1層 | 第2層 |
(出典:東京都環境保全局「臨海部広域環境予測調査報告書」、平成2年3月)
第1層 | 第2層 |
青山貞一
環境総合研究所長
はじめに
1997年7月4日午後2時、東京湾原油流出状況の上空からの調査を終え、今しがた環境総合研究所にもどりました。詳細な報告は写真ができた時点で、ホームページに掲載する予定です。
今回のヘリコプターを使っての現地調査は、朝日新聞社の記者及びカメラマンに同行してのものですので、記者、カメラマンからそれぞれ報告、写真が近々紙上に掲載されます。貴重な調査機会を提供頂きました朝日新聞社に感謝致します。
1997年7月4日、午前7時30分、東京羽田空港一角にある運輸省航空局、海上保安庁の航空機格納庫の隣にある朝日新聞社用の格納庫に集合し、打ち合わせのを行い、午前8時すぎにパイロット、副パイロット、記者、カメラマンらと私の6名が大型ヘリで羽田空港を飛び立ちました。
飛行区域は、海上保安庁、警察、報道機関などのセスナ機、ヘリが数多く旋回飛行しており、東京管制塔(Tokyo Contorl Towerと言っていた)の航空管制の指揮下にありました。実際、飛行中の航空無線を聞くだけでも10機以上のセスナ機やヘリが同時に原油流出の拡散範囲のなかを飛行しており、緊張が高まります。
実際、この種の取材飛行機同士が接触する事故も過去あります。今回の飛行中にも管理地域と呼ばれる飛行制限地域に管制塔に無断で入ったヘリが管制塔からかなり厳しくおこられていました。ダイアモンドグレース(事故を起こしたタンカー)の上空はとくに管理区域のなかでも制限が加わりますが、数回旋回しました。
飛行コースは、管制塔との交信によって管理区域への出入りを協議しながらその都度決めますが、一応主要な飛行コースは、以下の通りです。
羽田空港 → 川崎市扇島沖 → 横浜市本牧沖 → 金沢八景沖 → 東京湾上空 → 木更津上空 → 君津市沿岸域 → 市原市南部 → 横浜市本牧沖 → 横浜市街 → 川崎市街 →羽田空港
全体の飛行時間は1時間30分です。
7月4日の午前中(8:00〜9:30)における朝日新聞ヘリで上空から目視で確認した流出原油の拡散範囲は、最南端は事故現場(中の瀬地域)、最北端は西は多摩川の河口、東は千葉県木更津沖3〜4Kmでした。次に、主要地点の状況を以下に示します。
原油の有無 | 漂着の有無 | 程度 | |||
1 まだらな油膜 |
2 1と3の中間 |
3 ギトギト状の 油膜 |
|||
羽田空港沖 | × | × | |||
多摩川河口 | ○ | ○? | ○ | ||
川崎市扇島沖 | ○ | − | ○ | ||
川崎市扇島沿岸 | ○ | ○ | ○ | ||
川崎市南部沖 | ○ | − | ○ | ||
川崎市南部沿岸 | ○ | ○ | ○ | ||
横浜市ベイブリッジ沖 | ○ | − | ○ | ||
横浜市ベイブリッジ沿岸 | ○ | ○? | ○ | ||
横浜市本牧沖 | ○ | − | ○ | ||
横浜市本牧沿岸 | ○ | ○ | ○ | ||
金沢八景沖 | × | × | |||
東京湾上空(横浜〜木更津) | ○ | − | ○〜 | ○ | |
木更津市沖 | ○ | − | ○ | ||
木更津市沿岸 | × | × | |||
富津市沖 | ○ | − | ○ | ||
富津市沿岸 | × | × | |||
君津市沿岸域 | × | × | |||
市原市南部 | × | × |
海上保安庁などによる7月2日から3日にかけての徹夜の原油回収作業により、4日午前中の東京湾の油膜は一部地域を除き相当程度回収され油が除去されていました。
東京湾の川崎市と木更津市を結ぶ東京湾横断道路の路線の一帯では、油膜の回収、処理剤の散布、さらに監視に関連した全体ではおそらく100隻大以上の数の船舶が停泊しており、さらに木更津沖には多数の漁船も停泊していました。
木更津沖には、自衛艦と巡視船が一定間隔で横一船に並んでおり、実に異様な光景でした。航行船舶を規制するためだと思いますが、目的が分かりませんでした。
横浜、川崎の沿岸では、海上保安庁の船舶によるいわゆる放水拡散、走行拡散が多数見れました。処理剤を散布している小型船舶も見えました。
油膜回収 | 監視 | 処理剤散布 | 走行拡散 | 放水拡散 | 隻数 | ||
清龍丸(高能力回収船) | ○ | 1 | |||||
自衛隊 | 自衛艦 | ○ | 10? | ||||
回収船? | ○? | ○? | 10? | ||||
海上保安庁 | 巡視船 | ○ | 数10 | ||||
回収船 | ○ | ○ | ○ | ○ | 数10 | ||
漁船 | ○? | ○? | 数10 |
いずれも概数
オイルフェンスについては、川崎市の扇島沖に曳航されたダイアモンドグレース号の周りに1重に輪のようにオイルフェンスを取りかこんだ以外は、上空から見るとせいぜい数100mの弧状に海上に設置したものばかりで、まったく設置による効果はないと思えるものばかりでした。
おそらく、当初(2日の段階で)とりあえず設置したが2日以外は、高波、波浪はなかったはずなので、2日に南西の風によって北側への拡散が早く、途中でそれ以上の設置をあきらめたのではないかと考えられます。このようなオイルフェンスの設置は、横浜沖だけでなく、木更津、富津沖にも見られました。 また、漁協などによる自分達の漁場を保全するためと思われるオイルフェンスの設置も見受けられましたが、ここでも数100mの弧状のもので、すでに油膜は回り込んでいました。ここでは小型の漁船が多数停泊し油膜を回収しているよでした。
なお、木更津、富津の沿岸では、かなりの量のオイルフェンスがいざ油膜が漂着したときに備えて用意しされていました。
私達の空からの視察は、7月4日の朝8:00〜9:30に行いました。すでに事故からまる2日(48時間)たっております。流出量が当初の15,000klから1,550kl?に下方修正されましたが、当初の1/10程度であったとしても、わずか2日で上述のように少しでも油膜が確認された範囲は、推定で250平方km程度に及んでいたことになります。
まず、東京湾は浅瀬(6m〜25m程度)の外洋に面する半閉鎖性水域であり、大潮時の干満差は2m程度の海域です。東京湾はちょうど人間の胃の様な形をしており、「なだしお号」事件で有名な浦賀水道がまさにフンモンとなっています。
海面上の油膜を動かす主要な力は、潮流と移送風(風)それに主要河川から流れ込む淡水の密度流によるものです。江戸川、多摩川、荒川、鶴見川、養老川などの主要河川の河口から東京湾に流れ込む淡水も恒流に影響を与えます。
ナホトカ号事件では、上記に加えて外洋の海流もありましたが、東京湾では太平洋の外洋の海流が湾内の流れに影響を直接影響を及ぼすことはまずないと考えられます。
ところで、事件当日から2日目にかけかくも大規模に原油が拡散したのは、2日における秒速10〜12m/sの南西の風の影響だと考えられます。油膜(原油)、油隗(重油)が海面上を流れる主要な要因は、上述の力なかでも移送風が強い場合には、これによる影響が短期的にはかなり支配的になることが知られいます。日本海重油流出時の油隗の流れはまさに冬場の強風、おおしけの影響によって沿岸域に到達したことが私達の当時にシミュレーションでも明らかになっています。
参考 環境総合研究所自主研究情報
日本海重油流出時のシミュレーション
ところで今回、2日目以降、油膜の拡散が初日ほど北及び東に進まなかった大きな理由は、初日は風速10〜12m/sの南西の強風が海面の上を吹いており、その移送風の応力により表面海流上の原油が北に急速に移動したが、2日目(7月3日)、3日目(7月4日)は、総じて風速が低く(3日は3〜4m/s)、さらに静穏(7月4日)となり北進及び東進の速度が急激に低下したと考えられます。
東京湾の場合の油膜の移動力は、潮流、密度流、移送風の応力の3つによって支配されますが、シミュレーションデータによれば、上げ潮時、下げ潮時ともに、浦賀水道付近で流速が最大(100-120cm/s)となり、湾奥部すなわち東京市街沿岸、千葉市街沿岸で最少(20cm/s以下)となっています。つまり、移送風によりいったん湾奥部に油膜が入ると出にくくなるわけですが、今回は、湾奥に入る前に風が静穏化したため、油膜は川崎〜木更津の線より南の範囲に移流、拡散がおさまったと言えます。
その間に回収作業が急速に進んだことから、全体としてまる3日でかなりの回収が実現したと言えます。
東京湾の恒流(大潮〜小潮間のそれぞれの地点の潮の中期的な流れ)はシミュレーションによれば、多摩川、江戸川、隅田川、荒川、鶴見川などの一級河川から東京湾への流入量も大きく(1日当たり約2万トン)、これが湾奥部の流況、流速に大きな影響を与えていると言えます。その結果恒流は、全体として湾奥から浦賀水道の側に向かっています。したがって、今後は、南系の強風がなけけば、残った油膜の多くは湾奥には向かわず、浦賀水道から外洋に流出するものと予測できます。
上空からの現地調査で感じた課題は、中和剤、凝固剤などの処理剤を大量に海中に投入していたことです。先程、在京のテレビ局のディレクターからの電話によると、当初、流出原油が15,000KLと発表され、それに対応した中和剤等の薬剤の準備(発注?)をしたとのことです。まさかそれらをすべて使用することはないと思いますが、横浜市の沿岸域を中心に膨大な量の中和剤が海洋散布されていました。
私見では、原油による海洋(微生物、生物など)への影響より使用薬剤による影響の方が大きくなるのではないかと思うほどです。
一方、今回の原油流出のうち過半(50〜60%)が早期段階で大気汚染となって大気中に放出されたと想定されます。実際、事故が起こった中ノ瀬(横浜市本牧沖)から30km近く離れた東京都江戸川区の小学校で学童に影響を及ぼすなど、風向、風速、大気安定度との関連でおそらく相当高濃度の大気汚染が局地を襲撃したと考えられます。
大部分の関心は、水質汚濁、海洋汚染に向けられていますが、私は、大気汚染となって移流、拡散するキシレン、トルエン、炭化水素などの有害化学物質についての影響、問題を環境庁はじめ関連自治体は、PRTRや緊急時の大気汚染モニタリング、警報、情報提供の問題として海上保安庁系とは別に真剣に考慮すべきだと考えます。
沢野さんが提供してくれました流出原油の原単位をもとに自分なりに計算してみました。前提としては、流出量の60%が早期段階で大気に揮発し拡散する。拡散面積は、フランスの衛星スポット2および朝日新聞のヘリコプターによる私達の現地視察などによる推定です。
なお、今回の原油の成分は揮発分が多く初期段階で60%程度が揮発蒸発し、大気汚染となってしまうとすれば、残りの成分については、水島コンビナートにおける重油流出事故における単位面積当たりの原単位を使っても大きな誤差はないと考えられます。そもそもここでの流出量の推定は超概算であります。
Aケース | 1) | 流出源油早期段階で大気汚染化率 | 60% |
2) | 最大拡散面積 | 20×16km | |
3) | 地域別の1km当たりの原油量 | 最大値として2km/1平方km |
Bケース | 1) | 流出源油早期段階で大気汚染化率 | 60% |
2) | 最大拡散面積 | 17×15km | |
3) | 地域別の1km当たりの原油量 | 最大値として1km/1平方km |
上記からは、流出原油量は765KL〜1600KLの範囲となります。実際は回収量の見積を考慮しなければならないので、Aケースに近くなると思います。政府の下方修正値である1550KLもこれを見るとあながちおかしくないかも知れません。
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