信州自然探訪(5) 小布施町 その2 青山 貞一 掲載日:2004.7.17 |
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小布施堂界隈のメインストリートは何と「木」そのものによる透水性舗装 小布施のまちづくりを見ると、いわゆる法定の都市計画や土地利用、それに街路、道路、公園などの公共事業が、いかに歴史と文化となじまないか、が分かる。また、それらの公共事業が身近な自然、環境、さらにそこに住むひとびとや生業者を駆逐する「ハコモノ」を再生産してきたか、も本当によく分かるのである。 建築物をとっても、現代社会では、あえて言えば、ひとりよがりの建築家が、ちんけな建築物をまち全体との関連性や調和なしに、安直に請け負い、無造作に建ててきたかを反省させられる。 黒を基調としたシックなデザインがそそかしこに 市村良三さんのお話を伺い、実際に歩いてみて小布施のまちづくりで感じたのは、まちづくりは、単に「官から民へ」ではなく、「サラリーマン的な民から生業をもつ民へ」でなければ、なかなか本物はつくれないと言うことであった。 とくに強く印象づくられたのは、「グランドデザインのないまちづくり」と言う言葉の意味だ。通常、グランドデザインは、全体的調和、構成などを考慮するために行われている。だが、小布施堂界隈のまちづくりで感じたのは、マスターアーキテクトなりプランナーによるグランドデザインがなくとも、「時を超えて息づく潤い」が感じられる歴史と文化、それに自然、環境と共生するまちができることだ。 これは田中康夫さんがディーテールにこだわることと相通ずるものがある。 アイス屋さんもこのとおり 今回小布施町でお会いしたのは、副社長の市村さんだが、以前、長野県上田で小布施堂の社長で長野県都市計画地方審議会の会長もされているの市村次男さんにお会いしたことがある。そのとき、市村さんが日本のまちづくりはあくまでも沿道中心であるが、本来、沿道中心のまちづくりはおかしいとおっしゃっていたことを思い出した。 実際、小布施のまちづくりは沿道が中心ではなく、まさに家と家の間の路地や小道、隙間が大きな時空を提供している。他方、本店が面する沿道は、結構、自動車の交通量が多く、せっかくのまちを台無しにしているようだ。 小布施堂界隈のまちづくりは、言うなれば京都にも金沢にもない、独自の時空を生業を営みここに生活しているひとびとが形成している点ですばらしい。 その3へ
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