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知らされない豊島・直島問題
田中 康夫

掲載日:2004.8.14

本稿はSPA 「ペログリリータンズ」 8月10・17日号(8月3日売)の転載です。

7月17日(土)
 計6点のクロード・モネとウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの現代美術のみが展示された地中美術館には日本人の魂が宿る、と福武總一郎ベネッセコーポレ知らされない豊島・直島問題ーション代表取締役は難解なる理論を挨拶で開陳するも、その深奥は浅学非才の僕に凡そ理解し得ず。博覧強記な畏友・浅田彰氏に尋ねるも、氏も首を傾げる。

 東洋大学総長に就任以来、益々、意気軒昂な塩川正十郎氏が隣席。10年間に及ぶ直島プロジェクトの記念すべき祝祭に是非、と半年前から幾度と無く僕と浅田氏をお誘い下さるも、航空代と宿泊代は自己負担で御参加を、と“岡山商人”方式で請求書を直前に御送付下さった福武氏には申し訳ないが、挨拶の合間も談論風発。「21世紀は多様な価値観を発展させるべき。何も変えない事が最も悪い事だ」とトヨタ自動車社長就任時に喝破した奥田碩氏とも歓談。

 氏は奇しくも、僕が失職を選択する旨の知事会見を開催したのと同時刻の02年7月15日午後2時、安田有三氏のインタヴューに答えて、以下の発言をしている。「県民の総意を問えばいい。もし田中さんが知事選で再選されたら、不信任に賛成した県議会議員は自分達が県民の支持を得られなかったのだから、辞職すべきでしょう。(辞職しないで)座り込んでいるとしたら、県議会は何だ、という事になるよね」。

 尤も厄介なのは、「座り込ん」だ県議の大半を県民は、翌'03年4月の統一地方選で信任している点。史上2番目に低い投票率だったとは言え、引き続き県知事と県議会の不毛なる“千日手”を選択したのは他ならぬ220万県民、という事実を指摘する向きは、県内には未だ数少ない。

 因みに件のインタヴューでは、「奥田さんは以前から、田中知事に『ガンガンやれ』とエールを送っていました」との質問に対し、「あれはね、暗に首相の小泉さんに『もっと国会とガンガンやり合え』『もっとリーダーシップを発揮しろ』とエールを送った訳」との発言も載録されている。

 設計を担当した安藤忠雄氏を交えて「週刊ダイヤモンド」連載の「続・憂国呆談」の鼎談版を収録。高松に戻り、先の総選挙で惜敗した小川淳也氏と讃岐饂飩の旅。浅田氏、編集I氏も同行。

7月18日(日)
 高松港から水上タクシーで豊島。地元の土庄町に暮らす石井享県議会議員の案内で、香川県が実施する「豊島廃棄物等処理事業」を見学。廃水処理施設を始め一連の施設は、(株)クボタが施工のみならず管理も担当。往時、何れの企業も風評を恐れて入札に参加せず。皮肉にも、談合で入札停止処分中の同社が再々入札で落札。

 無論、謦咳には接せざるも畏兄と僕が仰ぐ社会運動家・賀川豊彦氏の薫陶を受けた人々が、福祉の島として数々のグループホームを設立した、温性高き歴史を有する豊島に於いて1975年、元々は天理教の布教で移住したとされる面々に因る豊島総合観光(株)が有害産業廃棄物処分許可を香川県に申請。以前から国立公園内で違法埋立を繰り返してきた前歴を懸念した島民は、有権者の全員近い反対署名を集め、県知事と県議会に提出。然れど、時の前川忠夫知事は2年後の2月15日、以下の発言を島民の前で行う。

「事業者は住民の反対に遭い、生活に困窮している。反対するのであれば住民のエゴであり、事業者虐めである。豊島の海は青く、空気は綺麗だが、住民の心は灰色だ」、と。世帯主の全員近い583人が原告として事業者を相手取り、廃棄物処分場の建設差止請求訴訟を高松地方裁判所に提起。

 業者側は許可申請内容を「有害産業廃棄物の運搬、処理」から「無害物に拠るミミズの養殖」に急遽変更。これを受けて県知事は裁判中にも拘らず'78年2月1日、製紙汚泥、食品汚泥、木屑、畜糞に限定して土壌改良剤化処分業の事業許可。住民側は10月19日に裁判上の和解を強いられる。

 然るに操業開始後、自動車の廃プラスティック類に当たるシュレッダーダスト、ドラム缶に詰められた中身不明の液状物が膨大に運び込まれる。「豊かさを問う」と題する廃棄物対策豊島住民会議編集の記録に拠れば、「処分場ではミミズの養殖が行われている」「シュレッダーダスト等は有価金属の回収原料である」と香川県は公開質問状に回答を繰り返す。

 豊島産廃問題は'90年11月16日、兵庫県警察本部が豊島総合観光開発(株)を廃棄物処理法違反容疑で摘発。大団円が期待されるも、県側の動きは事業者への撤去命令に留まる。義憤を感じた中坊公平氏ら5名の弁護士が無報酬で弁護団を結成。'93年11月10日、不法投棄現場の他人への貸与、譲渡を防止すべく占有移転禁止の仮処分、仮差押が認められ、翌11日に住民549名が名前を連ねた公害調停申請が為される。爾来、更なる6年半の歳月を経て2000年6月3日、50万トンに及ぶ有害産業廃棄物が完全撤去される2016年度迄の間、その事業の詳細に地元住民が関与する事を担保する調停が成立。

 既知の事情を長々と記す意味が何処に在る、と或いは読者諸氏は訝るやも知れぬ。が、以下の事実、即ち香川県が仲介しての和解成立'78年10月から、兵庫県警の摘発'90年11月に至る13年間、驚く勿れ、地元紙のみならず全国紙も、豊島産廃問題を1行も報じていない「歴史」を知ったなら、別の訝りを抱くであろう。

 理由は簡単。“埃”高き護送船団・横並び記者クラブは、和解なる法的根拠を以て、豊島産廃問題は解決済みと封印したのだ。而して、香川県警ならぬ兵庫県警の摘発を以て、大いに報ずる価値有り、と“付和雷同”した。その13年間、柵と苦闘する必要も無き東京や大阪から赴任した“正義漢”は誰1人として、高松港から僅か30分の島に渡り、報ずる価値を見出さなかったのか。島民は県政記者クラブに幾度と無く、視察と報道を要請したにも拘らず。

「法とは誰のものなのか?」と題する件の記録集の中の一文は訴える。「法律とは弱い者の味方ではない。正義の味方でもない。熟知する者のみが、その恩恵を享受する事が出来るものだと思い知らされた。解釈次第で悪とも善ともなり得る諸刃の剣なのだ。方や、住民にとって法律は、叫べど叫べど応えてはくれない、遠い遠い存在なのである」。

 安藤忠雄氏の仲介で、案内役を買って出てくれた石井享氏は沈着冷静なる現在44歳。弱冠30歳と「比較的若い」理由で'90年に住民会議の代表者に選ばれた彼は、市民運動家に漂い勝ちな臭みが皆無。イデオロギーとは無縁の愛郷心から参加し、周囲に推されて小豆郡選出の県議2期目。

 芸術に造詣が深い福武總一郎氏の推薦で、不勉強な僕も浅田氏も存じ上げぬ女流デザイナーが豪壮なる施設の外壁塗装等を担当の敷地内に、廃棄物対策豊島住民会議の掘っ建て小屋が存在する。不可解にも産廃撤去に際し、30haの処分地は島民が買い取る契約を結ばされたが故の所有物。

 その2階建ての小屋の壁一面に、幾層にも堆積した産廃の断面が展示される。10分強で往来可能なベネッセアートサイト直島ではお目に掛かれぬ、ジャスパー・ジョーンズも顔負けの現代芸術。

 大阪からIターンの夫婦が営む汐さいで極めて美味なる昼食。豊島小学校。安藤、中坊両氏が提唱し、全国から寄贈された図書を拝見。港で石井氏と別れ、三菱マテリアル直島精錬所内に設けた香川県が事業主体の中間処理施設を視察するべく、水上タクシー。

 因みに過日、宰相・小泉純一郎氏も豊島を視察。海上保安庁だか海上自衛隊だかの巡視艇が大挙、4日前から接岸訓練を行うも当日、接岸に失敗。加えて、護衛船が多過ぎて通常の倍近い海上移動時間を要した、のだとか。「よく生きる」という意味を持つベネッセが南半分で文化産業を展開の直島の北半分には、緑が殆ど存在しない。足尾や別子の銅山同様、銅精練の島として存在してきた直島の歴史を改めて知る。

「奥田碩氏インタヴューHP」
http://response.jp/feature/2002/0809/31iot_yy0809_01.html
「廃棄物対策豊島住民会議HP」
http://www.teshima.ne.jp
「三菱マテリアル(株)直島精錬所HP」
http://www.mmc.co.jp/naoshima/