いま第一線の現役新聞記者の 能力が問われている 日刊ゲンダイ 2006年1月10日 |
■ いま第一線の現役新聞記者の能力が問われている ■ ひと昔前ならこれほど無能無責任の総理大臣なら ■ たちまちマスコミの攻撃に屈して倒れているはず ■ このまま行ったら言論が死滅しそう ───────── 「社会の木鐸」という言葉は死語になったが、それでも新聞記者ならこれほどの悪政暴政を黙認傍観していて恥を知らないのだろうかと嘆く有識層の声 小泉デタラメ首相の年頭会見の余りに呆れ返った内容を問い詰めることもなく、ただ黙ってタレ流しただけの大新聞TVの政治記者たちの無能無責任と堕落していよいよこの国は終わりかと思うマトモな人間も少数になってしまった ------------------ マスコミのことを「社会の木鐸」という。「木鐸」とは、かつて中国で法令などを国民に知らせるときに打ち鳴らした木板のことで、これが転じて社会に警鐘を鳴らすマスコミをこう呼ぶようになった。 つまり、おかしいことはおかしいとキチンと批判することがマスコミの使命で、大新聞・TVも自らをそう位置付けてきた。しかし、この「社会の木鐸」はもはや死語になったも同然ではないのか。最近のメディアが、政治の問題点をキチンと指摘するどころか、政権をヨイショするばかりだからだ。 たとえば4日の小泉首相の年頭会見。相変わらずの自画自賛と我田引水の屁理屈大会だったが、大新聞・TVの記者たちは「ご説ごもっとも」と反論することもなく、会見内容をそのまま無批判に流している。小泉首相はこんなことを言っていた。 ▼ マスコミが国民に代わって追及すべきことは沢山ある ▼ 〈次のトップリーダーが国民の支持を得ることは極めて重要だ〉〈一国民として戦没者に哀悼の念をもって参拝する。それを日本の言論人が批判するのは理解できない。まして外国が心の問題に介入して外交問題にする姿勢も理解できない。私はいつでも(中国・韓国との)話し合いに応じる〉 九大名誉教授の斎藤文男氏が言う。 「記者団が靖国問題で聞くべきことは3点。 (1)首相が一国民だという使い分けはできない(2)心の問題ではなく行動が批判されている(3)靖国が外交問題になっている原因は首相にある、ということです。いつも説明不足の小泉首相だから記者は国民に代わって聞く責任がある。そして追及することで首相を言いたい放題にさせないこと。マスコミはそういう役割が課せられているのです」 最近の首相会見で記者が問い詰めるシーンは見たことがない。まったくのご意見拝聴会。これでは政府の広報機関だ。 ◆ 小泉自民が大勝したのもマスコミのおかげ ◆ 小泉首相を増長させているのはマスコミだ。昨年の総選挙がいい例である。郵政民営化法案を可決した衆院の解散という憲法上問題がある選挙だったのに、マスコミは小泉首相に全面協力した。 争点が郵政一本に絞られると、大新聞・TVは「民営化賛成」の論陣を張って援護射撃。ケーキ作りが得意という主婦や不倫がバクロされた証券会社社員など、能力も見識も郵政に対する知識もない女性たちをマスコミはマドンナだ刺客だと持ち上げた。 その結果が自民大勝だ。政治評論家の山口朝雄氏が言う。 「今のマスコミは、自分たちの報道に無自覚過ぎます。小泉首相のパフォーマンスや話題の刺客候補ばかりを追っかければ小泉自民の大宣伝になる。選挙で自民を勝たせたのはマスコミです。それも予想を超える圧勝でした。こうなると大新聞・TVは読者や視聴者が怖くて、ますます小泉批判ができなくなる。マスコミは批判抜きの報道ばかりで完全に悪循環です」 大新聞の中には、今頃になって格差社会や市場主義の弊害について連載を始めたところがあるが、小泉―竹中コンビの路線では弱者がバッサリと切り捨てられることは最初から見えていた。批判力どころか想像力も衰えてしまったのか。法大教授の須藤春夫氏(マスコミ論)が言う。 「大マスコミは、分かりやすく伝える努力を怠っています。大所高所からもっともらしく解説することはできても、生活者の視点から問題に迫った記事がない。だから、小泉首相のワンフレーズに太刀打ちできないのです。本来は、強い者だけが勝ち残る社会ではなく、弱者に目を向けた改革が必要のはず。それなのに改革を否定すれば、読者や視聴者にソッポを向かれると思って腰が引けているのです。このままでは、どんどんモノが言えない社会になってしまいます」 |