イラク復興支援」に異議あり
 
国際法を踏みにじり、国連憲章を無視した米国の戦争犯罪の後始末に、なぜ日本の納税者が税金を払わねばならないのか。しかもブッシュ政権は、戦争前からすでに自国の企業に「復興事業」を割り当てていたのだ。

青山 貞一


週刊金曜日 2003.5.9 第458号
 聞き手:編集部、成澤宗男

 あおやま・ていいち 武蔵工業大学教授
 「日本政府のイラク戦後復興拠出不支持の意見申し入れ」jは

http://www.eforum.jp/shihou/iken-moushiire2.html

 
 日本のイラクに対する「復興支援」が最近論議されていますが、その前提となるのは、政府自身がすでに「イラク武力攻撃を容認する新決議が国連安全保障理事会で通らない限り、復興支援には協力しない」と明言していた事実です。ところが、マスコミはすっかり忘れてしまったようで、この点からの追及が行なわれていません。

 また、インターネットで私たちが呼びかけたイラク攻撃の反対署名で七五〇〇人集まったのに、「復興支援にカネを出すな」という政府への申し入れ賛同署名には、一五〇〇人しか集まりません。政府が明言したことを、国民自身が忘れてしまっているのです。

 そもそも米英によるこの攻撃は、まったく正当性がありません。米国は攻撃の名目として、当初は「テロリスト掃討」から「大量破壊兵器の武装解除」を挙げ、最後は「民主化」とか「解放」などと言い出すなどコロコロ変わりました。

 また、当初国連安保理でイラクへの武力攻撃を容認する新決議を通そうとして失敗すると、今度は「国連安保理決議第1441号」を持ち出しました。この決議が、決して戦争を容認したものではなかったにもかかわらずです。

 ところが、継続中だった査察を中断させて武力攻撃に踏み切ったものの、今日まで「大量破壊兵器」は発見されていません。さらに例えイラクが非民主的な独裁国家であったとしても、主権国家に戦争を仕掛け、「政権転覆」するなどということは、世界の秩序を根本的に脅かす、国際法上まったく許されない行為なのです。

 当然、日本政府が米国の新決議採択抜きの武力攻撃を簡単に追随し、支持したのは、国連憲章にも違反し、日本国憲法第九条にも違反し、さらに国連憲章にしたがって国際紛争の「平和的手段」による解決を定めた日米安保条約第一条にすら違反しています。日本国民、日本の納税者にとっても、何ら正当性があるとは思えません。 

「復興事業」の利権

 その上政府が「新決議がなければ復興支援にカネは出さない」という明言を翻すのであれば、責任が追及されてしかるべきでしょう。ましてや、政府の明言を忘れて私たちが今になって「復興支援」に対する日本の資金拠出を認めることは、決してあってはなりません。

 もし「復興」をするなら少なくとも国連主導が原則になるでしょうが、現実は米国主導でまったくそうなってはいないのです。

 米国は、「復興」に必要な十兆円のうち二兆円ぐらいを日本に期待しているようです。しかし道路・石油関連施設の修復や建物再建といった復興のために必要な事業については、すでにブッシュのお膝元であるテキサスのゼネコンや石油関連企業、さらには政権内の閣僚が関与する米国の企業を中心に随意契約に近い形で割り振られているのが現実なのです。

 つまり米国は世界から資金を拠出させる一方で、国際競争入札も行なうわけでもなく、言い値でそのカネを「復興事業」と称して政権の息のかかった企業に談合で回そうとしている。民主主義とか自由などと言う裏で、利権・権益まみれのブッシュ政権の本質が、露になっているのです。

 米国は「大量破壊兵器の武装解除」を言いながら、爆弾を一万発落とし、巡航ミサイルを二〇〇〇発打ちこみ、劣化ウラン弾やクラスター爆弾といった非人道兵器でイラク国民の大量の命を奪い、生活のインフラを壊しました。

 そんな戦争の後始末に、米国があれだけ声高に叫んでいた大量破壊兵器も見つからない中で、結局はブッシュ政権の利権になるだけの資金を私たちの税金から拠出するなどということがあってよいのでしょうか。そんなことをすれば、日本は戦争犯罪にますます加担するすることになります。

譲れない原則

 それに「国連主導」であれ何であれ、@米英がイラクの国土、都市、環境を破壊したすべての償いをするA復興は、イラク国民自身の手に委ねる――という二つの原則を譲ってはなりません。その上で実際の復興事業は国際競争入札をやり、国を問わずに一番安いところに仕事を落とすべきでしょう。ところが現在のイラクの復興を巡る状況は、そのすべてが逆の方向に進んでいます。

 「国連主導」であれば、すべていいのかというとそうではない。いまのアナン事務総長になって、歯切れも悪いし明確な態度をとらないという批判もあります。ただ現状では、国連の役割を否定すると、米国の思うツボで、ますます勝手なことを始めるのは明らかです。ですから、世界各国の意見を集め調整するというその機能を強化するより選択はないでしょう。

 さらに、「戦後復興」に厳しい条件が求められているとはいえ、そうは言っても実際現地では子どもたちを始め多くの人々が傷つき、そうした人々を救う医療などが緊急に求めています。そうした現状から、「人道支援なら資金を拠出してもよいのではないか」という意見があるのも確かです。

 しかし私は、目先の同情論で「人道支援」が安易に処理されてはならないと考えています。まず第一に、現在のイラクを支配しているのは、米国防総省の一機関である「復興・人道支援室」(ORHA)に他なりません。「人道」という名目ではあれ、現地でおカネがどう処理されるか透明性がない以上、仮におカネを拠出しても全部ドンブリ勘定になって、何に使われるか分かりません。

 第二に、政府開発援助(ODA)で「人道支援」がやられたらどうなるか。日本の対外援助は、常にヒモ付きです。必ず日本の企業が、政府が支出した分に直接関わる。これまでの例だと実際に現場で本当に資金が活かされるかどうか、定かではないのです。

あるべき「人道支援」

 では、実際どうすれば良いのか。私はフランスの「国境なき医師団」や、あるいは地雷除去グループなど、すでに実績のある国際的なNGOに直接資金を拠出し、そうした団体を通じて「人道支援」をするべきであると考えています。

 そうではない政府が行なってきた従来の援助の延長で人道支援をやるとなると、そのおカネはどう使われるのかという透明性が確保されず、現在の暫定統治機構の利権に流れかねません。

 こうした意見は決してイデオロギーではなく、私は筋論で発言しているつもりです。ところが現在の「復興論議」では論理がまったくなくなって、筋を通そうとすると「杓子定規」扱いされる時代ではないか。以前は戦争に反対していた人も含め、「なぜ復興支援を認めないのか」とか、「人道支援ならかまわないのではないか」というメールも来ています。

 こうした人々に理解してもらうのは、なかなか難しい。こちら側の説明不足もあるでしょうが、自分の懐具合については関心があるのに、それよりはるかに巨額な金額が動く税金の使い道については、なぜか関心が薄いという現状がその一因としてあるのではないか。

 また、最初は国民の六〇%以上が戦争に反対していたのに、時間が立つと戦争が起きた経緯、戦争を始めた側の論理のおかしさが、日本では追及されることなく忘れられてしまう。政府が今日まであれほどほどいいかげんなことをやっていながら、国民の間では「戦争が起きたのだからしかたない」とばかりに数ヶ月で風化しかねないありさまです。それどころか、小泉首相の支持率までがアップしてしているではありませんか。

 残されたのは、「あれだけ子どもが殺されたり道路が破壊されたのだからかわいそうだ」という感情論で、それが「日本は復興に協力しなければならない」という意見と結びついているのです。

 いま「復興支援」という名目で資金を出せば、まさに「勝てば官軍」という誤った考えがまかり通り、米国のやり得になってしまう。私たちは、貴重な国民の税金をこのような資金に一円たりとも投じてはならないのです。