今、長野で見られているDVD 「スミス都に行く」 Mr.Smith Goes to Washington 青山貞一 掲載日2005.8.14 |
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以下の話は1939年に製作された映画の話だ。 戦前につくられたコロンビア映画に、今の長野県の田中康夫知事をめぐる県議会、メディアとの関係に酷似した政治コメディ映画があった。 英文の題名は 「ワシントンに行く」、Mr.Smith goes to Washington、日本語DVD版では「スミス都に行く」だ。 スミス(左)とサンダース(右) 監督はかのフランク・キャプラ監督(Frank Capra)だ。キャプラ監督は、社会正義を真っ向から見据えた映画を製作することで有名。
そのキャプラ監督が素材としたのは、「ダム建設」をめぐりメディアと政界を牛耳る利権屋とナイーブな新進青年政治家との格闘である。地元選出の上院議員の急死の後、20年も前から地元を取り仕切ってきた利権政界のボス(テイラー)の都合だけで、急遽上院議員に祭り上げられたのが主人公のスミスある。 故郷の自然をこよなく愛す正義感が強くナイーブなスミスが、議会とマスメディアが結託した利権軍団がくりだす攻撃、妨害に、女性秘書の指南を受けながら敢然と立ち向かい、米国の連邦上院議会で蕩々と自分の理念を演説、最終的に仕組まれた政治利権族の攻撃に勝利する、と言うのがこの映画のエッセンスである。 「スミス都に行く」は、1939年(昭和14年)、第12回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞(2名ノミネート)、脚本賞(原案)、脚色賞、美術監督賞、編集賞、作曲賞、録音賞など実に10部門にノミネートされた。しかし、この年は「風と共に去りぬ」「駅馬車」「オズの魔法使い」「嵐が丘」といった秀逸な作品が目白押し、結局、脚本賞(原案)1部門を受賞した。 65年以上も前の映画にも拘わらず、この映画が現代社会に熾烈に訴える内容は、今の日本にも十分通用するだろう。 とくにダム、議会、メディアと言ったキーワードは、まさに田中康夫氏の「脱ダム宣言」や昨今の議会とメディアによる「知事」へのタメにする批判、攻撃キャンペーンと酷似している。 到底、65年前の映画とは思えないものを多々感じる。 ぜひ、ご覧になることをお勧めしたい! 英語版DVD 関連URL Suite University 全脚本(英語) New York Times WashingtonPost 映画音声 Frank Capra ここで、肝心な映画の内容を概観しよう。 場所は米国のとある田舎の州。同州選出の上院議員2名のうち一名の急死により、後任の議員の指名が行われることになった。同州から出ているもう一人の上院議員、ペイン議員は、同州を取り仕切る利権大物テイラーと共謀し、政治、政界の事情をまったく知らないドシロウトの若者、スミスを担ぎ出す。 スミスは、田舎の少年警備隊の隊長をするに過ぎなかった。そのスミスをこともあろうか上院議員に祭り上げる理由、背景には同州を流れるウィルメット川の上流でダムを建設するもくろみがあったからだ。この建設計画は利権に満ちたものだった。 ダム建設で利権をむさぼろうとする地元実力者テイラーとその庇護、影響の下で上院議員になっているペイン議員は、共謀し政治のドシロウト、スミスを上院議員に指名しワシントンに行かせることとした。それとも知らず、スミスは指名を受け、ペイン上院議員と列車でワシントンに行く。 議員会館は秘書の女性、サンダースがスミス氏を待っているが、なかなかスミスは現れない。田舎者の若者スミスは、あこがれのワシントンで見物を決め込む。独立記念塔、アーリントン墓地、ホワイトハウス、....リンカーン記念館などなど。 スミスが議員会館に到着したのは待ち合わせ時間からすでに5時間も経ってから。スミスはベテランの女性秘書、サンダースから議会手続きなどの説明を受ける。サンダースは、上彼女は、スミスの到着前に、すでにすっかり自分の職業に嫌気をさしていた。そこにスミスが急死した議員の傀儡、穴埋めとして推薦され、乗り込んで来たことになる。 翌日、連邦上院議会で先輩議員のペイン氏に付き添われ宣誓を行い、晴れて上院議員となる。が、なにしろ政治、政界、議会に全くのドシロウト、やることなすこと上院議員の嘲笑を買う。その後、スミスは女性秘書、サンダースからひとりで法案を出すための伝授を受け、一気に勢いづく。 彼は、議員提案法案に、自分の故郷の自然豊かな川の上流の河畔で少年達が自然を体験出来る国立少年キャンプ場を構想する。やり手の秘書、サンダースの指南でこの構想を徹夜でいきなり法案にまとめる。ちなみに、この映画は米国、それも連邦上院議会の概要を知る上でも実に興味深い。 左がスミス議員、右が秘書のサンダース この上院議会でスミスが議員提案法案の立法過程をサンダースから説明を受ける部分は圧巻である。 上院議会でスミスは、できあがった国立少年キャンプ場法案を提案することになる。 青天の霹靂なのは、ダム利権法案を通過させるため敢えてスミスを上院議員に祭り上げたペイン上院議員である。提案説明中のスミスにペイン議員が割り込もうとするが、スミスは滔々と説明を続ける。それでも割り込むペイン議員。そのペイン議員から提案している川でダム建設のための法案がペイン議員等から提案されていることを知る。 地元の実力者、テイラーからダム建設法の制定を至上命令で受けているペイン議員は、まさに真っ青。 右はテイラー ペイン議員は、この法案はもともとスミスの土地をキャンプ場の用地として買わせようと画策していると、スミスに汚職の濡れ衣を着せる。次期大統領候補と目されるペイン上院議員の執拗なスミス攻撃。しかも、ペイン議員に議会、メディアが追随する。 スミスは、日本の自治体の百条委員会に相当する議会運営委員会にかけられ、ペイン議員側から次々と証拠が出される。もちろんそれらの証拠は捏造されたものだが、メディアは、それをスミスの地元はもとより全米に大々的に報道する! 連邦議会上院にて。左がペイン議員、右がスミス議員 こうしてスミスは議員とメディアに包囲され、地元でも絶体絶命のところに追い込まれる。そこでスミスは、サンダースの指南を受け、合法的ではあるが奇異な手段に出る? この後は実際に見てのお楽しみである。 田中康夫知事の長野県議会での脱ダム宣言に至る過程と併せてご覧きたい! なお、以下は「スミス都に行く」の全概要である。ただし、英語版。 Mr. Smith gote to Washington |