(私の視点) シチズン・サイエンス 社会の課題、共有できる場 木村あや 朝日新聞 11 May 2021 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年5月11日 公開 |
4月は世界シチズン・サイエンス月間だった。シチズン・サイエンスは専門家ではない一般の人々が科学的なデータ収集に関与する。脚光を浴び始めたのは2000年以降で、米国では13年、欧州では14年にシチズン・サイエンス協会ができた。 日本には、シチズン・サイエンスという言葉こそなかったが、科学的データを市民自らが採り、社会運動の手立てにした歴史があった。 例えば1990年代から始まった松葉の研究は、生協を中心に、人々が各地で松葉を収集し、廃棄物焼却工場などからのダイオキシン汚染を調べてきた(末尾の注参照)。 04年に始まった遺伝子組み換えナタネ追跡調査もそうだ。日本は食用油の原料としてナタネを輸入しているが、多くが遺伝子組み換えである。運送の際にこぼれ落ち、各地の道路や港で自生・交雑が見つかっているが、市民団体や生協のメンバーが調べ続けている。 東京電力福島第一原子力発電所の事故後、各地にできた市民放射能測定所もその例だ。データ収集だけでなく、市民の知識・意識の向上を支え、1人では不安や疑問を口に出しにくい社会で、それを共有できる「場」としての機能も重要だ。 測定所の中には10年目を迎えたところもあり、測定所のネットワーク「みんなのデータサイト」は測定結果をまとめた土壌放射能汚染地図付き解説書を出版している。ナタネ調査も松葉のダイオキシン調査も既に20年近く活動を続けている。世界的に単発ものも多いシチズン・サイエンスの中、長続きする日本の経験は世界に示唆するところが多い。 長続きの理由はデータ取得に終わらず、市民同士の連携を強め、問題意識を共有し、市民の声を拡大することも目的としていることだろう。 コロナ禍で、様々な参加型プロジェクトが始まった。感染経路の追跡やウイルスの影響などのデータに期待が集まる一方、プライバシーや商業利用などをめぐり市民が安心、納得して参加できるかどうか課題もある。長期的な信頼関係を構築し、社会構造的な問題意識を根幹にしてきた日本の歴史は貴重だと思う。 環境・健康問題は科学データの有無、解釈についての論争がつきものだ。その際、専門家ではない一般の市民の声を反映させるにはシチズン・サイエンスの役割は重要だ。 公正、正義という機軸が不可欠で、市民の目が欠かせない。多くの日本のシチズン・サイエンティストは、地道に、しかし勇気をもって「市民」と「科学」の結びつきを深めてきた。単なる群衆でなく、物申す市民が行う科学は、現代社会が直面する様々な課題の解決に貢献できるだろう。 (きむらあや ハワイ大学マノア校社会学部教授) 注:松葉ダイオキシン調査監視活動 この活動は株式会社環境総合研究所の池田こみちが 事務局長となり、過去約20年間、総計15万人の参加 のもと継続している。学術的にも池田、青山、鷹取それ に現在恐らく世界一の規模となったカナダの分析機関 の担当者らが国際ダイオキシン学会に英文論文を何度 も提出、発表しており、いわゆるシチズン・サイエンス の域を大きく超え、学術的にも世界中の研究者の注目 を浴びている。また全国各地で起きている廃棄物処理 (焼却、埋立)をめぐる紛争、訴訟にも松葉ダイオキシン 調査の結果が証拠として提出され、大きな力となってい る。 私見ではシチズン・サイエンス協会が重要なのではなく、 行政、事業者を第三者的、科学的に(学術的を含め)監 視する精神と実務能力こそが大切であり、その観点から 市民を支援するアドボカシーの存在が重要だと思う。 この注は青山貞一が執筆 |