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「想定内」であった
柏崎刈羽原発地震


朝原真実(旧姓斉藤)


掲載日:2007年7月27日


 中越沖地震を受けて、原子力安全委員会は、原発周辺の活断層等の地質調査の手引を29年ぶりに見直すことを決めた。原発の耐震設計審査指針は2006年に一足早く改訂されており、耐震設計の基本となる地質調査の手法の手引の見直しが待たれていたところであった。最新の科学的な研究成果を反映させるとのことだが、改訂は2008年度以降になる見通しで、柏崎刈羽原発の耐震性の検証作業には間に合わないと見られている。

 今回の中越沖地震による柏崎刈羽原発の「想定外」の被害によって、活断層の調査や評価が不十分であったという指摘が相次いだ。しかし、東京電力は柏崎刈羽原発建設着工翌年の1979年から1985年まで6年間ものあいだ、原発近くの沿岸や沖合の海底を音波調査しているのだ。その結果4本の断層を確認しており、更にそのうち1本が動いた可能性が指摘されていたにも関わらず、これらの断層は活動していないものとした。

 ところが、このうち1本が今回の地震の原因になったと見られているのである。この東電のミスを共に見逃したとして、設置許可を行った原子力安全委員会の審査にも不信の目が向けられている。

 地質調査については、実は2006年に改訂された新耐震設計審査指針を受けて安全性を調べ直すため、東電は今春まで地質調査をしていた。 しかし海底断層の実地調査は行っておらず、「おざなりの調査」と批判されていた。これに対して24日の記者会見で、甘利経産相は国の確認の対応が不十分だったと述べている。

 沿岸部の地質調査にもかかわらず海底の断層を調べないとは、本来の調査の役目を全うしておらず、故意に避けたとしか考えられない。そして国の対応が不十分というよりは、それを見逃さざるを得ない腹の内があるように思えてしまう。国は温暖化対策=CO2削減を錦の御旗に、今年3月に改訂されたエネルギー基本計画で原発の更なる推進を盛り込んでいる経緯がある。

 20日〜24日まで海上保安庁を駆り出して、柏崎市などの沖合約12km、幅約30kmの震源を含む海域の音波調査をあらためて行ったが、今更である。1979年当時6年間もかけて行った音波調査の意味が全くなかったということである。陸地では1ヶ所の活断層で、調査費が約1〜3,000万円、大規模な活断層だと数億円とも試算される。海底の断層は更に数倍コストがかかるという。そのような莫大なコストを無意味な調査に投入したとあれば、電気料金を払っている我々としても看過できない面もある。

 さて、今回の地質調査の手引を改訂することによって、果たして今後このような活断層の過小評価が無くなるのであろうか?答えは「否」である。これは手引が改訂されたところで解決する問題ではない。何故なら、地質調査の評価手法に問題があったから活断層の適正評価ができなかったのではなく、電力会社は最初から活断層の存在可能性やそのリスクを知っていて無視していたのである。「想定内」と言わざるを得ない事態なのだ。

 というのも、柏崎刈羽原発計画が持ち上がった当初から30年来反対運動を続けている住民団体が、直下型地震を引き起こす活断層の存在とその危険性について再三東電に警告していたのであった。

 反対運動を続けている団体のひとつである原発反対刈羽村を守る会の武本和幸氏は、東電が認めないこの「不都合な真実」について今回の地震が起こる「前」である2006年11月にまとめて表明している(「原子力資料情報室通信」389号掲載、2006年11月1日)。
柏崎刈羽原発の地震地盤論争と新指針
(原子力資料情報室HP掲載)
http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=445
 それによると、柏崎はもともと石油産業発祥の地であり、原発計画以前から石油関係者により綿密な地質調査が行われていた土地であるという。そのため、地質についての情報は豊富にあった。原発計画発表後の図面では発表されるたびに炉心の位置が変わっていたことから、地盤に欠陥があるためではないかと感じた団体は、石油関係者や地元研究者の見解を根拠に、東電に危険性を繰り返し警告してきたという。

 もちろん、原発が存在する地盤が活発な構造運動をしていることも、数値データで科学的根拠を示しながら再三指摘してきた。しかし東電はそれでも「活動が認められない」としたのである。もし構造運動が認められるとすれば、安全性を考慮して原発を建設することは出来ない。それでは東電はまずかったのである。そうでなければ、豊富なデータと専門家の意見に裏付けられた住民の声を無視するわけはない。無視すべきではない。

 また、同団体は、想定地震が小さすぎることをも指摘してきていた。前掲の誌面を引用すると、
 「新潟県中越地震が起こる10日前の2004年10月13日、政府の地震調査委員会は長岡平野西縁断層帯に関して「断層長さは83km、地震の最大規模はマグニチュード8、発生確率は国内活断層の中でやや高いグループ」との評価を発表しました。東京電力が選定する断層の長さは、地震調査委員会の指摘する断層の2割しかありません。選定される地震がM8.0ではなくM6.9では、地震エネルギーが45分の1となり、敷地の揺れは大きく異なる
ことになります。

 断層長さから地震規模を求め、地震規模と震源距離から揺れを算定する手法(松田式に基づく大崎の方法)が、実態と異なる過小評価になることが指摘されています。新指針では断層モデルによる方法も取り入れられましたが、申請者の恣意性が残され、従前より甘い運用もありうることが指摘されています。
(略)

 小さな地震しか想定せず、誤った手法で小さな揺れしか想定せずに設計・施工した施設の老朽化が進んでいます。全国で運転から30年を越えた老朽炉が10基を越えました。柏崎刈羽1号炉ですら運転から20年を越えてしまいました。地震調査委員会が想定する地震が起これば老朽化した原発は耐えられないことになります。」(引用以上)
 想定外の規模の地震が起こりうることは、指摘されていたのである。

 更に、同団体は事業者・国の安全審査で地盤の真相解明は出来ないと言及している。それは地質調査を受託したコンサルタントがデータを事業者の良いように改ざんしてしまうからである。ボーリングデータの差し替えや、記録書き換えが内部告発された事実もある。

 何から何までが、東電が書いた筋書き通りに事を進めてきた結果なのであり、全てが「想定内」であったとしか言いようが無い。

 原発反対刈羽村を守る会・武本和幸氏は自身も被災されたにも関わらず、20日に経済産業省への申し入れのため上京した。原子炉設置申請と許可の前提が間違っていたこと、よって国は許可取消、東京電力は免許を返上すべきと主張した。運転の差し止め訴訟の係争中であり、現在、最高裁で争われている。

 その様子は下記にリンクする記事に詳しい。記者会見時の武本氏他のインタビューも見ることが出来る。
国は設置許可を取り消すべき・柏崎刈羽原発
(JANJAN記事2007/07/21)
http://www.news.janjan.jp/world/0707/0707200426/1.php
 特筆すべきは、武本氏はインタビューで、原発の運転再開はすべきでないと言及している。今回の地震では弾性変形の限界である300ガルを超え、塑性変形のレベルまで到達してしまった(※著者注)。つまり、施設内は機械的に正常に機能しなくなったと言えるのである。原発の運転再開について、柏崎市長は、耐震設計の見直しを含めた議論のうえで安全性が確保されない限り再開は認めないとしている。現在の施設を安全に再開することは、もう不可能と言っても過言ではないだろう。

 武本氏は、この点について、明解にして皆が理解できるように示したいとの意向を示しているが、自分も被災しているからなかなかできない、と悔しさをにじませた。
※著者注:
物体(固体)にある一定の強さの力までは加えても後で元に戻るが、その強さ(限界点)を超えるとその力を除いても元に戻らなくなる。限界点を超えるまでの変形を弾性変形と言い、超えた後の変形を塑性変形という。一般的に地震等で塑性変形してしまった建設物は補修不可能と見なし、倒壊しなくても立て直しを余儀なくされることがある。それが原子力発電の施設となれば何をか況やである。
 日本は地震列島である。 直下型地震を起こす未知の断層は無数にあり、特に原発が立地する沿岸部は調査が難しく把握するのは困難であるという。

原子力は甚大なエネルギーであり、一瞬にして何千人何万人もの命を奪う危険性を伴っている。

 本来、どれだけ耐震性を含めた安全基準を設けたとしても「安全」と断言することは出来ないエネルギー源なのだ。それでも出来うる限り最大限の安全を担保しようとすれば、その命綱は活断層の有無にかかってくるのである。活断層は最もコンシャスになるべき問題なのだ。

 それなのに、地質調査も行い、地元住民の警告も耳に入れたうえで活断層を過小評価(というよりかは無視)したとあれば、安全性を二の次に考えているとしか言えない。そのような体質で、どの手引や基準を改訂したとしても、同じ不幸が繰り返されるだけである。

 将来的には諸刃の剣である原発から、自然エネルギーへの移行をしていくべきである。しかし、現在原発の稼働が免れないのであれば、電力会社や国の意識こそがまず「改訂」されるべきである。