◆はじめに〜環境行政改革フォーラムとは〜
環境行政フォーラム(以下、フォーラム)は、環境行政の質的な改革を目的とし1992年に設立された非営利の政策提言団体である。
フォーラムは大学、シンクタンク、弁護士、NPO、政策秘書、議員など、環境科学、環境政策、環境法を専門とする約200名から構成され、全国各地で主として公共事業がもたらす環境問題の解決に日夜尽力している。
フォーラムは、設立の目的を達するため、行政改革のみならず立法改革や司法改革にも日夜取り組んできた。省庁、自治体などの政策立案の段階で開催される審議会、検討会などへの意見書、パブリックコメントの提出、公聴会への参加、立法分野では国会の予算委員会、環境委員会、国土交通委員会、総務委員会などで審議される重要法案や法改正への参考人や公述人としての参加、さらには公共事業を計画、実施する国、自治体、公団などに対する行政、民事を問わず各地で行われれる訴訟の提起や証人出廷などを行っている。
周知のように、環境問題の領域では、著しい影響や被害が生じてから事後的に問題解決、すなわちその事後救済にあたることよりは、いかに予防的、未然防止的な対応や措置をとるかが従前より大きな課題となっている。したがって、本稿でもその観点から言及したい。
◆環境問題解決上の課題
フォーラムは、過去十年以上、著しい財政負担や環境負荷・影響をもたらす国、地方の政策や大規模公共事業につき行政、司法、立法それぞれに政策提言してきた。政策提言では次の三つの観点を重視している。
すなわち、第一に計画されている事業に社会経済的な<必要性>があるかどうか。 次は計画や事業を科学面、環境面から見た<妥当性>があるかどうか、そしてその第三として、計画や事業の立案、決定過程で適正手続的面での<正当性>があるかどうかである。
上記3点、すなわち<必要性>、<妥当性>、<正当性>を第三者的立場で精査、評価する重要な手段として司法の役割と期待があると思う。
行政訴訟、とくに環境問題に関連した取り消し訴訟、差し止め訴訟などの抗告訴訟では、いわゆる訴えの利益と処分性との関連で実質審議に入れない。原告側が門前払いとなる事例が多い。このことは過去から現在に至るまで大筋で変わっていない。
その意味で環境問題の解決に係わる行政訴訟は、まさに深刻な機能不全に陥っていると言っても過言ではない。まれに初審で勝訴することはあっても、上級審で簡単にひっくりかえる。また国、自治体は控訴、上告することは人材、財政、情報のいずれもの面でも容易である。しかし、NPOなど環境関連団体は、人材、財政、情報のいずれの面でも国、自治体に比べ脆弱であることが多い。
民間事業者を相手とした訴訟であれば和解によって実質的勝訴となることも多々ある。だが国、自治体相手の行政訴訟では、途方もない忍耐と労苦を覚悟しなければならい。まれに行政訴訟で初審で勝訴したとしても訴訟中も開発事業は進み、勝訴が確定した時点では事業が完了していると言う笑えない現実もあるのだ。
いうまでもなく環境問題の多くは不可逆的な過程をたどる。したがって、著しい影響、被害が生じてから対応をとるとさまざまな損害、対策額は急激に増大することになる。その意味で、環境問題ではどうしても、未然防止的あるいは予防的な対応が重要なものとならざるを得ない。
ところで、現在生じている環境問題の多くは、ダム、道路、埋立など公共事業に起因している。それらの公共事業は当然のこととして国、自治体により巨額な公的資金がをつぎ込まれる。その結果、いわゆる累積債務が増える。これは費用対効果を考慮し行政経営を行うべき時代にあってきわめて重要なものとなるだろう。
かかる時代状況に適切に対応する上での司法のあり方が望まれる。そこでは差し止め訴訟や取り消し訴訟など抗告訴訟を起こしやすくすること、同時に戦略的環境アセスや環境影響評価などいわゆる手続法や各種行政計画の策定過程にあっても行政訴訟が有効に機能することが大きな課題となるだろう。
フォーラムの主要メンバーでもある阿部泰隆神戸大学院教授が行った判例調査によれば、民事訴訟や国家賠償訴訟、さらに住民訴訟、情報公開法にもとづく行政訴訟を別とすれば環境問題に係わる行政訴訟、とりわけ抗告訴訟は、実質的に機能不全となっていることが強調されている。日本国内の多くの環境保護団体にとり、最後の頼みの綱であるべき訴訟の多くが機能不全に陥っていること自体、社会的にみても大きな損失であると言える。
以下、上記の視点に沿い改革の課題と要点を指摘したい。
◆行政訴訟制度の具体的課題〜立法過程における課題〜
課題の第一は、立法行為に関するものである。
周知のようにわが国の現状では大部分の行政法が政府提案法案(内閣法)として制定されている。ここでの最大の課題は、「泥棒に金庫番」、「猫にカツブシの番をさせる」にある。本来、行政法の制定、施行により国民的見地から効果を期待すべきものの多くが、内閣法であることにより、実体法、手続法を問わず、制定、施行される法における行政機関や官僚の裁量が非常に大きなものとなる。その結果、行政機関の都合、解釈により法が有する本来の効果、趣旨がねじ曲げらる可能性が大となる。
しかるに、立法行為そのものを行政機関や官僚の解釈、読み方、すなわち裁量によらず効果を発揮しうるよう、さまざまな実体法にきめ細かく、諸権利、とくに環境に係わる権利を、また行政の義務、計画法の場合は計画策定の期限、規制法の場合は明確な基準などをきめ細かく書き込むこと必要がある。憲法との関連もあるが、環境権、人格権と言った権利を明確にする必要もある。
さらに社会経済行為のなかで環境配慮がこれほど重要となっている時代はないが、従来の都市計画法そのものに「環境」的配慮に係わる条項がほとんどないことも大きな課題として指摘できる。21世紀は環境の時代であり、まちづくりの基本となる都市計画関連法制に環境保全、環境配慮を明確に書き込む必要がある。
筆者は、過去10年間で9回にわたり環境法の制定過程で国会の環境委員会、予算委員会などに参考人や公述人として意見を述べてきた。しかし、その大部分は、内閣提出法であり、意見を述べた直後に委員会段階の裁決となっている。これは専門家の意見が単なる話を聞いたと言うアリバイにしか扱われていないことを如実に示すものと言える。
同様に、法案が国会の各種委員会で審議される以前、あるいは最中に内閣法を提出する主務省庁と他の省庁間で各種の覚え書きがとりかわされている常態がある。これら委員会審議そのものを形骸化、空洞化させている現実も見逃すことはできない。仮に議員提案法案の場合であっても、法の「骨格」を衆議院法制局や参議院法制局の支援を得、議員側がつくったとしても、法の「皮」、「肉」さらに「血」を省庁が埋め込む実態がある。具体的言えば、政令、省令、規則、技術指針などの制定が行政機関の専管事項的になっている現実がある。これらにどう対応するかも大きな課題である。
したがって、司法制度改革と平行し立法による行政の徹底したコントロールが不可欠となる。そこでは行政の裁量をいかに極小化し、誰が見ても読んでも分る実体法とすることも問われる。その実体法をもとに行政訴訟が起こせるようにすることが肝要である。
◆行政訴訟制度の具体的課題〜原告適格性〜
第二のポイントは、いうまでもなく原告適格性である。もちろん、行政訴訟の機能を回復するためには単に原告適格を拡大することはと言うことだけは不十分である。
具体的には、上述のように個別の実体法を拡充するあるいは行政事件訴訟法を改革し、、そのなかに米国の環境法のように、市民訴訟条項を組み込む必要がある。この米国における市民訴訟では、日本の地方自治法における住民訴訟制度が財務会計上の問題、すなわち公金の不正、不当な使用などに限定され、政策、施策に係わる紛争の解決を回避しているのに対して、たとえば実体法の場合、市民団体が原告適格性を得、米国大気浄化法や水質汚濁防止法などの目的、政策、施策に踏み込んで実質審議ができるものとなっている。事実、この市民訴訟条項により、米国の大気浄化法においては、大気汚染と自然環境保護に係わる重要な改定がシエラクラブの環境保護庁官に対する提訴の結果の行われている。
わが国では遺憾ながら、二年前、地方自治法一部改正によって住民訴訟制度が大幅に改悪され、市民団体にとって数少ない行政訴訟制度の活用が門を閉ざされている。
さらに米国では実体法やその規則に環境的な権利義務を明確に書き込むだけでなく、私人、住民が行政訴訟を起こしやすくするために、実体法のなかに市民訴訟条項を入れることにより、訴訟を起こしやすくしている。ここに大きな特徴があると言える。
一方、ドイツでは団体訴権条項がある。団体訴権制度は、あらかじ環境NPO/NGOなどの市民団体を一定の用件に基づき登録し、当該団体に行政訴訟の原告適格を認めるというものである。
いずれにしても、わが国で環境訴訟に関連して、行政訴訟を環境NPO/NGOなどが活用しやすくするためには、行政事件訴訟法の中に市民訴訟制度を含めるか、個別の事業法、環境法など行政計画法のなかに市民訴訟条項を組み込む必要がある。
◆行政訴訟制度の具体的課題〜処分性〜
3つ目のポイントは処分性である。約30年間、国(霞ヶ関)や地方自治体の政策立案の支援をしてきた経験からすると、行政訴訟の機能不全を解決する上での問題の本質は、この政策立案や計画立案を対象にどう司法審査を適用するかにあると考える。つまり、公共事業の構想、計画段階、また総合計画、広域計画、土地利用計画など、比較的確定性の低い、計画熟度が低い段階で裁判を起こせるようにするかが問われる。これらの計画立案分野は後続の物的施設計画を拘束すると言う意味で重要である。この段階が行政の密室のなかでの専管事項となると、いわゆる開発系公共事業の暴走を食い止めることはきわめて困難となる。
構想や計画の段階における情報公開をおろそかにし、政策や計画の代替案を設定し、それらを比較分析せず、事業実施を前提とした環境影響評価を行っても、財政や環境に著しい影響をもたらす可能性がある公共事業の計画内容を変更させたり、中止させることはきわめて困難である。その結果、公共事業実施に係わる司法審査は、まさにドン詰まりの土地収用法の適用段階にまで持ち越されることになる。しかし、その土地収用法も数年前に土地の強制収用を容易とする制度に改悪されている。これでは本末転倒である。
本来あるべきは、構想、計画の段階から冒頭で述べたように、その社会経済的な<必要性>、計画、事業の<妥当性>、そして適正手続面での<正当性>を評価、審査する法制度的な仕組みをつくることであり、比喩的に言えば、「ブルドーザーが入る前日に」改正土地収用法により公共性の有無に係わる公聴会をアリバイ的に開催するのは本末転倒である。
筆者は30年以上も前、米国連邦議会でジャクソン上院議員ら議員立法で制定した国家環境政策法、通称NEPA(National Environmental Policy Act)と言う手続法を詳細に調査する機会を得た。当時、大統領府(CEQ)におり後にコーネル大学で公共政策を担当したニール・オロフ教授は、「この米国の環境アセス法である国家環境政策法を生かすのは、一にも二にも行政機関にいる官僚や環境コンサルタントを裁判の場に引きずり出し、証言させることであると」言っている。
この国家環境政策法の大きな特徴は、ダム、道路など個別の開発事業だけでなく政策、財政、計画など行政行為全般を対象としていることにある。政策や意思決定過程を対象に政策代替案作成を義務づけ、情報公開を前提に司法審査が可能であることにある。これはジャクソン議員の立法主意の説明にあるように、手続法への司法審査を前提に「連邦行政のより高い、より早い段階から環境配慮を盛り込むこと」が同法の最大の効果と言えよう。。
米国の環境アセス制度における行政訴訟では、計画の段階から多様な行政行為を対象に原告適格を大幅に認め、敏速に実質審議に入ることにより、公共事業がもたらす財政と環境への著しい影響を事前に抑制することが可能となっていると言える。
具体的にデータを示すと、国家環境政策法を根拠として、1970年から1977年末までに施行された連邦行政行為を対象とした環境アセスメント総数の約9%(938件)が提訴を受け、その32%に原告適格が認められた。さらにその25%(1/4)において原告側の主張が認められている。
◆行政訴訟制度の具体的課題〜公平性〜
最後のポイントは、行政訴訟における原告、被告の間での訴訟実務をめぐる公平性の問題である。
環境訴訟は、行政、民事を問わず科学的、専門的な事項に係わるものが多いのが特徴である。これが裁判の長期化の主な原因となっていると言ってもよいだろう。この場合、被告となる国、自治体など行政側は、多くの人材、費用、情報を有している。これに対し、原告側は通常、人材、費用、情報すべての面で厳しい状態にある。したがって行政訴訟において社会的公平性を確保するためには、原告側を専門的、実務的に支援する人材と資金の確保が大きな課題となる。
これら公平性に係わる問題を解決するためには、原告側が国、自治体などの行政機関に勝訴した場合、被告側が原告側の弁護費用とともに、原告側を支援する専門家の協力や証拠、意見書、陳述書などの作成に要した費用を一定基準のもとに負担することが望まれる
米国の行政訴訟ではこれが実現しており、上述の国家環境政策法に係わる訴訟で有名な天然資源防衛委員会(NRDC)や地球正義(EarthJustice)など弁護士や専門家を擁するNGO/NPOの財源負担を軽減しているとされている。
これについては、日本弁護士連合会も、「国民が利用しやすい司法の実現」及び「国民の期待に応える民事司法のあり方」(2000年6月13日)の「片面的敗訴者負担制度」の項で、行政訴訟、国家賠償訴 訟にも上記の趣旨に類する内容を実現するよう提案しており、行政事件訴訟を制度面とともに実体面から改革する上できわめて重要なものとなると思われる。 |