連載 佐藤清文コラム 第八回 地方自治体と外交 佐藤清文 Seibun Satow 掲載日2006.3月20日 |
首相の諮問機関の地方制度調査会(諸井虔会長)は、2月28日、国と市町村をつなぐ広域自治体改革において、都府県を廃止し、全国10程度の道州に再編するのが望ましいと答申を発表しました。 それは国の担当を外交や防衛に限定して、一級河川や国道の管理、大気汚染防止などを道州に移し、高齢者福祉や建築基準を市町村に権限委譲するという内容です。「国と地方双方の政府を再構築して、行財政上の非効率や行政手続きの重複が生じている現在の制度を分権型社会にふさわしい効率的な行政システムに変えるため」、道州制が必要だと答申は説明しています。 地方自治体の適正規模についてはさまざまな学説があります。しかし、この答申が提案する巨大な道州制を支持する学説は学会の主流ではありません。むしろ、自治体の規模を小さくすべきだという認識が支配的です。 加茂利男大阪市立大学教授は、2006年1月20日付『朝日新聞』の「私の視点 いま自治体で」において、欧州の自治体規模と比較しつつ、政府与党の構想に対して規模が大きすぎると批判しています。政府与党の目標通りに実行されれば、市町村の平均人口12万人となり、イギリスを除くと4万人規模の欧州自治体の三倍以上となります。 ベルリンの人口はおよそ340万人ですが、行政区分としては市ではなく、州です。欧州の市町村合併は「近接性」を基本原則とし実施されています。フランスの場合、1500人程度の「コミューン」を基本単位とし、大規模な事務処理を自治体連合が担当するという関係になっています。事務処理という実務の補完としてコミューンの連合体の自治体が存在しているのです。 また、道州制が実現されると、州の平均人口は1000万人を超え、連邦制のドイツやアメリカの平均州人口の2倍近くに達します。カリフォルニアのように3500万人以上の人口を抱える州もありますが、概して、州の人口は100万人単位です。 しかも、カリフォルニアの人口密度は83.7人/km2で、中国地方の242.61人/km2よりかなり小さいのです。米独共に立法権や司法権などの主要な権力を国と州で分担しているのですから、加茂教授は日本の道州が「自治体」と呼べるだろうかと疑問を呈しています。 自治体と考えるには、規模が大きすぎるのです。大規模な州とこれまた大きい市町村の関係を調整するために、結局、府県に相当する組織体が必要となるのではないかと加茂教授は言っています。 イタリアやフランスは州を設立しても、県が存続しています。以上の点から、加茂教授は、政府与党の計画では、「自治体は住民の暮らしのバックアップ機能を失う」と警告しています。 こうした学会の動向を考慮するならば、道州制の導入は素朴な規模の経済への盲信しか感じられません。 おそらく、これからメディアでは道州制における区割りが話題となるでしょう。しかし、それ以前に、規模の問題のみならず、議論の前提自体に時代認識を欠いています。 それは、グローバル化を踏まえた議論であるにもかかわらず、安全保障や外交を国に限定している点です。と言うのも、防衛や外交は国の特権行為ではないからです。 軍事に関しては、本稿の主旨ではありませんので、あまり言及しません。かつてオーストリア学派の経済学者ルードヴィヒ・フォン・ミーゼスが軍隊の民営化を提唱して失笑されましたが、アフガニスタンやイラクでは戦争の民営化が現実化しています。 松本利秋千葉工業大学・国士舘大学非常勤講師の『戦争民営化―10兆円ビジネスの全貌』によると、その市場規模は10兆円と見られています。民営化がことのほか好きな小泉純一郎首相や竹中平蔵総務大臣が自衛隊の民営化を推進しないのが不思議なくらいです。そうすれば、どんなに憲法を字義通り解釈しても、自衛隊の存在が違憲とはならないのです。 英国の外交官アーネスト・サトウが活躍した19世紀、内政は内務省、外交は外務省と明確に分けられていました。けれども、今日、在外日本大使館に勤務している職員が外務省所属だけではないように、内政と外交の区分は曖昧です。 外交を外務省が独占しているわけではありません。米国産牛肉の輸入に関しては農林水産省が担当していますし、東シナ海のガス田開発問題の交渉に当たっているのは経済産業省です。外務省が扱っている外交領域は、極めて、限定されているのです。 経済大国に成長した過程で生じた貿易摩擦の際し、旧通産省の果たした役割は大きく、外務省以上に外交交渉を行ってきたと言って過言ではありません。 地方自治体も、国とは別に、国際交流を行っています。福岡県は、ソウルや香港、バンコクに駐在事務所を設置しています。それは、まさに、室町時代の光景の復活です。しかも、福岡県はこれだけのことをしながら、を外交機密費を使っていないのです。 こういった動きは、高橋和夫放送大学助教授の『国際政治』によると、日本以上に、海外の自治体の方が積極的です。アメリカ合衆国の各州は日本に駐在事務所を置いています。州の間で、また連邦政府との間で、利害が対立することがあるからです。それぞれの事務所は日本企業から投資を募り、観光客を誘致し、州内企業との貿易振興を行っています。 考えてみれば当然の流れです。かりに中国へリンゴを輸出するとしたら、青森県と長野県はライバルとなりますので、中国に連絡事務所を設置し、北京へ陳情するのが賢明と言うものです。 さらに、自治体は開発援助に貢献しています。途上国における最大の懸案事項の一つが水の問題です。安くて、安全な水の提供は感染症に苦しむ途上国にとって急務です。上下水道に関するノウハウは中央官庁ではなく、地方自治体が持っているのです。自治体は海外から研修生を受け入れ、専門家や技術者を派遣しています。水の問題だけでなく、ゴミ処理や防災などますますこうした自治体による関与は増していくでしょう。 是非はともかく、島根県が「竹島の日」を制定し、韓国との外交関係をギクシャクさせたり、沖縄県の大田昌秀.前沖縄県知事が米軍基地問題をめぐってワシントンへ直談判したりしたのは、霞ヶ関による外交の独占が終わっていることを示しています。 その逆に、小泉首相の靖国参拝によって中国や韓国との経済・文化の関係強化を試みていた自治体が打撃を受けたています。 加えて、現段階でさえ、日本の自治体のいくつかは国家に匹敵する経済規模を持っているにもかかわらず、外交を自治体の仕事ではないとするには無理があります。 大阪府ならびに愛知県の自治体内の総生産はイランやタイGDPを超え、東京都に至っては、インドやカナダを上回ります。 これほどの経済規模をすでに有しているのに、さらに拡大した自治体を導入すると提唱しておきながら、外交を国の手元に残したいというのは後向きな前提です。 審議会による道州制の議論は、「行財政上の非効率や行政手続きの重複」という著しくドメスティックな関心からなされていると言わざるをえません。彼らはグローバル化の進展という現状に応える将来的な地方自治体のあり方を論議できていないのです。 多様化・グローバル化を考慮した自治体ではなく、「行財政上の非効率や行政手続きの重複」を優先した巨大で画一的な行政区分では、せっかくの国際交流を台無しにしかねません。審議会は前提から地方自治体をめぐる議論をし直すべきでしょう。 ヨーロッパ諸国を見ると、EUで地域統合を進めつつ、その内部では、英国におけるスコットランドが典型ですが、自治権が大幅に拡大し、さらには、チェコとスロバキアのように、分離独立しています。こうした流れは欧州内における戦争の可能性が皆無となると同時に、各共同体の相互依存・相互浸透が進んだ結果から生じています。 グローバル化・多様化という時代的・社会的背景の下では、共同体は小さくてもやっていける、むしろ、小さい方がうまくいくという認識が普及しているのです。それが自治体の適正規模の議論にも影響を与えています。「わたしは技術の発展に新しい方向を与え、技術を人間の真の必要物に立ち返らせることができると信じている。 それは人間の背丈に合わせる方向でもある。人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいのである」(E・F・シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』)。 〈了〉 |