6月1日に長崎で発生した小6女児殺害事件については、まず、亡くなった御手洗怜美さんのご冥福を心からお祈りしたい。ご遺族の心中を考えると、かけるべき言葉も見つからない。全国の人々にも強い痛みが走った事件であると思う。
この事件については、すでに各専門家から、多くのコメントが出ているところである。しかし、同世代の子どもたちの見解については、いつものように報道されていない。ぼくの心の中にも深い痛みがあるところだが、このような事件再発防止のために同世代として気がついた誰にでもできることを提言してみたい。
まず、報道記事をごらんいただきたい。
<小6同級生殺害>児相所長が会見 普通の家庭の普通の子
「ネットの掲示板に嫌なことを書かれた」。佐世保児童相談所の中村政則所長は2日、佐世保市内で会見し、補導された女児(11)が語った怜美さんとのトラブルの一端を明らかにした。中村所長は「書き込みをやめてほしいというやりとりが、2人の間であったと女児は言っている。だが、それ以上の動機は語っていない」と話した。
中村所長は、長崎家裁佐世保支部に送致した理由について(1)重大事件である(2)保護者の面談での印象からごく普通の子供でごく普通の家庭で育った――などを挙げ「事件とのギャップに大変驚いている。家裁での審理がベストであると考えた」と述べた。
また、事件当日の1日、担当職員3人が佐世保署で女児や両親と個別に面談したことを明らかにした。女児は約30分の面談の間、緊張や不安が残っている様子で、両手で顔を覆ったり、涙を流していたという。(毎日新聞)
[6月2日20時19分更新] |
「1人で悩み、考えた」 加害女児、弁護士に
長崎県佐世保市の小学校で6年生の御手洗怜美(さとみ)さん(12)が同級生に首を切られ死亡した事件で、加害者の女児(11)は3日、接見した付添人の弁護士に対し、事件の原因について「(掲示板の書き込みの)ほかにいらいらすることはなかった」「1人で悩み、1人で考えた」と話した。
弁護士が同日、長崎少年鑑別所で接見後、記者会見し明らかにした。女児は事件について「よく考えれば、こんなことにはならなかった」とした上で、怜美さんと自分の両親に「謝りたい」と述べたという。
弁護士は「精神鑑定の必要はない」とした。
女児は長崎県警の事情聴取にも「自分の容姿について書かれた」と話しており、県警も掲示板での書き込みが事件の発端とみて調べている。
弁護士によると、女児はことし3月ごろから、4、5人で交換日記をしていた。4月ごろからは、女児と怜美さん、別の女児の3人でインターネットのホームページの掲示板を使い始めたという。(共同通信)
[6月3日12時47分更新] |
<小6同級生殺害>事件前夜のTVドラマで実行決意
長崎県佐世保市の市立大久保小学校(出崎睿子(えいこ)校長、児童数187人)の6年生、御手洗怜美(さとみ)さん(12)が殺害された事件で、家裁送致された同級生の女児(11)が、県警の調べに「テレビのドラマを見て(殺害を)やろうと思った」と供述していることが分かった。事件前日の5月31日に放映されたミステリードラマで、カッターナイフで人を殺害する場面があったという。女児は4日前にも殺害を実行しようとしたと話しており、このドラマが実際にカッターを使った事件の引き金になった可能性もあるとみて慎重に裏付け捜査を進めている。
このドラマは事件前日の5月31日午後9時からTBS系列で放送された「月曜ミステリー劇場『ホステス探偵 危機一髪(6)』」。女優の水野真紀さんらが演じる東京・銀座の高級クラブホステス3人組が事件を解決する2時間もののシリーズ。この回は、反対運動が起きているマンションの建設を進める不動産会社の社長と愛人が次々と殺され、3人組のうち1人の夫が関与を疑われるというストーリー。
計5人の被害者が路上で襲われ、回想シーンも含めて計8回カッターナイフで切りつけられる場面が放映された。
女児は県警の調べに「このドラマを見た。こんなふうにしようと思った」などと供述したという。
また女児は、1日午後、現場の学習ルームで怜美さんを椅子に座らせてカッターで首を切りつけた際、背後から怜美さんの顔面を手で覆っていたことも分かった。女児は事件の4日前にも殺害を計画していたが「カッター以外の殺害方法も考えていた」とも供述しているという。
動機については「インターネットの掲示板に(怜美さんに)嫌なことを何度か書き込まれ、腹が立った」などと話している。(毎日新聞)
[6月3日15時6分更新] |
上記の報道を見ただけでも、普通の家庭の普通の子が、たったひとりで悩んでいる姿が浮き彫りになる。ぼく自身も、小学生のころは、ずっと同級生とのトラブルに悩まされてきた。同級生の殺意を感じて震えることもあった。ぼくとしては、今回の事件も「やはり、ついに。」というかんじで受け止めた。
ぼくが小学生の時は、学校の先生に悩みを相談しても、なかなかまともに取り合ってもらえなかった。
深刻に相談すればするほど、失笑をかってしまった。多くの子どもたちは、言っても無駄なので口も心も閉ざしてしまった。そのような事態が、解決可能なものまで深刻な事態、思わぬ事故を招いてしまっていたと思う。子どものことは、子ども同士で解決するべきだ。子どものけんかに大人が口出しするべきではない、過保護はいけないという社会の考えが、放任につながっていると思う。
子どもたちは、大人の想像するところの天使なのではない。この年齢の子どもたちには、想像を絶するような感情の爆発がある。大人が想像つかないような残虐性もあるということを、学校生活の中でぼくは、体験を通して感じてきた。そのへんの恐怖感は大人にはわからないことなのかもしれない。
女児の暴力化も感じていた。ストレスでいっぱいになったとき、一気に、はけ口を求めるかのように暴力的になってしまうらしい。
「暴力はいけないということは、わかっていたのだけれど、頭の中が真っ白になって考えることができなくなった。ごめんなさい。悪いことをした。」
同級生の口からぼくは何度も聞いた。いやになるくらいだった。大人の教育観やイメージの中で、幼く、かわいらしく演じているように見える子どもが、ぼくの家にかわるがわる謝りにきた。先生も加害児童の親も「この子はいい子なのだ」とぼくに主張する。
加害者も教育の犠牲者なのかもしれない。と思った。
しかし、ぼくは、失笑をかったり、なかなかわかってもらえずに時間がかかったけれど、最終的には学校にきちんと対応してもらうことができた。かなりのエネルギーが必要だった。ぼくの母親は倒れて入院してしまった。
しかし、ぼくは、同級生から謝ってもらうことができたのだから幸せなのだとつくづく思う。それ以上のことにはならなかった。それから、どんなことがあっても仲直りができている。普通のぼくのこのような生活も、どこにでもあることだと思う。
悲惨な事件も、もとをだどれば、きっかけは、生徒間のささいなトラブルが原因だということが多い。どこかで誰かが気がつけば、止められたのではないかという悔やむ声も多いだろう。しかし、今、それがむずかしいという現状があるのだ。
まず、普通の学校で普通の家庭の普通の子どもたちが、人知れず悩んでいるというどこにでもある現実に目をむけてほしい。
教育現場に限らず、大人のみなさんには、子どもの悩みを受け止められる「心の眼」を開いてほしいと願う。子どもは危険だと監視システムづくりに躍起になるのではなく、相談システムづくりの構築に取り組んでほしい。監視システムは、子どもにいい子を演じさせ、画一化を求め、さらなる負担をかけて
いないだろうか。子どもが安心して本当の悩みを話すことを妨げてはいないだろうか。
何よりも、子どもが、安心して話したり、相談できる環境づくりをしてほしい。そのことが、何よりも問題の早期解決につながり、悲惨な事件を防ぐことになると思う。これは、法改正や新しい制度づくりということではなく、大人が視点を変えることで充分可能なことだと思う。
今現在の学校教育のあり方そのものにも問題があると思う。週休2日制、総合学習の導入、IT教育の推進など、教育現場はめまぐるしく忙しくなっている。学校間競争、学力向上というスローガンも聞かれる。競争の激化に悲鳴をあげてはいないだろうか。生命感覚を失ってはいないだろうか。本当に必要なことを見失っていないだろうか。
そのような中で、コミュニケーションがさらに希薄になってはいないだろうか。子どもたちにコミュニケーション能力や判断能力が育つ前に、考えるという習慣もないままパソコン操作技術だけを獲得させ、メールやチャットを利用させるということになっていないだろうか。インターネットやメディア、仲間からの情報だけが一方的に流れてはいないだろうか。あまりにも、無防備すぎる社会があると思う。しかし、ナイフ、カッター狩り、パソコン狩り、メディア狩りをしても問題解決にはならない。まず、日頃からの子どもの考える力の向上、コミュニケーション能力の向上、情報判断能力の育成を忘れないでほしいと思う。現状は、大人社会がこのような能力の向上から、始めなければならないところなのかもしれない。
このような事件がおきるたびに、あたりまえのことをおろそかにしたまま、子どもたちに対する監視を強化するべきだという声が大きくなっていくのは、とても残念でならない。
今こそ社会は、衝撃をあおるような報道にまどわされたり、いたずらに不安になることなく、冷静になって足元をみつめなおしてほしい。そして、二度とこのような痛ましい事件がおきることがないよう、小さな事からしっかりとした地道な取り組みがされるように心から願う。 |