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連載 佐藤清文コラム 第23回

ソフトパワーとコモンウェルス
〜拡散の時代〜


その3


佐藤清文
Seibun Satow

2006年10月16日



3 コモンウェルス

 911以後、極端にハード・パワーに訴えた単独行動主義をとる合衆国の姿を目の当たりにして、アメリカ=「帝国」論が流行している。巨大な政治・経済・軍事の力をバックに、傲慢で、威圧的、荒っぽいブッシュ政権の姿勢がアメリカを帝国と世界に印象付けている。

 愛読書である旧約聖書の『箴言』
1618節にこう書かれてあることを、もちろん、ブッシュ大統領も承知しているはずである。「驕りの心は破滅に先立ち、尊大の心は没落に先立つ」。

 もっとも、アントニオ・ネグリ=マイケル・ハートは、そのモードを発信した『〈帝国〉(Empire)(2000)において、アメリカを〈帝国〉自身ではなく、その表象であり、〈帝国〉がグローバルなレベルに達し、固定された境界のない最高度に拡張した脱属領化だと言っている。

 これは帝国主義の帝国ではなく、むしろ、古代ローマ帝国をモデルとしている。古代ローマは中国と交易をするため、インド人に依頼してベトナムからメコン川を上らせている。こうした〈帝国〉に対抗するには、先行するジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリと違って、特殊性や分子革命ではなく、グローバル性に立脚しなければならないと彼らは主張する。

 〈帝国〉は誤解を招きやすく、エスタブリッシュメントにも、その対抗勢力にも使える概念とは言えない。もっとふさわしい別のアイデアが必要だ。それをわれわれは「コモンウェルス(Commonwealth)」と呼ぶことにしよう。

 「コモンウェルス」はcommon(共通の)wealth()によって構成され、元々は「公共の福祉」を表わし、共和国や合衆国の州、国民、団体、社会、共通の目的ないし理念、地益で結ばれた連邦などの意味を含む。

 この概念の提唱はある歴史的出来事を踏まえている。英国はハード・パワーにものを言わせ、20世紀初頭までに、広大な植民地を支配し、「大英帝国(British Empire)」を確立する。1931年、イギリス議会は「ウエストミンスター憲章(Statute of Westminster)」を採択し、イギリス国王に対する共通の忠誠によって結ばれた「英国連邦(The British Commonwealth of Nations)」を創設する。

 これはそれぞれが主権を持つ対等な独立国家の自由な連合体であり、イギリス、アイルランド自由国、カナダ、ニューファンドランド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦をメンバーとして発足している。

 第二次世界大戦後になると、大英帝国の植民地で独立運動が激化していく。1949年、インドが共和国として独立する。ところが、インド政府は、独立後も、この連邦に残ることを決める。以降、他の国々もそれに続き、連邦は帝国解体後も維持されることになる。

 「英連邦
(Commonwealth of Nations)」と改称したこのコモンウェルスには、現在5大陸の54の独立国といくつかの属領によって構成され、イエメン、パレスチナ自治政府、ルワンダなどが加盟を要望している。なお、アイルランドは加盟はしていないが、連携はしている。

 インドは強制や報酬によってコモンウェルスに残留したわけではない。それを促したのはその魅力、すなわちソフト・パワーである。コモンウェルスはソフト・パワーによる連合体にほかならない。英連邦は、大英帝国をその前身としながらも、そのハード・パワー性から脱却している。しかも、拡大している。帝国が終わり,コモンウェルスが始まったのである。

 ハード・パワーの弊害を乗り越えるために、ソフト・パワーに基づく連帯であるだけでなく、成功した場合、拡大するという特徴を持つコモンウェルスはこの英連邦に限らない。61年、経済協力開発機構(Organization for Economic Cooperation and Development: OECD)が設立されたが、これはコモンウェルスである。この組織は、先に言及したマーシャル・プランをきっかけに結成されたヨーロッパ経済協力機構(Organization for European Economic Co-operation: OEEC)を母体にしている。

 また、ヨーロッパ連合
(European Union: EU)は、史上初めてのソフト・パワーによる欧州の統合であり、コモンウェルスと呼ばねばならない。それ以前の統一への野望は、古代ローマからアドルフ・ヒトラーに至るまで、ハード・パワーに基づいている。トルコはEUへの加盟を熱望しているが、それは他国から促されたからではない。魅力があるからである。しかも、いずれのコモンウェルスも、第二次世界大戦というハード・パワーの惨劇を克服するために、誕生している、

 20世紀はソフト・パワーの重要さが顕在化した時代であり、コモンウェルスは、国際政治において、最大のアクターとなっている。こうしたコモンウェルスは、国家間だけでなく、企業、地方自治体、NGONPOなど数多く見られる。地雷禁止国際キャンペーンや国境なき医師団、アルカイダもコモンウェルスの一種である。世界はコモンウェルスによって構成されている。

 ブッシュ政権にしても、単独行動主義を採用しながらも、ソフト・パワーを完全に無視してはいない。ナイ教授は、『ソフト・パワー』において、ネオコンの政策にもソフト・パワーが配慮されていないわけではないと指摘する。

 なるほど、ドナルド・ラムズフェルド国防長官は、冷戦後のアメリカを故毛沢東主席よろしく「張り子の虎」と見なす勢力に対し、思い知らせてやると考え、軍事力を用いて、アフガンのタリバン政権とイラクのサダム・フセイン政権を転覆させたのは、間違いなく、ハード・パワーに立脚している。けれども、政府中枢のネオコンはイラクに民主主義を根づかせ、それを拠点に中東全域を民主化するという構想を打ち立てている。

 彼らは、ハード・パワーのみに頼るのではなく、ソフト・パワーの持つ効果を認めている。ブッシュ・ドクトリンにはセオドア・ルーズベルトの「棍棒外交」とウッドロー・ウィルソンの「宣教師外交」の二面性があるというわけだ。

 しかし、これは、構造的には、「白人の重荷」(ラドヤード・キプリング)のイデオロギーに支えられた植民地支配と同じである。昭和研究会が「大東亜共栄圏」のイデオロギーを編み出して日中戦争を根拠付けしようとしたように、自惚れた中東民主化のプログラムはイラク戦争開戦の後知恵にすぎない。

 「人は立派な意見を述べるが、立派な行いは見せない」(ベンジャミン・フランクリン『貧しいリチャードの暦』)。こうした論理のすり替えは世界の市民を納得させることができず、反戦デモの輪をグローバル規模に広めてしまう。「アメリカは偽善的であると軽蔑するか嫌悪している人たちは、アメリカの政策目標達成を支援しようとはあまり望まない可能性が高い」(『ソフト・パワー』)。

 ネオコンは新たなコモンウェルスを構築しようとしたものの、拡大できなかったという点からも、それは失敗だったと判断できる。ソフト・パワーはたんなるイデオロギーや理念ではない。それは拡大を促す情報である。コモンウェルスはハード・パワーの限界の超克を目的としたソフト・パワーの連合体であって、ハード・パワー行使の正当化にひねり出されたソフト・パワーでは、強引で納得を得られず、成り立たない。”You can lead a horse to water but you cannot make him drink(馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、力づくで水を飲ませることはできない)”.


                    その3 終わり、つづく