連載 佐藤清文コラム 第十六回 孫子と戦争 佐藤清文 Seibun Satow 2006年8月11日 |
「戦争をおもしろがるのは経験していない者だけだ」。 8月に入ると、全国的に、日本のメディアは先の大戦をめぐる報道をし始めます。本来、戦争を考えることを季節の風物詩にしてはなりませんが、戦争を体験した人たちが高齢化している現在、それさえも薄らぎつつあります。 しかし、今年はさらに戦争について考えさせられるニュースが報道されています。イスラエル軍とヒズボラの戦闘が激化、イラクは内戦状態と化し、スリランカでは政府軍とLTTEが武力衝突しています。もちろん、報道されることが少なくなった恒常的な紛争地域もあります。 こうした世界情勢を踏まえるならば、8月の追討行為を儀式とすることなく、戦争についてより本質的に論じてみる必要があるのです。 古代から偏在に至るまで世界の各地で戦争や紛争、衝突が起きてきました。そのため、戦争に関する考察は少なからず行われてきたのです。現存するテキストの中で、最初の体系的な戦争論は『孫子』ということになるでしょう。 『孫子』は兵法書の中でも最も有名で、すでに8世紀までには日本へ伝えられています。武田信玄の「風林火山」が示している通り、戦国の武将はこれを読み、お互いに承知した上で、戦をしていたのです。現在でも、世界で最も読まれている中国古典の一つで、軍事のみならず、経営やマーケティングにも応用されています。 『孫子』は紀元前6世紀頃に成立したと推測されています。それは「春秋時代」と呼ばれる時期です。周の幽王が犬戎に殺され洛邑へ都を移した紀元前770年から晋が韓・魏・趙の三国に分裂した紀元前403年までに相当し、四書五経の一つ『春秋』に記述された時代という意味を持っています。 作者は、司馬遷の『史記』によると、長江下流の呉の孫武です。彼は将軍として呉の軍隊を率いて、西隣の楚と戦い、その都を占領したと言われています。 それ以前の中国では戦争の勝敗は天運に左右されると考えられていました。こうした迷信に対し、孫武は戦史を研究した上で、戦争には必ず勝ち負けの理由があるとして、それをまとめあげます。現在まで広く伝わっている『孫子』は全13編(計、作戦、謀攻、形、勢、虚実、軍事、九変、行軍、地形、九地、火攻、用間)によって構成され、戦略や戦術を総合的に論じています。 浅野裕一東北大学大学院教授は、『「孫子」を読む』において、『孫子』の特徴を次の7点に要約しています。 『孫子』は、まず、戦争がいかに国家経済を疲弊させるかを強調しています。戦争は経済的問題に帰着するのです。戦争は大量の物資を消耗して、戦費の重圧は国庫を圧迫し、貴重な人員を失わせ、国土を荒廃させてしまい、国家経済に悪影響を及ぼしてしまいます。戦争は好ましい英雄物語などではなく、極めて否定的なものなのです。 この点を基軸にして、『孫子』は論理を展開していきます。カール・フォン・クラウゼヴィッツは『戦争論』で戦争を外交の一種と考えていますから、戦争を経済から把握する点は大きく違います。損得を天秤にかけた場合、戦争は損なのです。 第二に、『孫子』は戦争を軍隊の正面衝突と捉えず、相手を騙すことを重視します。戦争は利益を争う以上、相手の意図を知り、利益を獲得させないようにすればいいのです。正面衝突は経済的リスクが大きいので、策略を講じて、相手を屈服させるのが最善の策ということになります。 第三に、戦争になったならば、短期戦にするようにしなければならないと説きます。長期戦は損害が増しますから、避けるべきというわけです。 第四に、城塞を攻めることは避け、野戦に臨むのが合理的であると訴えます。守りの堅い城を攻めると、長期化し、経済的損失が増えてしまうので、野戦で雌雄を決するのが得策なのです。 第五に、自国内の防衛戦ではなく、敵地に遠征すべきだと主張します。国内での防衛線になると、兵士が家族や故郷を恋しく思ってしまい、戦意を喪失あいてしまうからです。士気の低下は戦争遂行にはマイナスです。 しかし、兵士の戦意の問題は大切であるとしても、ベトナムやアフガニスタンを経験を考慮すれば、これに同意する将軍は現在少ないことでしょう。『孫子』も絶対的で兵法書はありません。 第六に、『孫子』は決戦場に相手を誘い出したら、機動力を用いて、相手を分断し、個々の戦闘において相対的な優位さを確保して相手を叩くことを推奨します。短期戦には相手の主力と戦わなければなりませんが、すでに述べた通り、正面衝突は適切ではありません。そうであるならば、相手の不意を突く奇襲攻撃の体勢を整えなければならないのです。 最後に、情報戦を重要と認識しています。コストをかけずに相手を撃退するには、相手の実情を探り、さまざまなシミュレーションを慎重に実施しておく必要があります。と同時に、自国の情報が漏れないようにしておかなければなりません。軽はずみな開戦は愚かです。開ける戦はすべきではなく、戦わずして勝つことを目指さなければなりません。戦う前に、実は、勝敗は決しているものです。 『孫子』は、以上のように、戦争を合理的観点からのみ分析・把握しています。戦争には非合理性が入りこみやすいものです。『孫子』は正しい戦争を解くことはしません。そういったイデオロギーは安易な開戦をもたらしてしまうからです。だからこそ、『孫子』は冷静な、より正確には冷徹な思考に立脚します。合理的に考えれば、戦争などできる限りすべきではないのは明らかですから、『孫子』はもし戦争が起きてしまったらどうするかという予防策を講じているのです。『孫子』は戦争批判の書だと言えます。 『孫子』によるならば、イスラエルのレバノン攻撃は失敗と判断されるでしょう。イスラエル軍を分断させる機動戦を展開しているヒズボラに対し、イスラエル軍はヒズボラの軍事力を過小評価し、レバノンの世論の動向を甘く考え、安易に開戦に踏み切りました。結果、長期戦となりつつあり、成果が上がらないまま、イスラエルの損害が拡大しています。「戦争が戦争を養う」(フリードリヒ・フォン・シラー『ピッコロミーニ』)。 国連職員が何人死のうと、レバノンの民間人にいくら犠牲者が出ようと気にするイスラエルではありませんが、残虐な破戒と殺人により、パトロンであるアメリカへの国際圧力が強まっています。 イスラエルの軍事力や情報収集能力をもってしても、ヒズボラのロケット攻撃をとめることができません。これを考慮すると、安倍晋三官房長官、麻生太郎外務大臣、額賀福志郎防衛庁長官のいわゆる先制攻撃論はぞっとするほどの無知から発せられていることがわかるでしょう。彼らは、閣僚を続ける前に、『孫子』を勉強すべきです。 先の大戦をめぐる一連の出来事にさまざまな評価が下されています。『孫子』を参考に、徹底して合理的な思考からこれらを考えた場合、肯定できる点は皆無です。歴史を待つまでもありません。 戦前、石橋湛山は経済的・合理的認識に基づいて、大日本主義=帝国主義を批判し続けていたのです。中国への侵略は経済的に見合わないし、軍備の増強は国家財政を悪化させるだけでなく、合衆国との貿易の利益を損なうと繰り返し主張してきました。 終戦直後、石橋湛山は『更生日本の針路』を発表します。彼による次の提案が現在でも新鮮なのは残念なことだと言わねばならないでしょう。 言うまでもなく日本国民は将来の戦争を望む者ではない。それどころか今後の日本は世界平和の戦士としてその全力を尽くさねばならぬ。ここにこそ更生日本の使命はあり、またかくてこそ偉大なる更生日本は建設されるであろう。 |