ロヒンギャ人とロヒンギャ問題 2021年4月12日 Rohingya People and its Problem Reference:Rohingya people, English Wikipedia、 What Myanmar's Coup Means For The Rohingya(NPR) Teiichi Aoyama(東京都市大学名誉教授) 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年4月12日 公開 |
ロヒンギャ族(/roʊˈhɪndʒə, -ɪn-, -ɪŋjə/)は、主にイスラム教を信仰するインド・アーリア系の無国籍民族であり、ミャンマー(旧称:ビルマ)のラカイン州に居住している。 以下の地図はミャンマーでロヒンギャが居住するラカイン州の位置を示す。 ラカイン州は青山、池田が現地視察で訪問したミャンマー中西部の古都で10000以上の仏塔(パゴダ)が残るバガン(パガンとも)から約100km西に行った地図中赤色部分を指す。 ミャンマーにおけるラカイン州の位置 Source:Wikimedia Commons 以下の写真は、ミャンマーの古都バガンで宿泊したホテルの庭から見たラカイン州である。途中にある川は、エイヤワディー川である。 なお、写真の右側(北側)はインドのインパール、コヒマに続く山岳地帯となっている。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 ミャンマーのバガンにて撮影 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 ミャンマーのバガンにて撮影 74万人以上がバングラデシュに逃れた2017年の避難危機の前には、140万人のロヒンギャがミャンマーに住んでいたと推定されている。 以下はミャンマーとバングラデッシュの位置関係を示す地図である。 Source:Google Map ロヒンギャが居住する地域は、ミャンマー連邦共和国西部にあるラカイン州のブティーダウン(Buthidaung)とマウンドーの両市と、バングラデシュ人民共和国東部にあるチッタゴン管区コックスバザール周辺のマユ国境一帯にある。バングラデシュへ難民化したり、ミャンマーへ再帰還したりしたため、現在では居住地域が両国に跨っている。 チッタゴンの位置については、以下の地図を参照のこと。 ミャンマー西部におけるラカイン州の位置 Source:Google Map ミャンマーのロヒンギャは主に農業で生計を営むが、商人としての交易活動も盛んである。 しかし、ミャンマーでロヒンギャは「不法滞在者」と見なされているため、移動の自由は認められておらず、修学も、就職も厳しく制限されている。そのため、農業や日雇い以外の仕事に就くことは困難である。 このようにロヒンギャの人々は、1982年のミャンマー国籍法によって市民権を拒否されており、また、移動の自由、国家教育、公務員の仕事につくことなども制限されている。 ミャンマーのロヒンギャが直面している法的状況は、南アフリカの反アパルトヘイト活動家であるノーベル賞受賞者のデズモンド・ツツ司教を含む一部の学者、アナリスト、政治家によってアパルトヘイトと比較されている。 最近では、2017年のロヒンギャの大量移住により、国際刑事裁判所が人道に対する罪を調査し、国際司法裁判所がジェノサイドを調査するに至っている。そして2020年1月、国際司法裁判所は、ミャンマーに迫害防止措置などをもとめる仮保全措置を命令した。 課題 ロヒンギャは、自分たちがミャンマー西部の先住民であり、千年以上の歴史的遺産を持ち、アラブ人、ムガール人、ポルトガル人からの影響を受けていると主張している。 ミャンマー政府はロヒンギャを隣国のチッタゴン/東ベンガル(バングラデシュ)からの植民地時代および植民地後の移民とみなしている。 また、植民地時代以前の明確なイスラム教徒の集団をカマン(以下の注を参照)と認識しており、ロヒンギャは自分たちの歴史とアラカン・イスラム教徒一般の歴史を混同して分離主義的なアジェンダを進めていると主張している。 ※注)カマン 現在のミャンマーにおけるムスリム人口には、パガンで成立した初めてのビルマ王朝以来からの最も古い移住者であるインド系のパシス、パシュ(マレー系)、パンディーとして知られる中国系、ロヒンギャ(北部ラカイン)、カマン(南部ラカイン)、そして系統の混じり合った多くの人々がいる。またビルマ民族ムスリムもいるが、それは婚姻あるいは改宗によるものである。しかし大多数のビルマ民族と過去の政権から見れば、彼らはムスリムになってビルマ民族をやめた者たちであり、恐らくビルマ民族ムスリムあるいは単なる外国人に対する蔑称である(もともとは、どのような宗教に属しているかにかかわらずインドからの移民に対して用いた)カラーとして分類されるのだろう。 出典:ミャンマーにおける最近の宗教的暴動: ビルマ・ムスリムの現状 Asia Peace Building Initiative また、ミャンマー政府は「ロヒンギャ」という言葉を認めておらず、このコミュニティを「バンガリ」と呼ぶことを好んでいる。 ロヒンギャの運動団体や人権団体は「ミャンマー国内での自決」の権利を要求している。 1940年代からロヒンギャによる様々な武装蜂起が行われ、1978年、1991-1992年、2012年、2015年、2016-2017年、そして特に2017-2018年には、ミャンマーのロヒンギャ人口の多くが隣国のバングラデシュに追い出され、住民全体が軍の弾圧に直面している。 国連のミャンマー人権特使は「ロヒンギャコミュニティに対する差別と迫害の長い歴史は...人道に対する罪に相当する可能性がある」と報告している。 国連の調査では、ミャンマーの治安部隊がロヒンギャに対して「略式処刑、強制失踪、恣意的な逮捕・拘禁、拷問・虐待、強制労働」を行っている一方で、「超民族主義的な仏教徒」がロヒンギャに対して憎悪と宗教的不寛容をますます扇動している証拠が発見されている。 2015年のロヒンギャ難民問題と2016年と2017年の軍事弾圧の前には、ミャンマーにおけるロヒンギャの人口は140万人近くであり、主に北部のラカインのタウンシップに80-98%のロヒンギャが住んでいた。 2015年以降、90万人以上のロヒンギャ難民がバングラデシュ南東部だけに逃れており、その他の周辺国や主要なイスラム諸国にも逃れている。 現在、ミャンマーでは10万人以上のロヒンギャが国内避難民用のキャンプに閉じ込められている。 2017年8月25日に12人の治安部隊が死亡したロヒンギャの反乱軍の攻撃の少し前に、ミャンマー軍はラカイン州のロヒンギャ族のイスラム教徒に対して「クリアランス作戦」を開始し、NGOやバングラデシュ政府、国際的なニュースメディアによると、多くの死者が出て、さらに多くの負傷者、拷問やレイプを受け、村が焼かれたという。ミャンマー政府はこの疑惑を否定している。 中国の新疆ウイグル自治区内の人権問題を喧しくBBCなどで主張するミャンマーの宗主国の英国は、ほとんどロヒンギャ問題には口をつぐんでいる。また英国の顔色を見続けてきたアンサウン・スーチーも、ことロヒンギャ問題についてはこの間ほとんど真面な対応をせず、放置してきたと言っても過言ではない。ここに英国のダブルスタンダードがあり、それを引き継いできたスーチー氏の理解しがたい実態があると言ってよいだろう。 最近では、2017年に、タツマドーとして知られるミャンマー軍が開始した残忍な対反乱キャンペーンの結果、70万人以上のロヒンギャが国境を越えてバングラデシュに逃れた。 軍は、ロヒンギャの過激派によるミャンマー治安部隊への組織的な攻撃に対応したとしている。その後、ハーグにある国際司法裁判所で大量虐殺の疑いをかけられた。 2021年2月、ミャンマーで起きた軍事クーデターは、ロヒンギャ難民にとって、ただでさえ悲惨な状況をさらに悪化させたと、人権活動家たちは言う。事実、2021年2月1日の軍事クーデター後、ミャンマーに住む約60万人のロヒンギャの運命と、国外への送還計画は軍部の手に委ねられていると、人権活動家たちは言う。 今や、隣国バングラデシュの広大なキャンプから何十万人もの人々がミャンマーに帰還する見通しはますます立たなくなっている。 参考・出典 Rohingya people, English Wikipedia、日本語 Wikipedia What Myanmar's Coup Means For The Rohingya(NPR) |