エントランスへはここをクリック   

福島県浜通り 
いわき市平薄磯地区
被害の実態

池田こみち
環境総合研究所副所長
19
April 2011
独立系メディア E-wave

 
 福島県浜通りの最も海沿いの道である県道382号線を南下しながらいわき市内の海岸線に沿って被害状況を視察した。

 平薄磯は、いわき市役所から車で約30分、南東に位置している。日本の渚百選にも選ばれているほどのすばらしい砂浜として地元はもとより、夏には大勢の観光客が訪れる海水浴場である。県道382号の東側(海側)には、南北に長く薄磯の集落が海に面して連なっていた。その集落に入ろうとすると、そこで道路が閉鎖されており、数名の自衛隊員ががれきの撤去作業を黙々と進めていた。

 土を盛り上げた簡単なバリケードには「進入禁止」の看板とともに、がれきの中から発見された写真やアルバム、年賀状ファイルなどが集められ、汚れたまま箱に入れられていた。紙切れには、「お心当たりの方はお持ち下さい」と書かれている。箱をのぞき込んでいた女性は、「年賀状ファイルがあった」と愛おしそうに汚れたファイルを手にして帰って行った。

 他にも数名の地元の方々が真っ青な空の下で破壊尽くされた家並みに呆然と目をやっていた。普段ならそこからは家並みで全く見えない堤防と青い海が見通しになっているのだ。


いわき市薄磯地区の被災地
撮影:池田こみち 2011年4月16日

 私は、ご家族で現場を見つめるご夫婦に声をかけてみた。「地元の方ですか。大変な被害に遭われ、ほんとうにお見舞い申し上げます。ご無事に逃げることができてよかったですね」と。するとその男性はぽつりぽつりとご自身の恐怖の体験を話し始めた。

 「地震の時はテレビを見ていた。津波が来るというので海を見たら、もうすぐ近くに波が見えたので急いで車に乗って逃げた。けれども、すぐに波に追いつかれてしまい車ごと浮き上がり流された。車のドアは水圧で開かないし、もうだめか、どうしようもないと思った瞬間、たまたま家を修理していた近所のお宅の庭に重機があってそのアームで車のガラスが壊れたんで、そこからやっとのことで、抜けだし泳いで逃げることができた。ほんとに九死に一生、怖かった。」

 海岸沿いにはコンクリートの堤防があるが、遠くからも一部決壊しているのが見えた。しかし、その男性によれば、津波は決壊したところから住宅地に流れ込んだのではなく、遙か先から堤防を大きく越え、堤防が隠れるほどの高さでおそってきたのだという。300世帯弱のちいさな集落だったがほぼ全滅に近いと肩を落とした。

 男性のそばに寄り添うように立ち、同じように瓦礫と化した町を見つめていた妻は、その瞬間、夫とは別の行動をすることになったという。「ちょうど、その日は小学校に通う子供たちが集団下校してくる時間だったので、津波だ、というのですぐに車で学校まで迎えに行き、子供たちを乗せ、やっとの思い出町の入り口まで逃げて無事だった。あとちょっとで孫二人と一緒に車もろとも流されるところだった」とそのときの恐怖を話してくれた。


いわき市薄磯地区の被災地
撮影:池田こみち 2011年4月16日

 このご夫婦は現在、群馬県内に避難しているとのことだが、この一ヶ月、週末にはかならずここに来て町の様子を見ているのことだった。遅々として進まない瓦礫の撤去作業を見つめている姿に接し、私たちは慰める言葉もない。

 東北の地にも桜が咲き始め瓦礫の隙間から真っ赤な椿の花が満開になっていた。今年の桜はだれも愛でる人がいないが、被災地のあちこちで桜が静かに美しく咲き、「必ず春は来るから」と人々を慰め励ましているようでもあった。被災した方々の恐怖を少しでも共有し慰めることができればと思うばかりである。