連載 佐藤清文コラム 第二十回 利権とクーデータ 佐藤清文 Seibun Satow 2006年9月20日 |
「利益がなくなると、記憶もなくなる」。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 2006年9月19日、タイでクーデターが起きました。指導者はタクシン・チナウッド政権の腐敗と不正、強権を正すために、やむを得ず、実行したとテレビで発表しています。 タクシン政権の横暴さと堕落さはその通りなのですが、タイを考える際に、決して欠かしてはならない点があります。それは軍と警察の利権抗争です。両者の握る利権は人々の日常生活にまで及んでいると言っても過言でありません。 タイでは、歴史的に、軍と警察が利権争いをしてきたものの、軍政の時代があっため、陸軍が優勢を保ってきました。その状況を変えたのがタクシン政権の発足です。 タクシン・チナワット首相は警察出身です。彼は、1973年、警察士官学校を首席で卒業し、その後87年までタイ警察局で警察士官学校の教官、警察情報センター副所長などを歴任しています。在任中に、各種の事業に手を出し、中でも通信事業の可能性に目をつけます。警察を辞めた後に、その通信事業で成功し、94年、政界に転身したのです。 タクシン首相は、就任後一貫して、警察の権限を強化し、軍の持っていた利権を警察に移します。当然、軍は反発するのですが、首相は人事で対抗します。自分を支持する軍人を優遇したのです。 こうした経緯もあり、タクシン政権では、クーデターの噂が絶えませんでした。しかし、軍政にうんざりしていた世論を意識して、軍もそれに踏み切れないでいたのです。 ただ、今年の夏に自身に対する暗殺未遂事件があると首相が発表し、軍の将校を逮捕するなどしていたため、軍が近々何らかの動きに出るだろうという憶測は流れていました。 タクシン政権下、タイの治安は比較的安定していました。警察出身を生かして治安回復が政権のアピール・ポイントです。しかし、ナラーティワート県・ヤラー県・パッターニー県の深南部3県は例外です。ここはマレーシアと隣接しており、住民の大半がイスラム教徒で、分離独立を唱えるグループもいます。2004年に大規模な暴動が発生し、2005年だけでも、月に40人の割合でテロや暗殺による犠牲者が出る状態で、マレーシアに難民が流出していました。 特徴的なのは最大のターゲットが教師だという点です。政教分離に基づいた教育を仏教徒の多い教師たちは指導しているのですが、それがイスラム主義者には気に入らないのです。政府公認の上で、教師は拳銃などで武装し、自衛しています。 しかし、これを宗教対立と見るのは総計です。元々は軍と警察の利権争いから生じたのです。 この3県は、タクシン政権発足まで、軍の縄張りでした。それを首相が警察に利権を移したのです。そのため、既得権益を奪われた連中が反発し、宗教対立に見せかけて、暴力行為に及んだのです。そうしているうちに、実際に、宗教対立も帯びるようになりました。 タクシン首相は、深南部3県の治安が安定しているとアピールするために、昨年、遊説に出かけます。けれども、首相はタイ北部のチェンマイ出身ということもあり、南部では端から人気がありません。猛反発を受け、暴力行為まで起きるという惨めな結果に終わります。 今回のクーデターがどのように決着するかはまだ判断できません。しかし、結果として、警察の利権を軍が取り戻すことに終始するとしたら、さびしい話でしょう。軍と警察の利権抗争から脱却することがタイにとって真の課題なのです。 〈了〉 |