末期的症状を呈する自民 その7 靖国神社問題 青山貞一 掲載日2005.8.16、9月10日改定 |
毎年、首相や閣僚、国会議員らの参拝を巡り、国内ばかりか中国、韓国で論議を呼ぶのが靖国神社問題である。今年も、終戦の日の2005年8月15日、小泉内閣の閣僚のうち、尾辻厚生労働大臣と小池環境大臣の2人が靖国神社に参拝した。また郵政民営化法案に反対した野田聖子議員らも参拝している。今年8月15日に参拜した国会議員は47人、昨年の65人よりは減ったもののかなりの数だ。 靖国参拝問題は、憲法改正問題同様、自民党の歴史認識や憲法観を示す重要な指標であり課題である。それは郵政民営化や道路公団民営化、さらには構造改革、行財政改革とは別に自民党議員に共通した重要課題でもある。 首相や閣僚が中国、韓国との間でフリクションを起こしてまで参拝する靖国神社とは、一体どのような神社なのか? なぜ、参拝することが問題なのか? アジア諸国や憲法とどう関係するのか? 靖国神社への首相や閣僚、国会議員の参拝は単に戦争中亡くなった兵士への追悼であって中国や韓国から文句を言われる筋合いのないものなのか? 果たして、彼らの周辺アジア諸国への歴史認識、靖国問題への基本認識は、根本的に間違っていないのか? ここではそれらについて問題にしたい。 この夏、2005年8月13日と14日、NHKスペシャルが以下の特集番組を放映した。 2005.8.13 終戦60年企画 靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜 2005.8.14 終戦60年企画 戦後60年 靖国問題を考える NHKスペシャル番組の製作意図は以下にある。 <NHKスペシャル8月13日分> そもそも靖国神社とはどのよう神社なのか、それを考える上で、重要な資料が次々と発見され公開されている。 戦前、陸海軍省が管轄していた靖国神社は、軍国主義の象徴と見なされていた。 終戦後、GHQは靖国神社を廃止することを検討し、国家と神道のつながり、すなわち国家神道を断とうとした。 だが、靖国神社は生き残った。そこには、占領政策を円滑に遂行しようとするアメリカの思惑や、日本政府、旧日本軍、神社関係者の戦略があったといえる。 番組では、日米に残された膨大な資料や関係者の証言から、靖国神社が一宗教法人として存続するまでの攻防を描く。 <NHKスペシャル8月14日分> 戦後60年の今年、靖国神社をめぐる問題が、国内外で大きな焦点となっている。 首相による参拝の是非など、靖国神社をめぐる問題を私たちはどう考えればいいのか。 靖国問題をめぐる歴史をたどりつつ、有識者が討論する。番組では、戦後、靖国神社には誰がどのように合祀されてきたのか、なぜ、A級戦犯が合祀されることになったのか、などを当事者の証言と資料で歴史的に検証。そして、参拝の是非や追悼のあり方、歴史認識の問題などについて議論を深める。 上記NHKスペシャルで最初に問題としていたのは、国家神道(こっかしんとう)である。 Wikipediaによれば、国家神道(こっかしんとう)は、「明治から第二次世界大戦の敗戦までの間に日本政府の政策により成立していた国家宗教あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称である。文面上は信教の自由を明記した大日本帝国憲法下の政府見解では、「神道は宗教ではない」とされており、神社は内務省の神社局が所管し、神社の造営なども公費で行われていた。第二次世界大戦後、GHQにより「神道指令」が出され、国家神道は解体した。」とある。 国家神道についてもうひとつ見てみよう。 『1945年以降の神道』(1965)によれば国家神道は、次のように記述されている。 「もともと日本人のあいだにあった語ではない。太平洋戦争後占領軍が使用したところから一般化されたもの。国家の支援や管理のもとに行われた神道をいう。 1945年(昭和20)の占領軍神道指令に〈国家神道,神社神道ニ対スル政府ノ保証支援、保全監督及ビ弘布ノ禁止〉〈国家指定ノ宗教乃至祭式ニ対スル信仰或ハ信仰告白ノ強制〉とあるが、国家神道を定義したものはない。 この指令は、一般に日本国憲法第20条・第89条から,わが古典にもとづく国体観や思想または信仰までも禁止されていると考えることは、信仰の自由・思想の自由という日本国憲法に反することとなる。 神道指令もナショナリズムを禁止していない。排されたのはウルトラ=ナショナリズムである。1965年の国際神道学会議で、神道指令の実施にあたったが,指令は軍国主義の廃絶を目的とし,宗教への攻撃ではないといっている。」 NHKスペシャルの第一日目では、靖国神社をめぐる「ダブルスタンダード」、すなわち、靖国神社が第二次世界大戦前、日本の軍国主義の精神的拠り所となっていたこと、また靖国神社が旧帝國陸軍省と海軍省が管轄していたことに象徴されるように、単なる一神社ではなく、国家神道、すなわち国家と神道との合体を象徴する神社であることがまずもって重要なものとなっている。 日本が敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領体制がはじまるが、GHQは靖国神社を軍国神社すなわち「国家」と「神道」が合体した神社として把握している。そのうえで、靖国神社そのものの廃止を構想する。他方、靖国神社、旧軍部、政府関係者はありとあらゆる手段を使い靖国神社そのものの存続を画策する。 GHQの思惑と靖国神社派の思惑の間での激しい葛藤を経て、GHQは次のような判断をくだす。すなわち、日本国憲法第20条及び第89条にある信教の自由の観点から一宗教法人として靖国神社の存続とを認める。その前提は、政教分離であり、国家と宗教との関係を明確に絶つことであり、天皇陛下の参拝も行わないこととであった。 日本政府はその後、東京国際裁判の判決内容に合意する。そのなかで、サンフランシスコ講和条約を1951年に締結、翌年の1952年、GHQは日本から撤退する。こうして米国による日本占領体制が終了した。 GHQ撤退後、靖国神社、旧軍関係者、政府関係者らは、次第に靖国神社と国家との「関係回復」を試みるようになる。しかも、昭和天皇の靖国参拝も数度にわたり復活し、さらに勅使派遣の形で参拝を続ける。 他方、東京裁判で有罪判決を受けた戦犯が順次、恩赦、釈放される。A級戦犯も政界に復帰することになる。日本政府は戦後処理の一環として、戦争の犠牲となった軍人、軍属の実態調査を進め、年金その他の補償体制を整える。 それらの調査を元に、戦争犠牲者の名簿を靖国神社に提供、靖国神社は名簿をもとに戦死者を合祀するようになる。その過程で、「戦犯だけを差別するのはどうか?」との意見が出る。結果としてB級及びC級戦犯が、最後はA級戦犯すら靖国神社に合祀されることになった。 上記の戦犯合祀の事実が分かると、国内だけでなく、中国、韓国だけでなく米国で批判が起こりかねないと判断した靖国神社は、この合祀事実を当分の間公表しなかった。 以下の戦後歴代首相の参拝情報にあるように、歴代の首相が靖国に参拝する。8月15日に最初に参拝した首相は、三木武夫である。その後、中曽根総理が毎年8月15日に靖国参拝するが、中国初めアジア諸国から猛反発が強く起こり、翌年以降参拝を中止し、以降、首相の8月15日参拝はされていない。
靖国神社は、かかる変遷を経て、現在、国内外に次の異なった2つの基準をもつようになる。すなわち憲法九条同様のダブル・スタンダードである。 すなわち、中国、韓国、米国など対外的な理解として靖国神社は国家、国体とは無縁な純粋な一宗教法人とされている。他方、国内的にはA級戦犯までが合祀をされる国家及び戦時色が強い国家神道の延長線上にある宗教施設となっている。 近隣の中国、韓国など過去、日本の侵略戦争により甚大な被害を受けた諸国からみれば、上記のダブルスタンダードは看過できない重要事となる。中曽根首相の1985年8月15日以降、首相の敗戦記念日の参拝は中止されている。しかし、それ以外の日程で小泉首相が依然として靖国神社に参拝し、他の閣僚、議員は堂々と参拝している。これらの事実は、日本政府が対外的にどうダブル・スタンダードを使おうと、中国、韓国などの近隣アジア諸国には、靖国神社が戦前、戦中のように国家神道の拠点として、国との関係が近づくものと見えるのは当然である。 自民党の改憲提案、イラクへの自衛隊派兵の事実と相まって、戦前、戦中の靖国神社が復活するのではないかと危惧し不快感を露わにしているのである。 これらのダブル・スタンダードは、憲法九条同様、日本的、すなわちなし崩し的手法、解釈でこの間行われている。既成事実を積み上げることにより、自衛隊の軍隊化、実質的な海外派兵化同様、日本国民自体、現在、「自国の戦死者を哀悼するのがなぜ悪い。」と考えるようになってきている。 だが、憲法同様、原点に戻れば、靖国神社に戦犯を合祀することなどで、なし崩し的に既成事実を積み重ね、さらにそれらを現状追認することが、戦前、戦中の国家神道、日本の軍国主義の象徴に近づくことになりかねないことは、まぎれもないことである。 もし、靖国神社参拝問題を我々が容認すれば、自民党の改憲提案同様、行く行くは日本が戦争が出来る国となる可能性は誰も否定できないと思う。 その8 |