連載 佐藤清文コラム 第23回 ソフトパワーとコモンウェルス 〜拡散の時代〜 その1 佐藤清文 Seibun Satow 2006年10月16日 |
「物事が難しいから、われわれはあえて行わないのではない。われわれがあえて行わないから、物事が難しくなる」。 ルキウス・アンナエウス・セネカ『ルキリウスへの手紙』 1 ソフト・パワーとは何か 2006年10月9日、朝鮮中央放送は朝鮮民主主義人民共和国が地下核実験を成功させたと発表している。 ジョージ・W・ブッシュ大統領は、3年前、北朝鮮による核兵器の保有を許さないと発言していたが、手をこまねいて見ていただけではないとしても、それに失敗したことは確かである。 こうした状況を招いた責任をワシントンにだけ押し付けるのは公正ではない。北朝鮮は危機を戦争の一歩手前の臨界状態にまで高めて、自分の言い分を通す瀬戸際外交をつねにとってきたのであり、危機を煽れば煽るほど、平壌に有利にことが運ぶ。 ブッシュ政権はこれでまた外交における失策を重ねたことになる。この核拡散のニュースの前に、すでに合衆国によるテロの封じ込め政策が成果をあげていないどころか、むしろ、それを誘発していることが明らかになっている。 合衆国政府が、2006年9月26日、イラク戦争とテロの関係について分析した「国家情報評価(National Intelligence Estimate: NIE)」の結論部分の機密指定を解除した記事を読む。 いずれの問題に対しても、ブッシュ政権の単調な政策姿勢が封じ込めどころか、逆に、拡散を招いたという疑いは濃厚である。はっきり言って、いきがりすぎて、ヘマをしてしまったのだ。 ブッシュ政権はテロと核の封じ込めに失敗し、それを拡散させつつある。そんな政権に対し、ハーバード大学ケネディスクールのジョセフ・S・ナイ(Joseph S. Nye, Jr.)教授は、かねてより、「ハード・パワー(Hard Power)」に偏重しすぎており、「ソフト・パワー(Soft Power)」の重要性を認識すべきだと批判し続けている。 「ソフト・パワー」は公になってから15年以上が経っているにもかかわらず、日本では定着しているとは言い難い。「ソフト・パワー」は、元来、ナイ教授が『不滅の大国アメリカ(Bound to Lead)』(1990)で用いた造語である。 竹中平蔵前総務大臣も、このソフト・パワー論を援用して、『ソフト・パワー経済―21世紀日本の見取り図』(1999)と『ポストIT革命「ソフトパワー」日本復権への道』(2001)というおよそ独創性とは程遠い安直な著作を刊行している。 ナイ教授は、『ソフト・パワー(Soft Power)』(2004)において、「イラク戦争をめぐって起こった国際関係の悪化を背景に」、この「ソフト・パワー」を正面きって論じている。彼は、まず、「パワー」を「自分が望む結果になるように、他人の行動を変える能力」と規定し、それを「ハード」と「ソフト」に二分する。 行動の種類において、前者は「誘導」=「強制」に基づく「支配力」であり、後者は「課題設定」=「魅力」による「吸引力」である。「ソフト・パワーは影響力と同じではない。(略)説得力、つまり議論によって他人を動かす力はソフト・パワーの重要な一部ではあるが、すべてではない。(略)単純化するなら、ソフト・パワーとは行動という面で見れば、魅力の力である」。 また、関連性の高い源泉は、前者の場合、「軍事力」、「制裁」、「報酬支払い」、「賄賂」などであり、後者では「制度」、「価値観」、「文化」、「政策」である。「ソフト・パワーとは強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である。ソフト・パワーは国の文化、政治的な理想、政策の魅力によって生まれる」。 加えて、ソフト・パワーは。ハード・パワーと比べて、変動性が高い。国家のソフト・パワーは「政府の政策によって、強まる場合もあれば、弱まる場合もある」。「国内政策か外交政策が偽善的」であり、他国の意見に対して「傲慢、かつ鈍感」で、「国益に関する偏狭な見方に基づいている場合」、ソフト・パワーは弱まってしまう。ソフト・パワーのもたらす結果は、その敏感さのため、ほんの些細なことで左右される。 ソフト・パワー論はアントニオ・グラムシの文化的ヘゲモニー論やレイモンド・ウィリアムズの文化研究の系譜に位置づけられる。 こうした規定を考えると、ハード・パワーがvisible、すなわち認知しやすいのに対し、ソフト・パワーはinvisible、すなわち認知しにくい点があることも否定できない。「魅力」を数量的に測定することが困難であるし、どこにそれを感じるかは分散傾向にあり、また、原因と結果の因果関係が明確ではない。 この特徴はソフト・パワーの限界の原因にもなっている。「力はすべて状況に依存する」以上、ソフト・パワーも万能ではない。「ソフト・パワーを生み出しやすいのは、文化が大きく違っている状況ではなく、ある程度まで似通っている状況のもとである」。 ナイ教授はハード・パワーの効力も十分に認めている。国家においては、ハード・パワーとソフト・パワーのバランスがとれた「スマート・パワー(Smart Power)」が望ましいと『ソフト・パワー』で結論付けている。 日本は、先の大戦を踏まえ、最もソフト・パワーを生かさなければならなかったが、それを果たせない。官僚や政治家、御用学者、事大主義的なメディアはその発進力の弱さを棚に上げ、信じがたいことだが、ハード・パワーを強化すれば、国際社会の中で存在感を誇示できると本気で信じている。 今日の国際政治におけるアクターは国家だけではない。ハード・パワーは主に国家が占めており、国家の地位が相対的に低下すれば、それだけソフト・パワーが決定的な意義を持ってくる。国家をめぐる環境の変化という潮流に対し、国家を強化しようとするとき、ハード・パワーに偏ってしまうのが実情である。 ブッシュ政権はハード・パワーによってテロリズムを封じ込めようと試みたが、その強引な手法はイラクで民衆の反発を招き、多くのレジスタンスを生み出している。彼らは強制や報酬のために、アメリカ軍に向けて攻撃を加えているわけではない。 アメリカ人が言葉によって他人の信頼を勝ちとろうとしても,もはや手遅れであり,ましてや贈与は何の役にも立たない.では,われわれにできることは何か。規範を示すこと──自身の生活様式をできるだけ改善することによってのみ、世界の信頼を勝ちとることができる。アメリカ人の主たる問題は世界ではなく、アメリカ人自身である.そして,われわれは自分自身を克服することによってのみ、世界の信頼を勝ちと取ることができる。 (エリック・ホッファー『魂の錬金術』) |