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1 はじめに戦後の米ソを基軸とした冷戦構造がほぼ終結し,地球環境の保全が全世界的に叫ばれるさなか,1991年1月17日に勃発した湾岸戦争は,歴史上類例のない大規模な環境破壊をもたらすことになった.まさに,戦争こそが最大の環境破壊であることを立証したといってよいだろう. 湾岸戦争が我々にもたらした最大の教訓は,「人間や国家あっての地球」から「地球環境あっての人間杜会」へのパラダイムの一大転換の必要性である.また,戦争のような政治軍事的な原因による環境破壊に対する第三者的調査,研究の必要性も強く実感させられた. ところで,1990年11月,環境総合研究所(ERI)はアメリカを中心とした多国籍軍とイラクとの間での戦争(湾岸戦争と略す)を想定し,戦争行為及びそれに付随して起きる可能性がきわめて高い大規模な油井の炎上による地域的,地球規模での環境影響を予測,評価するため自主研究を開始した. 研究目的は,まず第一に湾岸戦争に関連して生ずる大気汚染や水質汚濁の湾岸沿岸住民への健康影響,周辺各国への酸性雨などの生態系影響,さらに地球温暖化,オゾン層破壊など地球環境への影響を定量的に予測,評価することにあった.第二の目的は湾岸戦争による環境破壊がここ数年来,各国が進めてきた地球環境保全努力をどの程度相殺するかを評価することにあった.第三は環境影響の実態をシミュレーションや現地実態調査により把握し,関連機関に情報提供することで,国連機関はじめ各国政府がとるべき対策を明らかにすることにあった. 本小論では,1991年1月〜6月に実施した自主研究のうち,大気汚染に関連する部分についてその概要を時系列的に述べる.詳細については「湾岸戦争の地球環境への影響」報告書を作成中である.
2 シナリオの想定と汚染負荷量の推計
4 気温低下の予測第4次報告では,油井炎上による地表から成層圏へのエアロゾル排出の増加にともなう気温へ影響の概括的なシミュレーションを試みた. 成層圏にエアロゾルが達し,広域的な寒冷化(これを「核の冬現象」とよぶ)が生ずるか否かは油煙粒子の規模に依存する.太陽光を散乱,吸収することで広域的な寒冷化をもたらす成層圏エアロゾルは,組成の約75%が硫酸ミスト(H2SO4)により構成されているが,これは地上で生成されるSO2とは異なる.SO2は粒子が大きく成層圏まで到達しない.H2SO4は半径が0.1μm以下の微小粒子(エイキン粒子)といおう化合物の一種である硫化カルボニール(COS)を素材として対流圏から成層圏に到達する過程で化学反応しながら生成される大粒子である.一方,油煙粒子の大きさは,0.02〜2μmのオーダーにあり,微小粒子(エイキン粒子)を多く含む.SO2はそのまま成層圏には達しないが,規模だけから見れば油煙に含まれる徴粒子は対流圏を突き抜け,成層圏に達する可能性はある.問題は大規模油井炎上によってCOSが対流圏まで拡散されるが成層圏まで達するかどうかである. 中緯度に属するクゥェート上空では圏界面の高さが12km程度ある.クウェートでは約20km上空の成層圏にてH2SO4の濃度が高く,対流圏では約10km付近で濃度が高いと思われる.局地的な気温低下とは別に,広域的な寒冷化がクウェート以東で生ずるか否かは,炎上規模及び継続時間とともに,以下に示す条件がひとつ以上満たされる必要がある. @長期的には中緯度上空の高速な偏西風により自然に運ばれる可能性 中東上空では2〜3月にかけ30〜50m/sの高速な偏西風(ジェット気流)が吹いている.これに油煙粒子が乗った場合,時間はかかるが成層圏に運ばれる可能性. A低緯度に流れた粒子が赤道付近の上昇対流によって一気に成層圏に運ばれる可能性 夏から秋にかけ中緯度から低緯度に南北方向の対流が生じている.中東から低緯度(赤道方向)に大気が対流した場合,この南北対流に油煙粒子が乗り一気に成層圏にまで達する可能性. Bイラン上空の対流圏で黒煙に吸収された熱によって上昇気流が生じ成層圏に運ばれる可能性 これはセーガン及びターコ両博士が理論づけているもので,クウェートで炎上したエアロゾルがベルシャ湾上を東に数100km移流したところでススが太陽光線を吸収,まわりの空気を暖め,膨張した大気が上昇するのにひっぱられる形で成層圏に達する可能性. これらの可能性は,いずれも高くはないが,けっして否定もできないものである.ERIではいわゆるバラソル効果を含め気温低下を予測するために,地表から上層,上層から対流圏,対流圏から成層圏の3つの大気層を1kmの層として3次元の差分モデル化し,成層圏エアロゾル密度がどう変わるかについての予測を試みた.計算は炎上開始から約6か月まで行なった.ただし,気象データ入手の面から,成層圏レベルについては自然対流によって成層圏に運ばれるケースについてのみ試みた.表-4はその結果である.
島崎氏(NASA)らの研究では,成層圏エアロゾルが1μg/m3の密度で1kmの層として存在し,太陽光線がその層を通過した場合に散乱,吸収により消失する太陽エネルギーは最大で20%と試算している.表-4の予測結果は,COSとOH,H2OからH2SO4への化学反応は考慮していない.しかし,3か月以上500万バーレル/日規模の原油が炎上しつづけると,圏界面レベルで局地的にはかなりの密度となることを示している.そのような場合には,クウェート以東で大規模なミー散乱現象が起る可能性もありうることが予測される. 一方,クウェート周辺地域では,対流圏エアロゾルや黒煙,ばいじんによる太陽エネルギー消失め影響が加わる.対流圏エァロゾルの粒子の大きさは通常0.1〜1.0μmの範囲にあり,可視光領域0.4〜0.7μmを十分含んでいる.黒煙等はさらに粒子規模が大きいので雨が降れぼ降下する.また,太陽熱をよく吸収する.そこで対流圏におけるエネルギー消失現象も,成層圏におけるエネルギー消失に準ずる方法で算出するものとした.その結果,対流圏から圏界面までにはかなりの密度のエアロゾルが存在し,太陽エネルギーを20〜35%も消失させることが分った. さらにクウェート,サウジなど煙源の近くでは,きわめて高密度のばいじん,黒煙が充満しており,エネルギー消失の影響は大きい.気象,とくに風向,風速,雲量に依存するが,予測では影響はクウェート領内,イラク南部,イラン西岸,サウジ北東部などの地域では対流圏,成層圏レベルの消失とは別に相当量のエネルギー消失が起ることが予測された.表-5に関連地域の3月における平均気温及び最高/最低気温を示す.表-6は予測された地域別の気温低下である. これらの気温低下は,健康への影響に加え,農作物の収穫異変,地域の生態系への影響など広域的な環境影響をもたらす可能性が高いものと考えられる.
5 クウェート現地大気実態調査ERIでは炎上地域の実態把握及び予測結果を検証する目的で,現地実態調査を敢行した.具体的には現地入りする報道陣と連携し,大気汚染のサンプリング調査を行なった.理地調査は,油井炎上地であるクウェート領内(第7次報告)と広域的影響を分析するために煙源から約1,000km南西に位置するアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ(第8次報告)で実施した. クウェートヘの現地調査は,1991年4月5日に東京を経ち,UAE,サウジアラビア経由で現地入りし,クウェート領内の3か所,すなわちクウェート市アハマディ,フィンタスで連続測定を行ない,5月2目帰国した.分析は第三者機関である東京都立アイソトープ総合研究所に依頼した. 測定は4月15日から4月24日に行なった。帰国後5月7日に分析を開始し,9日結果が得られた.現地測定は1日(24時間)単位で行なった、目平均値は,予測値との照合のみでなく,わが国の環境基準との関連で健康被害を判断する際に重要なものである.測定項目はSO2,NO2、酸性降下物,pH,気温の5種類である.表-7にSO2の測定結果を示す.なお,用いた大気汚染物質の採取方法(測定法)は,ディフュージョンサンプラー法,ガスバック(青木式)である.これを24時間暴露する方法をとった.一方、分析法は補集液を5mLの純水で希釈し回収した後,3%の過酸化水素溶液で酸化させDIONEX杜製イオンクロマト装置でSO4(硫酸イオン)を定量し補集SO2量を求め,暴露大気中のSO2を計算によって求めた.測定高はクウェート市はクウェートインターナショナルホテルの地上から約20m,アハマディは地上から約2m,フィンタスは地上から約11mである.
クウェート最大の油田地帯であるブルガン油田から北に数10km離れたクウェート市で測定期間中の全平均値が0,285ppmであった.最高値は4月16〜17日の0,627ppmである.最高値が出現した目は,午前中から市内が真っ暗となり,気温は通常気温に比べ最大18℃も低下している.クウェート政府(MOPH)から入手したデータによると,この日の風速は南風平均3m/s,直達日射,放射収支量はともに通常より30%以上少ない.日本のSO2の日平均環境基準は0.04ppmであるから,最高濃度は基準値の16倍となる.東京の平均的なSO2濃度と比べると30〜40倍の高濃度である.この濃度はSO2単独でも呼吸器など健康に影響を及ぽす値といえる. 一方,ブルガン油田に近いアハマディでは,全平均値が0.286ppmと,クウェート市にきわめて近い値となっている.最高値は4月18〜19日の0.610ppmである.この日は朝から真っ暗で,気温の低下が生じていた.これらクウェート市及びアハマディにおける測定値は,気象条件,とくに風向,風速により日単位で大きく変化しているものの,測定期間中の平均値をとると20km以上離れた両地域の最高値,全平均値がきわめて近いことを示している.また,気温の著しい低下をもたらす条件下では,0.6ppmを超える高濃度が出現している. 予測値との照合だが,4月中旬時点での炎上規模が正確には分らないが,400万バーレル前後が炎上していると想定すると,500万バーレル炎上時のクウェート市で日平均値予測の最高値,0.38ppm及び想定される月平均値,0.26ppmとよい相関をなしている.
6 ドバイ現地大気実態調査ERIでは,我が国の掃海艇のベルシャ湾での活動を取材するため,UAEのドバイ入りする報道陣と連携し,油井炎上の広域的な影響を検証した。ドバイは,クウェートから1,000km近くも離れており,大気汚染の広域拡散現象を解明する上での重要な手がかりとなる.なお,測定法,分析法はいずれもクウェート調査の場合と同様の方法によって行なった.調査は1991年6月7日,早朝から開始一し連続9日間,1日単位でSO2とNO2を測定した.帰国後分析を行ない25日に結果が得られた.予測結果を表-8に示す. 結果からは,クウェートの大規模煙源から約1,000km離れたドバイにおいて,平均値で日本の環境基準の約2倍の高濃度となっていることが分る.なお,測定高は,インターコンチネンタルホテルの地表から約25mの地点である.予測値との照合については,2月時点の広域拡散においてイラン西岸及びUAEにおいて0.05ppm以上の日平均値が予測されたが,現地調査はそれを裏付けることになった.
7 湾岸戦争の環境影響以上報告してきたように,湾岸戦争がもたらした環境影響は,クウェート国内のみならずサウジ,イランなど周辺諸国に及んでいる.また,圏界面直下の対流圏でジェット気流によって長距離輸送された汚染物質は地球全体に影響を及ぼしていると推察できる.さらに,特定地域における膨大な数の戦闘機,爆撃機による排ガスはオゾン層に対しても影響をもたらす可能性はあるだろう.半年以上にわたって原油が燃焼し続けた結果排出されたCO2は,長期的には地球温暖化を進めることは間違いない. なかでも筆者らが懸念したことは,クウェート,サウジを中心としたベルシャ湾岸諸国住民の健康被害である.ERIの現地調査結果及び我が国の学術研究者らの測定結果から推定すると,現地では4月〜5月は日木の四日市大気汚染やロンドンスモッグに近い高濃度が確認されている.幸い,クウェートではその時期住民の多くが国外に脱出していた.とはいえ,4月の現地調査時のヒヤリングでアハマディ病院の医師は「喘息や呼吸困難で入院してくる子は後を絶ちません」と答えている. ところで,ERIのクウェート現地調査に1,2週間遅れて日本政府調査団がクウェートに出発し現地調査を実施した.測定結果は調査から3か月以上経った8月20日に環境庁から発表された.値は,油田に近いアハマディにおけるSO2濃度が最高値で0.0279ppmというものであり,ERIの測定値(全平均)の約1/10,最高値の相互比較では約1/22であった.一方,クウェート市内では最高値でERIの測定値(全平均)の約1/26,最高値の相互比較では約1/57であり,国の測定値はいずれも環境基準以下であった.ほぽ同じ時期の測定でどうしてこれだけ著しい違いが生じたのかについて,測定法,分析法の違いをはじめ,気象条件等を検討しているが,いまだ明確な理由は分っていない.
8 おわりにERIは,自主研究として湾岸戦争の環境影響研究を敢行し,現在も追跡調査を行なっている.これらの研究報告の概要は,内外の報道機関,衆参両院議会事務局,各国大使館等に公表してきた.これらを通して強く感じたことは,第三者的な立場でこの種の調査や研究を行なうことの重要性である.政治軍事がかかわる場合,仮に追跡調査が実施できた場合でも,果たしてどこまで客観的な対応ができるかは分らないからである. また,つね日頃からシミュレーションシステムの研究開発やデータ整備など実務的な体制を整えておくことも大切である.今回のシミュレーンョンはすべてPC386Sなるパソコンによって行なった.気温低下予測では計算時問が数日に及んだが,その結果現地で最大15℃も気温低下することが分った.数日後,現地から10℃以上気温が低下しているとの報告が届いた. 湾岸環境研究は,ERIの自主研究作業として終始実施したが,その過程では多くの方々の協力と励ましを頂いた.クウェート現地調査ではテレビ朝日,ドバイ現地調査ではテレビ東京の関係者に,また大気分析については伊瀬洋昭氏(都立アイソトープ研)にお世話になった.また,潮流予測では大西行雄氏(琵琶湖研究所)から多くの示唆を頂いた.この場をかりて感謝の意を表わしたい.さらに,戦争中の各種予測に関しては現地からの映像やデータが役にたった.現地からリアルタイムでデータを提供してくれた各報道機関に深く感謝の意を表したい.これらのひとびとからの協力なしには調査は遂行できなかったからである. (あおやまていいち・環境総合研究所) (C)Copyright by 本ホームページの内容、掲載されているグラフィックデータ等の著作権は株式会社環境総合研究所にあります。無断で複製、転載したり、営利の業務に使用することを禁じます |