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井上毅と教育勅語

佐藤清文

2006年4月17日



 野暮で渡れる世間じゃないが、粋で暮せる世でもない。都々逸

 近代に入って以降の日本における最大の教育問題は政治課題が教育政策へとすり替えられてきたことです。権力は現に必要とされている教育上の改善ではなく、政争の具として教育を扱っています。彼らは自らの無能さを棚に上げ、政治課題を教育のせいにしてきたのです。

 これは戦前戦後を問いません。教育基本法改定に関する動向も同様ですが、小泉純一郎政権が「改革」を掲げている点を考慮するならば、より悪質であり、自己矛盾をはらんでいます。立憲主義や近代の原則を依然としてわかっていないのです。

 そうした政治課題の改称を狙った教育政策の最たる例が教育勅語です。教育勅語は反自由民権運動を目的とした政府内の保守派並びに宮中派の主導権争いの産物です。教育勅語は日本の現状に西洋の思想を合わせられるものではありません。

 明治維新のイデオロギーを貫徹しようとする民権派との妥協の結果、政府は立憲制と国会開設を約束します。大日本帝国憲法発布の翌年の1890年、守旧派は自由民権運動の高まりに危機感を抱き、道徳教育を教育の基本とすることを主張します。中でも、山県有朋首相は、1882年、軍人勅諭を制定して軍隊内の思想を一元化した経験を踏まえ、教育にも同様のことを企てます。

 彼は
18902月政府県知事に働きかけ、徳育教育の一元化を目的とした建議を政府に提出させます。山県は芳川顕正文相を通じて帝国大学教授で洋学にも漢学にも造詣の深い中村正直に徳育の勅令の起草をさせます。

 その草案の検討を山県より命じられた法制局長官井上毅は内容を見るなり、すかさず反論を書簡にしたためます。「徳育ノ大旨」と表題されたその草案が、忠孝を人倫の基礎とし、「敬天敬神」や「良心」など宗教的・哲学的なタームに覆われていたからです。

 
620日付山県宛書簡において、立憲制の君主は「臣民ノ良心ノ自由ニ干渉セズ」、教育の勅論は「政事上ノ命令ト区別シ社会上ノ君主ノ著作公告」とすべきであり、宗教的・哲学的・政治的議論となる観点は排除しなければならないと訴えています。

 さらに、5日後、山県へ書簡を再度送り、教育勅語など「到底不可然前事」と反対しています。フランス留学の経験を持つ井上には、山県ら守旧派は立憲主義が何たるかをまったく理解していないと見えていたのです。

 すでに井上は、1879年、元田永孚を中心とする宮中派の教育への干渉の動きを「教育義」により厳しく批判しています。元田らは、維新以後の欧化主義に基づく教育により、社会が混乱してしまったのであり、孔子を模範とする道徳教育を中軸に据え、身分制教育を復活すべきだと主張しています。

 それに対し、井上は儒教教育への回帰は明治維新の意義を無効にしてしまうだけであり、社会のモラル・ルールの混乱は開国と近代化という大変動から必然的に生じているものであって、教育を原因とするのは本末転倒であると反論しています。

 さらに、戦後の文教政策よろしく、井上は若者の政治運動への関心を殺ぐために、専門領域へ専念させる指導を推進すべきだと付け加えています。

 井上は政党政治には否定的でしたが、立憲主義と近代化には肯定的な態度をとっています。彼の守旧派への批判は立憲主義の原則に基づいているのです。

 しかし、その井上も山県の説得工作により元田と勅語の執筆を始めることとなります。このままでは教育勅語の制定は避けられないと判断した井上は、頑固な保守派や問題性を認識していない学者に作成を委ね、後世に議論を招くのであれば、立憲主義の原則と対立する危険性を自覚している自分が作成すれば、その際どいバランスをとれると考えています。井上は、つまり、教育勅語を骨抜きにすることを決意したのです。

 井上は特定の宗教に偏っている、政治的問題を含む、あるいは哲学的議論となりそうな記述を斥けるように努力しています。出来上がった教育勅語の全文は3部構成です。第1段は天皇の有徳と臣民の忠誠に言及し、第2段は親孝行や国の法の遵守など15の徳を示して、第3段でこれらの徳目は歴代天皇の遺訓であり、古今東西に通じるものだと述べています。はっきり言って、「お父さんお母さんを大切にしよう」などはいちいち国が文章化すべきことではないでしょう。

 教育勅語は散文的と言うよりも、詩的で、定義を欠く曖昧な儒教道徳と通俗道徳、皇国史観が混在しているだけでなく、 「総じて、日本社会の教育理念の根源を『良心』とか『神』とかに求めるのではなく、歴史的存在であると同時に現在の支配構造の要となっている天皇制に求めているところに、この勅語の基本的特徴があったといえる」(佐藤秀夫『教育の歴史』)。教育勅語は現体制の正当化を理論的な根拠に基づいて訴えるのではなく、まがまがしい神話的な言説を無根拠に並べ立てています。井上が狙った通り、無内容な代物なのです。

 井上はこの勅語を天皇の個人的意見として表示されるように主張します。しかし、立憲主義を理解していない政府はそうしません。18901030日、山県首相と芳川文相は天皇から「教育ニ関スル勅語」を下賜し、翌日、文部省はこの謄本を全国の官公私立学校に交付し、各学校が式日などに生徒に奉読させ、その趣旨の奉体を務めるようにという文部大臣訓示を発表します。

 もっとも、『官報』に教育勅語が掲載されましたが、その際、文部省訓令第
8号の付帯資料として2ページ下段から3ページ上段にかけて収められています。重要法案は『官報』の巻頭に載せるべきですけれども、「政治上の詔勅ではなく君主の社会的著作として性格を与えたため、当然の措置であった」(『教育の歴史』)

 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣ノ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 しかも、3ヵ月程度で仕上げたやっつけ仕事だったため、文法上のミスというおまけまでついています。2段目の中頃に「一旦緩急アレハ」と記述されていますが、この場合、已然形ではなく、「一旦緩急アラハ」と未然形でなければなりません。

 これは、交付後、学者から問題視されますが、文部省は訂正するのを拒否します。この単純なミスを発見したのは、何も学者に限りません。大阪のある中学生がこの間違いに気づき、国語の教師にそれを指摘しに行っています。褒められると期待していたその少年は、逆に、こっぴどく叱られてしまいます。ちなみに、その中学生の名前は大宅壮一と言います。彼はそれを『実録天皇紀』の冒頭で触れています。

 1889年、憲法発布に浮かれる日本にあるイギリスの詩人が一ヶ月間滞在しています。彼の名前はジョゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling)です。彼は日本の伝統芸術に深い感銘を受け、こうした芸術の国が憲法を制定し、近代国家の体制を確立しようとしていることに訝っています。

 憲法を持てる国は、彼によれば、世界中に二つしかありません。それはイギリスとアメリカです。と言うのも、両者とも「芸術と無縁の国」(キップリング『キップリングの日本発見』)だからです。政治の議論を行って投票したり、新聞を発行したり、工場を建設して毛織物を生産したりするなど近代は芸術性と対立します。

 彼にとって芸術は詩を意味し、詩は神の文学です。近代の政治体制は神の死により超越的なものに基礎を置くことができないため、権力は自らを律する憲法を必要とします。しかし、その憲法は散文的であり、退屈でさえあり、詩の持つ高い芸術性など微塵もありません。近代は詩と相容れません。

 愛や美、情熱、孤独、神、道など近代の法に記されるべき言葉ではないのです。キップリングには、日本人は立憲主義をまったく理解していないように映っています。教育勅語はそうした神の死、または詩の死という近代の本質に関する無理解の産物にすぎません。

 山県有朋は軍人勅諭が成功したと信じ、その経験を踏まえて教育勅語の制定へと動いています。しかし、軍人勅諭下の陸軍、特に関東軍は政府や天皇の意向も無視して暴走し、日本を破滅へと導いています。「忠君愛国」を唱える者ほど排他的であり、国を滅亡へと招きかねません。

 それは、国家間の相互依存が進んだ今日、隣国で起きた「愛国無罪」を掲げる若者による混乱が示している通り、さらに顕著です。愛国心を教育基本法に記すよりも、むしろ、権力に対し批判的認識を持つ指導の方が現代社会に求められているのです。「愛国心は悪者の最後の逃げ場所である
(Patriotism is the last refuge of a scoundrel)(サミュエル・ジョンソン)

 政府は、公明党の主張を受け、「愛国心」と記すのを諦め、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた国及び郷土を愛する」という文言を教育基本法に入れる予定でいます。しかし、これであっても日本の伝統に反していると軽蔑されてしまうでしょう。なぜなら、こういうのを日本の伝統では「野暮」と言うからです。

 僅に三十一文字を以てすら、目に見えぬ鬼神を感ぜしむる国柄なり。況んや識者をや。目に見えぬものに驚くが如き、野暮なる今日の御代にはあらず。

(斉藤緑雨『青眼白頭』)

〈了〉


戦前の日本語教育が教育上の要請ではなく、日本の帝国主義政策の矛盾の解消を目的としていたことは次の作品を参照していただければ幸いです。

http://hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/unpublished/ceremony.pdf

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