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点滴ボトル回収の疑問 

守 大助

2007年5月10日


 今日も皆さんに、半田郁子医師になって考えてもらい、点滴ボトル回収・保存が不自然ではないかと知ってほしい。

半田郁子医師が初めて血液・点滴ボトルを回収(採血)・保存したというのは、H121113日。4歳男児FESOPE後の急変時とされています。

急変時に半田教授が駆付け、病室で夫妻の目が合い、教授の視線が点滴へ、そして郁子医師へ視線が戻り、“点滴ボトルを取れ”という意味だと思い、そっと点滴スタンドから「抗生剤ボトル」を取り白衣のポケットに入れた。教授とすれ違う時に渡した。その時教授から“ブルート”(血液)と言われ血液を保存する意味と理解し、採血を指示した。保存されたもののうち、一部が検査会社へ提出されたが、1本保存用に残っていた。

(保存したとされている血清は誰が保存したか不明である。)

4歳男児で回収され保存されたのは、「抗生剤ボトル」1本と「血清」1本です。

次に回収・保存したのは郁子医師が主治医でないから助けられなかったという、H121124日。89歳で亡くなられた女性の時。以前も言いましたが、この日外来には半田教授が診察日でいるのです。疑いが確信へと変わっているのに、急変・死亡したことを夫婦で会話もされていません。郁子医師の判断で点滴ボトルを回収・保存すると決めて行動した。点滴スタンドから「抗生剤ボトル」を回収し、教授には伝えないで保存した、とされています。

この時、回収し保存したのは、「抗生剤ボトル」1本です。

この2件で共通するのは、点滴ボトル、しかも!「抗生剤ボトル」だけ回収ということです。1124日以降にも急変などがあれば、皆さんが郁子医師ならば、回収するのは「抗生剤ボトル」だけになりますね。なぜなら1113日の回収が初めてで、1124日もその通りにしているからです。

しかしH12123日。5歳男児・利尿剤事件とされている件での半田夫妻の回収・保存はとても不自然。前日に警察へ相談したと、何かあったら連絡するようにと対応されたとしています。123日急変処置前に警察へ連絡し、“点滴・血液”保存するよう指示される。

郁子医師は男児の名前が記載されている“点滴ボトル”を種類に関係なくゴミからも回収した。血液については本来医師ならば、病気と考え検査会社へ依頼もします。しかしこの時は、「保存」だけ目的で検査してません。教授については、無記名の抗生剤ボトル(生食100ml)をゴミから回収しています。111324日のように、急変したときに使用された点滴だけを回収でなく、ゴミからも回収している。

(以上6箇所の下線部は守氏)

まして病変を調べようともしない。患者の意識は低下しているのです。搬送先となる市立病院へは急変後4時間経っています。市立が受け入れするのに(混んでいて)時間がかかったというが、仙台には他にも病院があるのです。意識が低下していってるのになぜすぐに転送しないのか。これは急変原因が分かっているからではないか。病変を調べずに警察へ提出するだけなんてのは、まさに調べなくても原因を知っているからではないか。

そして点滴ボトルの回収を見ていると、実際はこの時が初めてだから(回収・保存という行為)、すべて患者名記載ボトル、それと無記名の抗生剤ボトルも“ゴミ”からも回収するのではないか。以前にしていた回収作業とは全く違う。それも一番新しい時期です。この日が初めてだからこういうことをするのではないだろうか。血液検査もしないで提出するのは、後遺症など残らない・出ないと知っているからではないでしょうか。

(以上1箇所の下線部は藤沢)

皆さん、この回収の違いに不自然を感じませんか。

守大助