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パソコン3Rと拡大生産者責任   青山 貞一


  パソコンリサイクルの続きである。

  友人の梶山正三さん(弁護士)流に言えば、家電業界は、廃棄物については発生抑制そっちのけ、大量生産、大量消費、大量廃棄にはげんできた筆頭業界ではなかろうか。さんざん大量生産してきたあげく、資源化、再資源化、減量化などと言っていることになる。パソコンも家電同様である。

 もし日本、米国でなく、ドイツなどEUがパソコンのメジャーな製造者であったなら、おそらくパソコンのありようは大きく異なっていたと思える。本気でゴミの発生抑制を考え、同時に省資源、省エネルギーについてもLCA的な観点からパソコンをつくっていたとすれば、おそらく現状はまったく異なったものとなっていたはずである。

 とはいえ、IBM/PCは3R、省資源についてはそれなりのビジネスモデルであった。しかしながら、日本メーカーがIBM/PCの世界に参入すると、一転した。一部のガレージ企業やオタッキーをのぞけば、IBM/PCも大量生産、大量消費、大量廃棄の申し子と化したのである。

 IBM/PCが当初見せた省資源的ビジネスモデルは、実は今でこそ重要なものと思える。素材、部品、製造、販売、流通、回収、廃棄物処理などを考慮し、頻繁にCPUそのものを変えても、80%の部品はそのまま使えるようなモデルがあったはずである。この対極にあるPCと言えば、いうまでもなくPC○○○○シリーズである。このPC○○○○は、事の始まりからビジネスモデル、製品ラインアップが間違っていたと言ってもよいだろう。

 ところで、昨年先進国でもっとも循環型経済社会づくりを本気でやっているカナダ・ノバスコシア州の環境労働局のバリーさんに在日カナダ大使館と共催した国際シンポジウムで来日した。バリーさんが家電リサイクルの現場を見たいというので、池田こみち副所長がアテンドし、千葉県市原市にある家電リサイクルの現場をみてきた。それより前、ソニー本社の環境担当幹部からの依頼で、家電事業と環境保全対策に対するソニーの取り組みを見てもらい、その後忌憚のない議論をして欲しいと言われ、北品川にでかけた。つぶさに見せてもらった後、まさに忌憚のない意見を述べさせてもらった。このように、以前から単なるファッションではなくEU市場でも通用する環境配慮や省資源に熱心な企業もある。

 3Rを考えた場合のパソコン最大の課題は、非常に短かいライフサイクルで次々に新製品が出ることであろう。その結果、膨大な量のPCがゴミとなる。自動車がそうであるように、仮にゴミPCの80%が3Rされたとしても、残りの10〜20%が不法投棄されたり不適切な処理や処理がなされれば、資源の浪費だけでなく環境への影響は甚大なものとなる。豊島産廃事件はまさにそれを私たちに教えている。

 その意味でPCメーカーなど家電メーカーにとってもっとも大切な要件は、製造者責任、排出者責任、汚染者負担にどれだけ実務レベルで本気に取り組んでいるかである。逆説すればパソコン3Rのソリューションは、本来、拡大生産者責任(Extended Produer Responsibility)であるはずだ。

拡大生産者責任(Extended Produer Responsibility)とは
 生産者の責任を、製品の製造・流通時だけでなく、製品が廃棄されて処理・リサイクルされる段階まで拡大する考え方のこと。廃棄されてごみになった商品のリサイクルや処理・処分費用は生産者が負担することになり、製品価格への上乗せも考えられる。しかし同時に、生産者において、廃棄後にリサイクルしやすかったり、処理・処分時に環境負荷が低いといった製品開発が進み、より効率的で低コストな廃棄物処理が実現すると考えられる。英訳の頭文字をとってEPRと呼ばれることも多い。EPRの起源及び家電リサイクル法との本質的な違いにつ いては、次も参考になる。 http://www.kcn.ne.jp/~gauss/b/epr.html

 少々古い話になるが、循環型社会推進形成法案の国会審議を前に坂口厚生労働大臣に同法案について意見を求められた。ドイツが拡大生産者責任を明確に法制化したのは、当然それなりの合理的な理由があるが、私は坂口大臣に、循環型社会推進形成法案の要は、いわゆる拡大生産者責任を明確にすることであると申し上げた。その直後、馬場のぼる氏からの依頼で私はCSの朝日テレスターの昼間の生番組で、M電器産業の常務取締役、経団連当該分野の担当者、大手電力会社から自民党参議院議員になっているK議員の3人を相手に、循環型社会推進形成法案について長時間議論する機会があった。産業廃棄物問題のキーは、間違いなくそこにあるからである。

 私は何度となく拡大生産者責任の理念と手続を同法の根幹に入れ込むよう主張した。しかし、相対する3人はいずれも拡大生産者責任には、まっこうから反対した。結局、1:3と多勢に無勢で物別れとなったのである。

  ここ5〜10年、霞ヶ関の各省庁が次々に○○リサイクル法案を閣法でだし、与党が追認している。
 しかし、これらのリサイクル法は、生産者や事業者が従来からもっている既得権益を追認したものであり、どう転んでもドイツにおける拡大生産者責任の理念からはほど遠いものがある。企業が製品の優劣を機能とともに、省エネ、省資源、3Rなどで競う仕組みにはなっていない。それらは、あくまで大量生産、大量消費、大量廃棄の延長線上で、廃棄物の発生抑制には踏み込むものとなっていない。同時に、排出者責任、汚染者負担についても曖昧であり、お茶を濁している。

  日本の廃棄物行政の原典は旧厚生省が制定した廃棄物処理法にある。制定後33年以上たつ同法は、すでに20回弱の改正を繰り返しているが、未だ製造者責任、排出者責任、汚染者負担が明確化されていない。まさに正直者が不利益を被る(馬鹿を見る)法律の典型ではなかろうか。今こそ、業界を問わず、産業廃棄物分野に拡大生産者責任の理念、原則、そして実務的な流れを組み込むべきである。

 いずれにしても拡大生産者責任制度のない、循環型経済社会などありえないのである。