一体何が目的で こんな映画を作ったのか 《「硫黄島からの手紙」に重大な疑問と批判》 日刊ゲンダイ 掲載:2006年12月13日 |
─ Dailymail Businessより ─────── ■ 本当の戦争はこんなもんじゃない ■ アメリカの右派監督クリント・イーストウッドの ■ 「硫黄島からの手紙」に戦争を知る世代から重大な疑問と批判 ■ 一体何が目的でこんな映画を作ったのか ────────────────── ---------------------------------- 果たして栗林中将は偉かったのか、あんな参謀将校がつけるヒモの肩章を飾って実戦をやるのか、戦闘服も着ず通常の軍服で戦うのか5日で占領されるはずが日本軍の抵抗で36日持ちこたえたと宣伝するが、そんな無謀な戦争を英雄視したり、カッコ良がったりするのは全くバカげたことだ。戦争を知らない批評家や評論家も褒めるのをやめた方がいいだろう ---------------------------------- クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作「硫黄島からの手紙」が先週末から封切られて、大ヒットを記録している。 この作品は第2次世界大戦中の1945年2月から3月にかけて、日米双方合わせて約5万人が死傷した硫黄島の激戦を日本側の視点から描いたもの。米側の視点で作った「父親たちの星条旗」の後編だ。主人公の日本軍司令官・栗林忠道中将を演じるのは渡辺謙。米映画批評会議で最優秀作品賞を受賞し、アカデミー賞獲得への期待も 高まっている。 日本国内でも「イーストウッドの真骨頂」と大絶賛されているのだが、ちょっと待って欲しい。手放しの称賛に強烈な違和感を覚えるのだ。 ノンフィクション作家の吉田司氏は東京新聞で、「父親たちの星条旗」を取り上げ、「これは戦争映画じゃない。日本流に翻訳すると大東亜戦争は愛する父母や恋人、美しい故郷を守る戦いだったとする小林よしのりの『戦争論』的ノリだ」と書いた。 「硫黄島――」は、5日間で落ちるとみられた島を36日間も持ちこたえさせた栗林中将が大変な戦術家であり、若い兵士や家族思いの英雄だったかのように描かれている。 玉砕を希望する部下に「敵を10人殺すまで死ぬな」と言った栗林が立派だったように演出されている。 戦争を知っている世代は「違うだろう」と言うはずだ。栗林の遺族からして、「大叔父は一族の誇りですが、多くの部下を死なせてもいる。敬う気持ちはあからさまにするものでもなかった」と語ったのだ。 硫黄島の戦闘は凄惨を極めた。映画を見た硫黄島の生き残り兵、小沢政治さんは読売新聞でこう語っていた。 「実際はあんなもんじゃない。現実の戦争はもっとむごかった。パパイアの幹、バナナの茎や根本まで食べた。『父親たちの星条旗』は紙芝居を見ているようで途中で出てきた」 栗林が人格者だったのかどうかはともかくとして、実際の戦闘はそんなこととは無関係の地獄絵だったのである。 それなのに、映画の栗林は戦闘中にもかかわらず、肩からヒモ状の参謀肩章を下げている。 「参謀肩章は儀礼的な場で制服に着けるもの。戦地ではあり得ない設定」(軍事評論家)だ。 「若い兵士役の二宮和也も悲壮感がなく、現代のアイドルがひとり戦地に迷い込んだかと思うくらい浮いていた」(映画評論家・白井佳夫氏) 戦闘シーンは確かにド迫力なのだが、どこか違う。腕が千切れたり、顔が吹っ飛ぶシーンも出てくるのだが、それでも違う。 ◆ 実際の戦場はこんなもんじゃない ◆ 作家の三好徹氏はこう言うのだ。 「“バンザイ突撃”を禁じ、一日でも生き延びて戦えと命じた栗林が当時としては珍しく合理的な考えの持ち主であったことは確かです。でも、栗林を英雄視するのはまったくバカげたことですよ。栗林は戦争を止めたわけじゃない。硫黄島をちょっと持ちこたえさせても意味がない。この作品を褒めちぎっているのは戦争を知らない世代だと思う。この映画からは死体の焼け焦げるにおいや火炎放射器や焼夷弾の熱さが伝わってこない。そこに現実との大きな溝があるのです」 |