<連載> 世界二大運河通航記 パナマ運河編(4) 阿部 賢一 2006年12月20日 |
4.9 アメリカ橋 ミラフローレス閘門を出ると、前面に大きな鉄骨のアーチ、アメリカ橋がパナマ湾に架かっている。そして、多数の自動車が通行しているのが見える。 アメリカ橋は鋼製アーチの吊りデッキ構造、圧倒的な巨大さで目の前に迫ってくる。太平洋玄関口に相応しい構造物である。 トパーズ号の左手には、まずヨット係留池があり、つづいてバルボア港の岸壁が見える。コンテナ・クレーンが林立しているが、荷役中の船舶はない。その背後には遠くパナマ市中心街の高層ビル群が遠望できる。 図−17 太平洋出口へ向かう 前方はアメリカ橋 図−18 バルボア湾コンテナ・ターミナル 遠景はパナマ市の超高層ビル群 アメリカ橋は、高さ118m、全長1,655m、海面から橋桁下までの高さは61.3〜106m、鋼製アーチ橋である。設計はスヴェルドラップアンドパーセル(米)、施工は、ジョン・F・ビーズリー社(米)である。 パナマ運河建設に伴い分断された陸地をつなぐ道路橋である。工費は2千万ドル、南北アメリカ大陸を結ぶ高速道路の重要な位置を占めている。アメリカ橋開通以前の約30年間、この区間はフェリーが運航していた。運河両岸には当時の岸壁が残されており、在りし日の面影を確認できる。 アメリカ橋は、1958年12月23日、パナマ駐在アメリカ大使とパナマ大統領が出席して着工式典が行われた。着工当時は、サッチャー・フェリー橋と呼ばれており、モーリス・H・サッチャー氏が完成開通式典でテープカットしたのだが、開通後しばらくして、アメリカ橋と呼ばれるようになり現在に至っている。 実際の工事着工は1959年10月12日、約3年を経て完成、1962年10月12日、開通記念式典が挙行された。1998年には車線の増強工事が行われた。 アメリカ橋の西側、ハイウェイに接続してすぐの場所にサービスエリアと展望台が右側にある。 アメリカ橋を背景にした写真撮影お勧めのスポットだが、あまり視界は広くない。むしろ、1999年12月、パナマに返還されたエル・アマドール米陸軍基地跡がお勧めのスポットである。その場所はアメリカ橋の直下にあり、アメリカ橋が大きく写真に撮れる。バルボア・ヨットクラブもよい場所である。ヨット・クラブまではパナマ市下町からタクシー料金3ドル以内で、アマドール基地跡にもアメリカ橋展望台にも行ける。 トパーズ号は午後4時、アメリカ橋の中央部直下をくぐり抜けて太平洋にでた。大きく海原が広がる太平洋、これから南米大陸西岸に沿って南下し、一路、ペルーの首都リマの郊外、カヤオに向かって航海を進めた。 図−19 アメリカ橋をくぐり抜けた。 パナマ運河にさようなら 5. 運河近代化と改修工事 パナマ運河の予想される通航量増大に対処して運河のインフラとしての機能を時代に合わせて高度化し改善するための意欲的な投資プログラムが1996年から着手されている。このプログラムの目標は、インフラとしての機能充実、オペレーションの安全およびセキュリティ確保などを向上させ、顧客へのサービスに努めることである。そのために、システムや装備の増強及び更新を進めてサービスの質的効率的向上を図る設備投資を行うものである。 これらの核となるいくつかのプロジェクトは、運河のオペレーション能力を高めるために、水路全体にわたり柔軟な通航スケジュールを実施し、運河オペレーションの分断をできるだけ少なくしようとしている。 ◇ゲイラード水路拡幅 運河を通航する船舶は年々大型化してきた。パナマ運河通航可能なパナマックス船の数が、2006年には大洋航海船舶の半数以上となる。 水路拡幅プログラムは、これらの船舶の通航需要に応えるものであり、最狭部ゲイラード水路でのすれ違い通航(水路2本設定)の安全を確保するものである。このプログラムは予定よりも早く実現させることができた。 水路拡幅の結果、ゲイラード水路での一部区間の一方向通航制限が大幅に解除された。 しかしながら、船長270m以上の船舶の通航促進を図るために、一部の曲線区間の直線化工事が開始された。 ◇パライソ・タイアップ・ステーション ゲイラード水路拡幅プログラムの結果として、パライソ・タイアップ・ステーションはクカラチャ・リーチ(入り江)に移動した。 このステーションは、運河通航中に故障を起こして運行不能となった船舶の係留区域となる。また水路停止状態や通航需要の多い間の船舶の待機区域ともなる。パナマ運河庁では、運河の交通需要の増大に対処するためにもう一ヶ所、タイアップ・ステーションを設けるべき検討中である。 図−20 パライソ・タイアップ・ステーションを望む つづく |