国連の権威を疑え! 〜国際機関を利用した 治安立法制定の動き〜 弁護士 海渡 雄一 2006年5月21日 |
2006年5月17日の国会法務委員会での論戦では、国連越境組犯罪防止条約を批准する際に留保することができるかどうかという論点が取り上げられた。この条約が留保できると言うことは、12日のメールにも書いたが、この条約の制定過程に含まれるより根本的な疑問点について、書いてみたい。 1 治安立法に対する各国市民の闘い 1990年代に入って法執行政策のグローバル化が進んだ。このような動きは国際的な人と金と情報の移動の進展に対応して、テロリズム・マネーロンダリング、薬物取引、人身売買、児童ポルノ、サイバー犯罪などの規制を根拠として、非常に広範な刑事立法が準備された。 しかし、我が国の通信傍受法やアメリカにおける通信品位法などの例を見ても明らかなように、各国でこのような法の制定は非常に難航した。そのため各国の法執行機関は国際組織を使うことを思いついたのである。 2 国際機関を利用した治安立法制定のトレンド アメリカ、イギリス、フランス、日本、イタリアなどの先進諸国の法務、警察官僚は、明確に連合して、国連(テロ資金供与防止条約・越境組織犯罪防止条約)、ヨーロッパ評議会(サイバー犯罪条約)、G8(テロとの闘いに関連する決議)、FATF(マネーロンダリング対策のための40勧告の改訂)などの国際機関を舞台にしてこのような新たな規制の枠組みを作っていった。 その特徴は、市民の目に見えない裏舞台で、外交官と法務省・警察などの法執行官だけの手によって、あらたな国際刑事立法が作られているところにある。ここには、人権擁護の立場に立つ国会議員や国際人権NGOなど条約によって人権を規制される側の市民の代表はいないのである。 3 続く国際刑事条約・勧告の国内法化 2002年の通常国会で議決された銀行本人確認法やテロ資金規制法も国連のテロ資金規正条約やFATF(OECDの機関である金融作業部会)勧告の国内法化として提案されたものである。 2003年通常国会から国会に提案されている国際組織犯罪防止条約の批准と国内へ提出されたヨーロッパ評議会のサイバー犯罪条約の批准と国内法化(最終的に合体されている)もこのような国際条約の国内法化の流れの中にある。 さらに、FATFの組織犯罪対策のための40勧告の改訂が2003年6月になされ、ここでは、弁護士の守秘義務(依頼者から見れば秘密の内に弁護士と相談する権利)を制限して、マネーロンダリングやテロ資金に関連し、疑わしい依頼者の活動に関して弁護士に金融警察機関に対する通報義務を課す「ゲートキーパー規制=弁護士から警察への依頼者密告制度」の法制度化が2007年には国会に提案されようとしている。 4 金・人・情報の流れのすべてを把握する このような、一連の動きは先進工業諸国の警察・検察機関などの法執行機関を構成する国家官僚がサミット、OECD、EU、ヨーロッパ評議会、国連などを舞台に波状的に作り上げてきた新たな国際刑事立法のトレンドであり、2001年の「9.11」以前から進められてきたが、9.11後ますますその傾向は強まっている。 このような動きはアメリカを中心とし、ヨーロッパを第二の中心とする経済のグローバリゼーションを背景に、そのバックボーンとなるお金と人と情報の流れを確実に各国の法執行機関が把握しておきたいという欲求に根ざすものといえる。 そして、マネーロンダリングやテロのための資金の供与を防止するという目的には正面から反対がしずらいこと、この条約や勧告の立法・立案過程は法執行機関側だけのメンバーで構成されており、有力な国際人権NGOがほとんど参加していないことなどから、これらの国際条約や勧告などは著しく法執行側の権限を強めるものとなっている。 5 国際人権条約の立案過程から学んだ!? このような国際刑事立法の動きは国連や他の国際機関における国際人権条約づくりのやり方に学んでいると言われる。現象的にはこのような理解も可能である。しかし、国際人権規範の定立の過程では、国際人権法の専門家が国際機関の委嘱を受けて最初のドラフトを行う際には、理想的な案が提案されたとしても、これに対して人権条約によって規制される各国の政府代表が意見を闘わせ、より現実的な案に作り替えていく過程が伴っていた。 国際人権法が規制しようとしているものは一義的には国家権力による恣意的な人権侵害であり、規制される側の代表が国際人権機関、国際人権NGOとの激烈な交渉と妥協の結果として成立したものであるからこそ、これらの条約はその時点での国際社会の人権の共通の理解となり得たのである。 6 国際刑事立法過程の原理的な非民主性 これに対して、現在の国際刑事立法の制定の過程では、実際の起草と討論の過程には各国の法執行機関(警察と法務)のメンバーと外交官しか参加しておらず、条約によって人権を規制される市民の代表は誰も参加していない。 国際(越境)組織犯罪防止条約の制定過程をみても、検討の素材となった条約案は少数の「議長の友人」によって起草され、そのもととなったオプションは政府間の非公式会合でまとめられたものである。これらの会合のメンバーはすべてが公表されているわけではないが、外交官と各国の法執行機関のメンバーと彼らに親しい専門家だけで構成されており、アムネスティ・インターナショナルやICJなど有力な国際人権NGOのメンバーすら参加していない。 私自身も、日弁連のメンバーとしてこの条約の起草過程の一部について立ち会う機会があった。各国からの代表は外交官と法執行機関の代表である。条約の審議の過程には、各国の議会に見られるような民主主義的な多元性が欠けていることを痛感した。 このような経過から、必然的に、これらの国際条約や勧告などは草案の段階から著しく法執行側の権限を強めるものとなっており、これを審議する各国の政府代表も、むしろ政府機関の権限を強める提案を歓迎することがほとんどであった。起草過程で聞かれる意見の多くも、草案を支持する立場での微調整案であり、消極的な意見も人権侵害の危険性を指摘するような意見はほとんどなく、国内法との乖離があまりに大きいと国内立法が技術的に難しいなどの形式的な意見が表明されたにすぎなかった。 7 国際機関の権威による治安立法の押しつけ そして、国際機関の権威をもとに、各国の立法機関による変更を許さないような形で、治安的立法が民主的な討論が欠けた状態で各国の立法機関に押しつけられているといえる。そして、国内的に活動している人権団体も、各国の立法機関も条約が起草されてしまった後には、条約の内容を是正する手段を持っていないのである。各国の国民に与えられた選択の余地は、条約を批准するかどうか、批准するとした場合、条約上許容された裁量の幅のなかでよりよい選択(一部留保を含む)をする以外に方法がない。 これが、まさに、いま、我が国の国会で共謀罪をめぐる与党案と野党案のせめぎ合いで起きている事態の本質なのである。 国際組織犯罪防止条約やサイバー犯罪条約は、この間の政府与党のキャンペーンを見ても明らかなように、抗いがたい国際的な流れとして、国内に持ち込まれている。しかし、この国際的なトレンドの正体を正確に見据えて、その立案の過程にさかのぼって、その政治的な性格を明らかにし、この権威を疑ってみる態度が求められているのである。 8 国際人権法の原則にも違反 これらの国連条約やFATF勧告はこれまで国際的に確立してきた民主主義的な法制度や価値の原則のいくつかに真っ向から対立する部分を持っている。個人のプライバシー権、刑事司法における無罪推定の原則、集会・結社・表現の自由の保障、弁護権、拘禁された者の裁判所に出頭する権利、公正な裁判を受ける権利などがそれである。 9 結論 最近の刑事立法は国連やヨーロッパ評議会、OECDなどの国際機関からの要請、テロ対策、組織犯罪対策という反対しにくい外形を備えているが、それにだまされてはいけない。最近の刑事実体法は犯罪の成立を前倒しにし、また厳罰化を進める傾向が顕著である。これは、政府の政策に反対すること、とりわけ政府の戦争政策に反対することなどを非合法化する意図に発しているものと考えざるを得ない。 また、最近の刑事手続法は、テクノロジーの進歩などを理由として、簡単な手続きで莫大な情報を収集できる方向を目指している。このようにして収集された情報がIT技術を駆使してデータベース化されれば、究極の監視社会が出現するであろう。住民基本台帳におけるID、顔写真、指紋、通話記録、出入国記録、Nシステムの道路移動記録、銀行の入出金記録などをデータベース結合することが彼らのねらいである。 共謀罪反対運動は、このような国際刑事条約を背景とした刑事司法の強化に対して、国民的な反対世論を作ることに成功しつつある。この闘いの過程そのものが国家権力の本質についてのまたとない学習の機会を提供している。 多くの国民が、世界的に進められている事態の本質を的確に見抜きはじめている。そして、これだけたくさんの人々が共謀罪NO!という声を上げてくれたことは本当に画期的なことだ。この国の民主主義の未来を信じ、共謀罪NO!を訴え続けたい。 |