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浜岡原発地裁判決の
論理とその克服の途
その1

海渡雄一
(浜岡原発差し止め訴訟弁護団)

掲載日:2007年10月27日

海渡雄一弁護士

はじめに

 この判決には中越沖地震についての言及は一切ない。

 この判決は結審後の事象である中越沖地震は発生していない前提で書かれている。

 多くの国民は、中越沖地震の経験に照らして、浜岡原発がそれを遙かに上回る東海地震の時に、耐震安全性を確保できているのかについて判断されることを願い、この判決に注目した。しかし、この判決には、このような観点の考察は全く含まれていない。

 そういう意味では、この判決は多くの国民の司法への期待を根底のところで裏切っていると言わざるをえない。

 確かに、裁判所は口頭弁論終結の時までに明らかになっていた事実に基づいて判断する。

 しかし、公知の事実について考慮することは許されるのである。この点に、本判決の決定的な欠陥があるといわざるをえない。

1 判決の理論的な誤り

引用1

○ 原子炉施設に求められる安全性は起こりうる最悪の事態に対処する必要があるが、抽象的に想定可能なあらゆる事態について安全であることまで要求するものではない!

「以上に認定した国の諸規制に加えて, 炉心溶融その他の重大事故による核分裂生成物等の大量放出等, 原子炉施設が内包する潜在的な危険性を考えれば, 平常時はもちろん, 地震, 機器の故障その他の異常時における万が一の事故を想定した場合にも一般公衆の安全が確保されることが原子炉施設の設置, 運転上不可欠なものとして要求されていると認められる。このことは,一般的に「原子炉施設の安全性」として理解されているが、この「原子炉施設の安全性」が確保されないときは, 周辺住民等の人格権侵害の具体的危険性が生じると認定することが可能となる。もっともここにいう「原子炉施設の安全性」とは, 起こり得る最悪の事態に対しても周辺の住民等に放射線被害を与えない(乙B3 ) など原子炉施設の事故等による災害発生の危険性を社会通念上無視し得る程度に小さなものに保つことを意味し, およそ抽象的に想定可能なあらゆる事態に対し安全であることまでを要求するものではない。(判決32−33頁)」
 
 判決は、この判示により原告の主張は抽象的な可能性を指摘するものに過ぎないの一言で片付けられる論理を作り上げた。

 この判示は伊方判決の「原子炉が原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料として使用する装置であり,その稼働により,内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって,原子炉を設置しようとする者が原子炉の設置,運転につき所定の技術的能力を欠くとき,又は原子炉施設の安全性が確保されないときは,当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命,身体に重大な危害を及ぼし,周辺の環境を放射能によって汚染するなど,深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ,右災害が万が一にも起こらないようにするため,原子炉設置許可の段階で,原子炉を設置しようとする者の右技術的能力並びに申請に係る原子炉施設の位置,構造及び設備の安全性につき,科学的,専門技術的見地から,十分な審査を行わせることにあるものと解される。」とする解釈を、明示はしていないがこっそりと変更しようとしている(平成4年10月29日 第一小法廷 最高裁判所民事判例集46巻7号1174頁)。

 原子力発電所の安全性においては,万が一にも周辺に放射能を放出するような事故を起こしてならないという前提が危うくされているのであり、このことこそが本判決の誤った結論の出発点である。

2 地震時の原発の同時故障の可能性について

引用2○ 地震発生による共通原因故障を想定する必要があるのか、ないのかはっきりして!

「地震の発生を想定した場合, 地震その他の自然現象に対して設計上の考慮をすることを前提として, 内部事象としての異常事態について単一故障の仮定による安全評価をすれば十分といえるのかについて検討する。この点について, 原告らは地震の発生を想定して共通原因故障の仮定をした安全評価をしなければ十分といえないと主張する。しかしながら全体として本件原子炉施設の安全性が確保されるのであれば, 安全評価審査指針が定めるように, 安全設計審査指針に基づいて別途設計上の考慮がされることを前提に, 内部事象としての異常事態について単一故障の仮定による安全評価をするという方法をとることもそれ自体として不合理ではない。そして, 原子炉施設においては, 安全評価審査指針に基づく安全評価とは別に耐震設計審査指針等の基準を満たすことが要請され, その基準を満たしていれば安全上重要な設備が同時に複数故障するということはおよそ考えられないのであるから. 安全評価の過程においてまで地震発生を共通原因とした故障の仮定をする必要は認められず, 内部事象としての異常事態について単一故障の仮定をすれば十分であると認められる。

 したがって, 原告らが主張するようなシュラウドの分離, 複数の再循環配管破断の同時発生, 複数の主蒸気管の同時破断, 停電時非常用ティーゼル発電機の2台同時起動失敗等の複数同時故障を想定する必要はない。

 もっとも原告らにおいて, 地震動等によって複数箇所で不具合事象が発生することが合理的に想定でき, その場合に, 安全設計審査指針が定める地震その他の自然現象に対する設計上の考慮と安全評価審査指針が規定する単一故障の仮定による安全評価によっては不十分であり, それによっては原子炉施設の安全性が確保されないことを合理的に推認できることを主張立証した場合には, 被告の行っている単一故障の仮定は妥当でないと評価されるので, 本件原子炉施設の耐態安全性は確保されないと判断されることになる。」(判決106−107)

 この段落は何度読み返しても、意味がよくわからない。

 前段では地震時の共通原因故障はおよそ検討する必要性がないと断じている。ところが、後段では、中越沖地震によって3000箇所もの同時故障が生じており、その一部は原子炉の炉内での故障であることさえ、論証できれば原子炉の耐震安全性は確保されないとしている。

 判決には中越沖地震とこれに基づく柏崎原発の損傷に関する認定は一切含まれない。しかし、裁判官が報道を読まなかったはずはない。裁判所に明らかな事実は口頭弁論の結審後の事実であっても、認定の基礎とすることができたはずである。裁判所は7月19日の仮処分事件の結審時に、口頭弁論再開を求めた原告らに対して、中越沖地震と柏崎原発に生じている事象についての重要性を認めながら、公知の事実として取り扱うことも可能との見解を示したのであった。

 しかし、下された判決は中越沖地震などは全く発生しなかったという前提で書かれている。そのことを端的に示す部分が次の一節である。

引用3○ 地震による重大な損傷は発生していない!?

「原告らは, 平成12年7月21日の地震時に東京電力株式会社福島第一原子力発電所(以下「福島第一原子力発電所」という。) 6 号機クロスアラウンド管逃がし弁付属小口径配管が破損した事象や, 同原子力発電所1,3,5号機及び東北電力株式会社女川原子力発電所(以下「女川原子力発電所」という。) 1号機で地震動に伴って中性子束が急激に増大した事象,福島第一原子力発電所1,2,4号機の機器が地震時に変形した事象などを挙げ, 地震を原因とする共通原因故障に原子力発電所の安全設計は対応できていないと主張する。

 しかしながら, 平成12年7月21日の地震時に福島第一原子力発電所6号機で発生した事象は安全上重要な設備ではないタービンの小口径配管に生じたものであり, 重大事故につながるものではないし(乙D5), 女川原子力発電所1号機において地震動に伴って中性子束が急激に増大した事象も一定以上の中性子東の上昇によって原子炉施設が緊急停止することから重大事故につながるものではない(乙D26,27)。また, 福島第一原子力発電所1,2,4 号機の機器に生じた事象は気水分離器の脚に係るものであり, 同機器の性能に関係、するものではないので, 当該事象が重大事故につながるものでもない。」(判決107−108)

 この段落を読んで、私はめまいを覚えるのを禁じられなかった。確かに結審前にはこれだけの事象しか発生していなかったかもしれない。しかし、中越沖地震後の柏崎原発ではわずかマグニチュード6.8の地震で3000箇所を超える同時故障が発生し、その中には、原子炉クレーンや制御棒駆動系、使用済み燃料プールなどの安全上重要な機器が含まれており、今後炉心内の調査が進めば、中枢配管の損傷さえ見つかるかもしれないということは、通常の新聞でも報じていたのに、このような事実が全く存在していないかのようである。裁判官には現実は何も見えていないようである。

引用4○ 制御棒の同時脱落を想定する必要はない?

「原告らが指摘する本件引き抜け事象や志賀原子力発電所1号機で発生した複数本の制御棒脱落事象は, いずれも定期点検中の制御棒関連の弁の誤操作等を原因とする事象であり(乙D 190 , 195), 地震の発生に伴って複数箇所で不具合事象が発生することの根拠とするには適さない。また, 前述のとおり, 制御棒駆動機構等は基準地震動S2による地震力に対してもその機能に影響を及ぼすことがないように十分な余裕を持った耐震設計がされ, 制御棒が確実に挿入されることが確認されている(地震その他の自然現象に対する設計上の考慮) ので, 複数の制御棒脱落を想定すべき格別の根拠は見いだせない。」(判決109頁)

 この点の判示も驚きである。柏崎では制御棒に地震時に変形が生じていたことが明らかになっている。

記事引用

 「柏崎原発で制御棒1本、炉心から引き抜けず…地震で変形か 東京電力は18日、新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原子力発電所7号機で、制御棒205本のうち1本が炉心から引き抜けなくなっていることを明らかにした。

 詳しい原因はわかっていないが、地震の影響で変形などが起きた可能性があるという。今回の地震で炉心の最重要機器にトラブルが判明したのは初めて。東電は「安全上の問題はない」としている。

 制御棒は原子炉内の核分裂連鎖反応を調整したり止めたりする役割があり、耐震設計上の重要度分類では最上位の「As」クラス。原因次第では、他の原発にも対策が必要になる。

 7号機では、地震による炉心損傷の有無を調べるため、今月11日から核燃料を取り出し制御棒を下に引き抜く作業を開始。205本ある制御棒のうち、106本目までは問題なく抜けたが、18日午後3時5分ごろ、107本目が挿入状態のまま動かないことが判明した。制御棒を上下させる装置は正常に作動しているため、制御棒本体やその付属部品に何らかの変形があり、どこかに引っかかっている可能性が高いという。(2007年10月18日22時37分 読売新聞)」 

 裁判官は、すべての新聞に大きく報道されたこの記事を読まなかったのだろうか。制御棒は確かに挿入できた。しかし、変形して引っかかっている。もっと大きな地震が襲ったら、挿入もできなくなる寸前ではないか。あまりにも楽観的な裁判官の判示に背筋が寒くなるのは私だけだろうか。

3 想定を超える東海地震は発生するのか

 この論点についての判決の判示は混乱している。

(1)アスペリティの位置と震源断層面の深さについて

 私たちが指摘していたアスペリティの位置の問題と震源断層面の深さの問題については判決はアスペリティの配置の妥当性は十分に確認されている(判決119頁)とし、震源断層面の深さについても石橋説を否定し、野口説に基づいて深さを評価することは適切とした(判決121頁)。

 しかし、その根拠は混乱を極めており、科学的な批判に耐えるような判示はなされていない。

 そもそも、アスペリティの位置については、被告中電と原告双方申請の入倉証人も、原発直下にアスペリティを置くべきだとしていたのである。いずれも、新指針に基づくバックチェックでは中電も石橋説に基づいて再評価することを余儀なくされていたにもかかわらず、裁判所はそのような再評価も不要としたのである。中電もさぞこのような判示には驚いているだろう。

2)産業総合研究所もびっくり 超東海地震に科学的根拠なし?

 また、通常の東海地震を超える超東海地震の発生の可能性についても、原告らの主張は科学的根拠を欠いているとまで判示した。

記事引用

 東海地震、国の想定上回る可能性(2007年09月04日朝日新聞)
 「国が想定する東海地震の約3倍もの地殻変動をもたらす「超」東海地震が、この5000年に少なくとも3回起きたことが、中部電力浜岡原発近くのボーリング調査からわかった。調査したのは、産業技術総合研究所(産総研)活断層研究センターの藤原治研究員と北海道大学の平川一臣教授らのグループ。大きな隆起を伴うため、想定東海地震とは別のタイプとみられる大規模地震が、約4800年前、3800〜4000年前、2400年前ごろの計3回、起きていたことがわかった。この後、もう1回発生しているとみられ、1000年周期の可能性がある。

 石橋克彦・神戸大教授は「見つかった超東海地震は、詳しいメカニズムはわからないが、予想されている東海地震より大きなものであるのはほぼ確実だ。次に来る東海地震は、このタイプになる可能性もあり、備えが必要だろう」と指摘する。

 国が想定する東海地震はマグニチュード8級。古文書で記録が残る安政東海地震(1854年)の震度分布などを元にモデルが作られており、地殻変動のより大きくなる地震は、想定外だ。

 浜岡原発は、国の中央防災会議が作ったモデルよりやや厳しい地震でも耐えられるように、3号機から5号機の耐震補強工事を05年から始めた。しかし地殻変動のより大きい地震は想定に入っていない。」

 この記事も裁判官は見なかったのだろうか。この研究は第四紀学会で正式に報告されている。新聞記事を示すだけで誤りの明らかな箇所が多すぎる。不勉強を通り越して、無知で恥知らずの判決と言うほかない。

(3)判決の迷い

 ここまでは、判決は暴走機関車のように勢いがよいが、やはり想定を超える地震が発生するおそれを感じたのか、つぎのような判示もしている。

引用5

 「原告らは, 安政東海地震が最大の東海地震とはいえないと主張し, 証人石橋克彦も同旨の証言をする。確かに, 我々が知り得る歴史上の事象は限られており安政東海地震又は宝永東海地震が歴史上の南海トラフ沿いのプレート境界型地震の中で最大の地震ではない可能性を全く否定することまではできない。しかし, このような抽象的な可能性の城を出ない巨大地震を国の施策上むやみに考慮することは避けなければならない」(115頁)

 想定を超える地震の可能性を認めながら、それが抽象的な可能性の域を出ないとし、国の施策上むやみに考慮することは避けなければならないというのである。

 可能性があるのであれば、それを原発の安全性の判断に当たって考慮するのは当然ではないか。

 同じ、悩みは判決の結論に至っても、次のように吐露されている。

引用6

 「以上判示したところによれば, 本件原子炉施設は, 平常運転時はもちろん,想定される東海地震発生時においても安全性が確保されていると認められる。もとより, 地震学等における知見が集積された今日においても, 地震について我々が知り得ることは限られており、想定東海地震を超える地震動が発生するリスクは依然として存在する。しかし, こうした地震動の発生については科学的根拠を持って地震動の発生及びその規模等を想定できるものではないので, なおリスクとしての範囲に止まるものと言わざるを得ず, これに対しては, これまで認定した本件原子炉施設に関する基準地震動の設定その他における安全余裕によって対処できるものと判断される。」(判決256頁)

 このリスクが安全余裕によって対処できるということは、誰も保障していない。全く情緒的な判決である。裁判所の信仰に近い蛮勇には驚くばかりだ。判決は続けて次のように判示する。

引用7

 「この点, 原告らは, 炉心溶融その他の重大事故が発生した場合の被害の甚大さから万が一にもそのような事態が生じないようにするため, 最悪の事態を想定した設備や対策を講じるのでなければ原子炉施設の運転を許すべきではないとの趣旨を強調しているが既に述べたように, 本件原子炉施設において将来発生する可能性のある地震動については, これまでに集積された地震学等の知見により一定の予測をすることが可能であることからこれを前提として, さらに安全余裕を確保しつつ原子炉施設の設計, 運転を検討することが正しい方法であり, これまでの検討によれば, 立地条件, 施設の構造・強度等, 事故防止及び公衆との離隔に係る各安全確保対策等は, いずれも本件原子炉施設の安全性を確保し得るものということができる。その際, 原子炉施設における深層防護(多重防護) の思想や保守的な判断(安全の側への判断) を前提として, PDCAサイクルを実践することはもちろんであるが, とりわけ,事業者及び原子炉施設を維持・運転する人の規範意識や安全確保に対する強固な意志, 専門的な知識と的確な判断に基づく適正迅速な行動等が重要である。どんなに幾重の対策を講じ重厚な設備にしようとも, これを扱う人のミスによってこれらが瓦解に帰し, 重大な事故へと発展することがある。こうした人の問題についても,被告はこれを撲滅することを目指して対策を講じ,改善の努力をしてきており, 直ちに本件原子炉施設の安全確保を危惧させる状況にはない。」

 なんと、空疎な文章だろうか。このように書いておけば、実際に原発震災が現実化したとしても、私たち裁判官は適切な警告をしておいたのだといいわけをするためなのだろうか。
 
4 まとめ

 正直言って、今日は何も書きたくない気持ちだった。こんなにも自ら期待し、原告団も全国に仲間たちから声援を受けながら、勝てなかったのはなぜなのか。私たちの主張の組み立てと立証に何か問題があったのかという謙虚な気持ちで判決を読んでみた。

 しかし、いくら読んでも訳がわからない。この判決はひとことで言うと、争点になった事項のすべてについて、中部電力の準備書面と証拠をつなぎ合わせているだけの判決だ。

 そして、何の深い考察もなく、あるのは、国の安全審査や中央防災会議の議論へのよりかかりだけである。そして、随所には空虚な評論家的なおしゃべりと、良心の呵責に耐えかねた逃げ口上がところどころにちりばめられている。

 この判決の論理は、柏崎で起きた事実の前に完全に行き詰まっている。既に始まっている控訴審では、中越沖地震によって柏崎原発に発生した事実をきちんと立証することで完全に覆すことができるだろう。

 これまで、応援して下さった皆さんには、勝利できなかったことについて、心からお詫びしたい。しかし、こんな判決に屈するわけにはいかない。

 東京高裁での原告団の闘いに、全国からの支援をお願いしたい。