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3.11以降、第4回目の被災地視察調査として今回は宮城県女川町から福島県南相馬市北部を3日間かけて約560km走破した。 改めてその被害の凄まじさに打ちのめされることとなったが、同時に海に囲まれた島国日本の隅々でひとびとが海とどう関わり暮らしてきたのかを肌身で感じ取ることができた。大メディア・マスコミが報じない小さな集落が受けた傷は痛ましく言葉もなかった。 海辺・海岸と一口に言っても、日本語には多様な海の自然や地形を表す言葉がある。湾・港・浦・浜・瀬戸などである。 それぞれに応じた海との接し方、暮らしがあった。 宮城県内では石巻湾の東部に突きだした牡鹿半島の沿岸部を廻ってみた。 宮城県北部の牡鹿半島 出典:Google Map 石巻は今回の震災で最も多い4000人にも及ぶ犠牲者を出した市として大きく報じられているように、臨港地域に集積する工業地帯や漁業関係施設、そして中心市街地の被害は壊滅的としか言いようがない。 しかし牡鹿半島(女川町と旧牡鹿町)を回ってみると、石巻湾と女川湾に挟まれた半島のリアス式海岸線にはひっそりと小さな浜や港、浦が連なり、そのひとつひとつの入り江や海辺に人々の暮らしがあったことが破壊し尽くされた光景からも思い起こされた。 女川町と女川湾 出典:Google Map 女川湾に面した半島東側の五部浦湾にそって海岸線ぎりぎりのところを県道41号が通っている。海と山に挟まれた狭い平地に寄り添うように家々が軒を連ね漁業を生業として活きていたに違いない。 県道41号は、飯子浜で女川原発を避けるように山側に入り、西側の鮫浦湾に降りてくる。鮫浦湾は牡蠣の養殖が盛んなところだったらしく、瓦礫のなかから丁寧に養殖筏につるしてあった蛎殻をあつめて道路端に積み上げていた。 いつの日か再開できる牡蠣養殖への希望を捨てていないという強い意思表示のようにさえ思える光景だった。 鮫浦湾 出典:Google Map 鮫浦湾は牡蠣の養殖が盛んなところ 撮影:青山貞一 鮫浦湾は牡蠣の養殖が盛んなところだった 撮影:青山貞一 鮫浦湾の被災地にて 撮影:青山貞一 そして、大谷川の集落を過ぎると県道は半島を横断し半島の西側を縦断する県道2号線に出る。 県道2号線は、大原浜・清水田浜・小網倉浜と海沿いを走り、荻浜・桃浦を経て万石浦へと続き、橋を渡って石巻市街へと向かう。 荻浜・桃浦を経て万石浦へ 出典:Google Map 牡鹿半島は全体が山地となっているので、海辺の集落は津波に対して無防備そのものだった。まさに、丸腰の住民が機関銃に立ち向かうようなものと言っても過言ではない。 それでも、浜には浜の、浦には浦の海の表情があり、小さくても風景と一体となった活気のある暮らしが営まれていた様子が目に浮かぶ。そんなところで津波から家やまちを守る手だてがあるのだろうか。 高さ15mにも及んだと言われる津波を遮るほどのコンクリート構造物を作ってしまえば、もうかつての浜や浦は存在しなくなるだろう。それでは生活と共に文化も失われてしまうことが危惧される。 今度こそ、発想の転換が必要である。 美しい浜や浦の景観を残しながら、そして、海の恵みを生活の糧としながら、住まいだけは安全な高台に確保するという割り切りが絶対に必要である。それには安全と環境を守るための土地利用の規制が不可欠である。 岩手県視察の折りにも各地で耳にした。津波の被害を避けようと、祖先からの言い伝えに従っていったんは高台に住まいを移しても、時を経るにつれ再び海辺に近く住まいを戻してしまうのが漁師なんだ、と。 海辺の民は100年に一度の大津波を代々語り継ぎ、地域の経済・社会・歴史・文化を大切にしながら、絆を強め海とともに、そこに生き続ける以外にない。 そのために国や自治体には大胆な発想の転換が求められる。硬直化した組織体制や制度を見直し、浜や港、浦や瀬戸の暮らしが取り戻せるようにきめ細かい支援の手をさしのべなければならないだろう。 そして同時に、市民にもこの未曾有の大災害を契機に、また同じ悲劇を繰り返さないため今回の経験を無にしない決意と努力が必要だ。 時間がかかるかも知れない。その時間をいろいろな形で埋めるのは敢えて言えば、被災しなかった私たちの支援のあり方にかかっているとも思える。鉄とコンクリートの安全神話から脱却するためにも。 ----------- ※ 浦とは 海や湖などの湾曲して、陸地に入り込んだところ、入り江、湾のこと。海辺の村里、漁村、浦里 ※ 牡鹿半島:Wikipediaより 三陸海岸の最南端に位置する。西に石巻湾を抱き、東は太平洋に面する。半島の西付け根に万石浦がある。先端は黒崎。半島全域に渡って山地であり、海岸はリアス式海岸となっている。中心地は、半島先端の石巻市鮎川地区。黒崎の東に金華山瀬戸を挟んで金華山と呼ばれる島がある。 2011年に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、地震前に比べて半島が東南東に約 5.3 m移動し、約1.2 m沈下した (国土地理院調べ)。 |