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ヨルダンにいる森沢典子さんからの便り
   森沢 典子

掲載日:2004.4.11

 以下の内容は、4月13日の「TBSウォッチ」及び夕方のTBS「ニュースの森」で放映されます


森沢典子です。

私は今ヨルダンにいます。

6日(火)夕方、イラクへ出発間際の高遠さん、郡山さん、今井さんの3人とヨルダンの首都アンマンで会っていました。

一部マスコミからその事は伝わっているかもしれませんが自分の言葉でお伝えしたいのでこの場を借りてその時の様子を書かせていただきます。

6日(火)夕方知人を訪ねる目的で、アンマンのダウンタウンにあるクリフホテルに向かいました。そこで今井さんに声をかけられました。

(今井さんは、昨年9月札幌で企画された私の「パレスチナ報告」を聞きに来てくれた時に初めてお会いしました。すぐに意気投合し、以来メールを中心にいろいろな話をしてきました。)

今井さんは、「わあ!こんなところで会えるなんてうれしいなあ」と何度も言い、「これからイラクへ行くんです」と言いました。

郡山さん、高遠さんも一緒でした。

他にもたくさんの日本人客がいて混み合っていたので高遠さんが「ファラへ移ろうか、あっちのほうが静かだからゆっくり話せるよね」と言い、私たち4人はファラホテルへ移動しました。高遠さんと今井さんは、ファラホテルに泊まっていました。

郡山さんはパレスチナに行くつもりで、タイからアンマンに入り同日(6日)にクリフホテルに来たばかりだったようですが高遠さんたちに会って、行き先をイラクに変更したそうです。

郡山さんが信頼しているジャーナリストの坂巻Qさんがすでにパレスチナに入って取材をしていて、おそらく自分はQ さん以上の取材をすることはできないから、イラクへ行ってできる限りの取材をするんだ・・と話していました。

4人で歩いてファラホテルに行くと、ロビーには3人の荷物がすでにパックされた状態でおいてあり、私たちはそこのソファでコーヒーや紅茶を頼みました。今井さんは初めコカ・コーラを頼もうとしましたが、アメリカがイラクを攻撃しているので注文を紅茶に変更しました。

夕方5時ごろから7時半過ぎまでいろいろな話をしました。それはとても楽しい時間でした。

高遠さんは、初めて自分がイラクに入った時のこと、その後出会ったストリートチルドレンへの思い、現地のイラク人たちが、小泉首相がアメリカを支持したことや自衛隊を派遣することについて、高遠さんに文句を言うようになったから「それじゃあみんなが自分の言葉でその思いを小泉さんに直接伝えようよ!」と、メールでメッセージを送り始めたことなどを、生き生きと話してくれました。

今井さんは劣化ウラン弾について、自分の目でその被害の様子を見てくるんだということ、それを北海道に戻ったらたくさんの人にいろいろな方法で伝えたいということを話していました。

また、出発の前日に送り出してくれる友人たちと、夜中の3時ごろまで過ごしてしまい母親にひどく怒られた・・・と言うと私たちから「当たり前だよ〜〜〜」と言われ「ちょっと僕も後悔してます・・・」と頭をかいていました。そして、「うちのお袋、肝っ玉据わってるんですよ。おっかないっすよ〜〜。本当、尊敬してるんです。」と話していました。

郡山さんと私は、パレスチナの話しをし、それを高遠さんと今井さんが熱心に聞いてくれました。

また私が今回訪れる予定だったパレスチナの、花が咲き乱れる村の写真を見て、「はあ〜〜〜こんなにいいところなんだ」と3人でため息をつき「紛争だけでなくて、こういう姿ももっと伝えたいよね。私もね、好きな場所があるんだ」と高遠さんがバグダッドから南にあるフルジア村に惹かれたこと、その風景、そこで出会ったアリ君のことなどを話してくれました。

また自衛隊・・・と思っているのは、日本の内側にいる人たちだけで現地でもJapanese Army と報道されていること、イスラエル軍だって自分たちは「自衛隊」と呼んでいるけど、どこからどう見ても立派な軍隊だよね・・・と話しました。

バグダッドまでのルートについては、今回はファルージャが大変危険な状況なので、そこを通らないように大きく迂回して行くから、通常よりも3時間は長くかかるだろうと高遠さんが話していました。(通常10時間のところ、13時間を見込んでいた)

「飛行機でヨーロッパ旅行をするくらいの時間だね。」と私が言うと高遠さんが「気をつけないと運転手が眠ってしまうんだよ。

だから複数で一緒に行って、交代で起きていて、運転手が眠らないように声をかけたりしなくちゃだめなんだ。」と笑いました。すると郡山さんが「だけど、行って道を見てみれば、眠くなる気持ちがよくわかるよ。何にもないから。」と言いました。

そこへ、ファラホテルの従業員のサニー(専属の運転手)が携帯電話を持って現れて「菜穂子、僕の彼女(イラクにいるフィアンセ)の話によると、ここ数日は相当状況が悪いよ。国境も封鎖されている。今日は行かないほうがいいんじゃないか?」と言ったので、みんなの表情が一瞬硬くなりました。

「・・・」「どうする?」「今の状況はもう誰も読めないからね。」

高遠さんは、バグダッドで落ち合う予定の森住卓さん(ジャーナリスト)を待たせてしまっていることを気にしていました。

サニーは「また5分くらいしたら、彼女が様子を伝えてくれるそうだから、電話が来たらまた話すよ。」と言ったので、とにかくもう少し様子を見ようということにしました。

まもなくサニーが再び現れて「菜穂子、彼女の話によると、昨日、一昨日に比べれば、今日の状況はかなりよくなったそうだ。」と言いました。

3人はしばらく考えていました。

それから郡山さんは「僕は行くよ。一人でも。」と言いました。それは後の二人を引き込む意図もなく、単純に自分がプロのジャーナリストだから・・・と言う意味で、自分の立場や気持ちをはっきりさせたという印象を持ちました。

後の二人がどうするのか、私は黙って聞いていました。

今井さんが「僕も行きます。」と言いました。今井さんと高遠さんは、状況を見て昨日の出発をすでに一日延ばしていました。今井さんの滞在予定期間が短かったこともあって、今井さんは
これ以上延ばすことにも少しだけ躊躇していました。

けれど、「今井くんは行ったことがないし、怖さを知らないからそう言えるだけだよ。」と郡山さんも高遠さんも私も笑い飛ばして受け入れませんでした。

高遠さんはこの時点ではどうするのか判断を出していませんでした。

ただ、今行かなければ、ますます入りにくくなるかもしれない・・と郡山さんと言い合っていました。

それでもこの後よほど状況の悪い変化でもない限り、3人とも行く気持ちを変えることはしないだろうと私は感じていました。

また私自身、止めることも、勧めることもしませんでした。それぞれきちんとした思いを持ってここに来ていることもわかったしこういうことは、自分で判断するものと言うことも、私自身よくわかっていたからです。

3人のうち誰かがひどく怖がっていたり、あるいは意気込みが強すぎて力が入ってしまっているようだったら止めると思います。

けれどもこのとき3人ともとても落ち着いていて、現地の情報やネットワークをちゃんと持っていて、覚悟もできているのがわかりました。またお話していて、郡山さんも高遠さんもとても信頼できる方だとわかったので、判断も、今井さんのことも、お任せしようとその時の私は考えました。

でもこういう事態になって、その判断がどうだったのかわからなくなっていますし、止めなかった自分を責めてもいます。


時間が7時半を廻り、私は知人(ジャーナリストの古居みずえさん)を待たせていましたので、一度自分のホテルに帰ることにしました。

そのときに、高遠さんが購入したばかりの、イラクで使うための携帯電話の番号を私に残していきました。

(電話番号については事件を知った後、すぐに、日本大使館に知らせました。無事に解放されるまでは、いたずらに刺激をしたくなかったので自分からかけることは控えています。)

3人が現地に着いたら「とにかくすぐにメールを入れる」と約束をし、別れました。

実は私は、今回パレスチナに入れなかった(イスラエルから入国拒否を受けた)ので、今後の予定をいろいろ立て直していて、イラクのパレスチナ難民キャンプに行く計画を考えているところでした。こうした状況の中で、米軍による家宅捜査や逮捕など、ひどい状態であること、を聞いていたからです。

また7日には、パレスチナに入れなかった私のために、ガザにいる日本人の友人がアンマンまで休暇を取って出てきてくれることになっていました。それがなければ一緒に行けたね・・・と話し、いずれにしても向こうでまた会えるといいねと言って別れました。

今井さんに大通りまで送ってもらって別れてからから、私は古居さんと食事に出かけました。

そして食事を終えてタクシーに乗ってホテルに帰ろうとしたときに、路上に三人が立っているのが見えました。

私は急いで車を止めてもらい、古居さんを連れて飛び降りました。どうすることにしたのか知りたかったのと、今井さんが古居さんに会いたがっていたからです。

3人はすでに出発を決めていました。そして軽い食事を済ませ、ホテルに戻るところだったのです。

古居さんは一月前にイラクを出てきたばかりだったので、高遠さんとルートなどについて情報の交換をしていました。

また今井さんは、古居さんに会えたことに感激して、ニコニコ笑っていました。

そして「じゃあね、バイバイ!」ッと普通に別れようとして「じゃあね、バイバイって別れる行き先ではないよね」と私が言うと、みんなは笑いました。そして「じゃあね、バイバイ」と言って別れました。

これが私が彼らを見た最後の姿です。

その後私は8日から、ガザから出てきた友人とヨルダンの南に旅に出ていました。けれどもその日の夕方、ホテルのテレビで3人が拘束されたニュースと映像が流れ、すぐに日本大使館と大手メディアの信頼できる知人の記者に連絡を入れ、私が知っている限りの情報を伝えました。

そして急遽旅行を取りやめて、9日午後アンマンに戻ってきました。

それから今日まで、ホテルの従業員やタクシー会社の人々、イラク人の運転手仲間たちなどから私なりに集められる情報を集め続けました。またご家族の方やご友人など、こちらでの様子を少しでもどんなことでも知りたい方がいらっしゃると考え、直前の様子については、マスコミの取材を受けました。休暇を取って出てきてくれた友人をほったらかしにして申し訳なかったのですが、彼女も心から協力してくれました。

また、大使館、メディア、ヨルダン警察などとも連携を取り続け、私がわかっていること、新たにわかったことは情報提供をしています。

ただ、私が古居さんと食事をしている間の約一時間に、サニーとどのようなやり取りがあったのか、いつどのように3人は出発を決めたのか、そこを知りたいのですが、彼はずっと本業である運転手として、ファラホテルのお客さんを乗せ、ヨルダン国内を旅していて未だ連絡が取れていません。

そのサニーは予定では今日帰ることになているので、今夜会うことになっています。

また皆さんもご存知のように、昨日の現地時間午後9時前になって、犯人グループからの解放予定の声明が出されました。

今朝大使館でも相澤副大臣による会見が行われました。その後大きな動きはまだ聞いていませんが、とにかく今は解放予定とされている現地時間の夕方6時を待っているところです。

一番微妙なときだと思いますので、様子を見ています。

早く無事に戻ってくることを願ってやみません。

森沢典子