利権集団を駆逐する 『孤立を求めて、 連帯を恐れず』の哲学 田中康夫 掲載日2005.12.31 |
政治家改め政治屋と、その周囲に群がる官僚と業界。彼等に関しては、改めて説明を加える必要もありますまい。学者とは、したり顔で審議会の委員を務める御用学者。報道とは日本独特の記者クラブ制度に安住する新聞とTVです。
「改革」なる2文字を連呼しながら、実際には弱肉強食で優勝劣敗な社会を構築し、そこで生ずる利権を囲い込む。或る意味では民主主義の対極に位置する集団です。にも拘らず何故、跳梁跋扈しているのでしょう?
竹中平蔵と狡猾な仲間達が構築した「B層理論」に該当する人々に観客民主主義の幻想を与え、屈従専制主義を蔓延させる。即ち、所在無げに日がな一日TVの前で時間を無為に過ごす人々の頭脳に、「構造改革」なる羊頭狗肉な代物の刷り込み作業を実践してきたのが、政官業学報の現状追認ペンタゴンなのです。
竹中氏とは“刎頸の友”な、それも未だ有限会社組織の広告代理業者が昨年末に「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略」と銘打って作成した資料に拠れば、「B層」とは知能指数が低く、故に刷り込み作業を繰り返せば、いとも容易に「構造改革」へ付和雷同し得る人々を意味します。
而して、「通信と放送の融合」といった多分に21世紀的な美辞麗句を掲げたIT利権に集う人々は、どぶ板式の旧来型選挙に生きてきた人々と、実は然して変わらぬ心智で前述のトライアングルやペンタゴンを今夏の総選挙で構成したのです。
些かの解説を加えれば、利権で集う人々は、候補者の乱立・共倒れを防ぐべく、調整します。利権分配さえ保障されれば、呉越同舟で一致団結して選挙戦を闘うのです。
他方、理念で集う人々こそは「勝利」の為に、小異を残して大同に就くべきにも拘らず、犬も食わない主義主張を言い出して、候補者の一本化は疎か、共同戦線を組む事すら叶わず、死屍累々の死票だけが生まれてしまうのです。
戦後60年どころか、2400年前のソクラテスの昔から、利権という現実に集う政治ならぬ政事が生き長らえ、理念という理想に集う政治が暫しの合間しか、力を持ち得ない理由です。
結果、「政権交代」の一点に於いて自公以外の全政党がユナイテッド・インディヴィジュアルズとして連帯すべきだったにも拘らず、45年前の安保闘争同様、建前としての「連帯を求めて、孤立を恐れず」の愚行を再現してしまったのです。
とまれ、予算編成権を有する政権与党としての自公政権の維持に留まらず、IT、環境等の新手のハコモノ利権に集う面々を駆逐するには、本音としての「孤立を求めて、連帯を恐れず」の哲学を抱き、「怯まず・屈せず・逃げず」に立ち向かわねば。それこそが、新党日本のみならず野党各党が抱くべき気概だと思います。
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