その後の「田中康夫知事の住民登録票問題」 青山 貞一 掲載日:2004.6.13 |
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ひさびさ、田中康夫長野県知事の住民登録票問題、すなわち住所認定についてのコラムである。「今日のコラム」では以下にあるように過去、数回この問題を扱った。 2004.3.6 田中康夫知事の住民登録問題 2004.3.12 田中知事住民登録問題、行政訴訟に 2004.4.6 泰阜村住民としての田中康夫さんの名刺 その後、長野市側は、『知事が「住所は泰阜村にある」と決定した場合、取り消しを求めて行政訴訟を起こす方針だ』と言明した。長野市が行政訴訟によって取り消し訴訟まですると言ったのである。 繰り返すが私見では、この問題をここまでこじらせたのは、住民基本台帳ネットワーク問題などに関連し、公衆の面前で田中康夫知事に「恥をかかされた」旧自治省、現在の総務省の官僚らの存在である。 推定するに、地方自治分野の専門家でも、住民基本台帳法にある行政訴訟など思いつかない。まさにそれを閣法で制定させてきた自治官僚らが長野市にそれなりに提案したのではないかと思う。江戸の敵を長崎ならぬ長野でとばかり! 田中康夫氏は2004年5月のゴールデンウィークに長野市にあった賃貸マンションを引き払った。もともと、田中康夫氏は、土日、祝祭日を東京など長野県外ですごくことが多かった。泰阜村に住民登録した後も、純粋に長野のマンションを根城とするのは、多くて週の半分程度だった。 しからば、本人の自由意志で住民登録した泰阜村、両親が居住する軽井沢町、それに東京など県外、そして知事業務などで泊まる長野市内のホテルと、田中康夫氏にとっては、物理的な住所は多様であって、長野市が言うように一義的に定まることはないはずだ。 その後、行政手続から田中知事は、日本弁護士連合会元会長・土屋公献、憲法学者・杉原泰雄、社会学者・上野千鶴子の3氏で構成される「住所認定に関する審査委員会」を設置し、田中康夫氏の住所認定についての議論を諮問した。 以下は、SPAに掲載中の「ペログリ日記」リターンズ 5月25日(火) に田中康夫氏本人が執筆した住所認定に関する審査委員会における審議及び決済の概要である。
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