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信州 山口村閉村式 挨拶
信州・長野県知事 田中康夫

掲載日:2005.2.8

出典:長野県HP

 信州・長野県の一員であった山口村に暮らす人々と風土が、県境を越えて美濃・岐阜県へと移管される日が近付いて参りました。

 南木曽町と山口村の皆さんを対象に車座集会を開催した3年前、私が初めて馬籠の地を訪れたのは小学生の時分だった、とお話ししたかと思います。両親と妹と共に妻籠から鬱蒼とした森林の峠道を歩き、馬籠に到着した私は、遠く濃尾平野へと連なる美濃・岐阜県側の大地を眺め、木曽は山の中に在るのだ、と子供心に改めて鮮烈な印象を受けた記憶が蘇ります。未だボンネットバスが走っていた往時の出来事です。

 星霜を経て私は、信州・長野県の地勢と県勢が今後、大きく変貌していくであろう萌芽とも呼ぶべき「越県」合併問題に県知事として立ち会う数奇さを、ここ数ヶ月に亘って自身の中で反芻し続けてきました。

 日本列島の背骨に位置し、数多の水源を擁する信州・長野県は、それぞれに異なる風土と歴史の下、同じく少なからず異なる気質の県民が暮らしています。

然し乍ら、県歌「信濃の国」を唱和する際には、そうした様々な風土と歴史と気質の違いを乗り越えて、恰もフランス国民が国歌「ラ・マルセイエーズ」に愛着を抱くが如く、県民は心を重ね合わせるのです。正に、信州・長野県に暮らす私達にとっての精神的支柱として。

 而して、信州人にとってのもう一つの精神的支柱は疑いなく、文豪・島崎藤村でありましょう。であればこそ、戦後の混乱期にも拘らず、全県下から藤村記念館建設の為の浄財が寄せられたのです。彼が生まれ育った馬籠も、その意味に於いては信州人の精神的支柱と言えます。

 220万県民に奉仕する長野県知事としての私は就任以来、心優しき目線を少数者や弱き者に対して向けるサーヴァント・リーダーたれ、と自身に課してきました。

全国4番目の広さを擁し、8県と接する信州・長野県の各地で、今この瞬間も学び、働き、暮らす人々、別けても、山間や県境の地に生活する県民の皆さんと、引き続き、私は歩んで参ります。願わくは、山口村に生まれ育ち、或いは移り暮らしておられる方々が今後も、信州人としての自分を顧みる瞬間を時として抱かれます事を。

以上、木曽郡山口村の閉村に当たり、信州・長野県知事としての感懐を申し述べました。どうも有り難う御座います。