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インフォメーションと
インテリジェンス


佐藤清文
Seibun Satow

2006年11月24日


無断転載禁
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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「肩幅が広いといって、至上の力を発揮するわけではない。知性こそどこでも通用する至上の力である」。

ソポクレス『アイアス』

 安倍晋三内閣総理大臣は、合衆国のホワイトハウスを真似た国家安全保障会議(NSC)の創設を目指し、その枠組みを論議する「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」が20061122日日に発足しました。

 とは言うものの、国会審議を優先して、議長の安倍首相も塩崎恭久官房長官も会場に姿を見せませんでしたし、また、日程があわなかったために、岡崎久彦・小川和久・森本敏・柳井俊二の四氏も欠席しています。

 非公開で行われた会合は約1時間半続けられました。終了後、記者団に囲まれた小池百合子補佐官は、1123日付の東京新聞によると、メモを見ながら「総じて外交、安保について総合的に検討する場が必要で、情報の収集、分析機能を強化すべきというお話を伺った」と説明しています。

 日本の外交・安全保障は、一般的に、戦略的にお粗末だと揶揄されてきました。そうした意見に対し、政府は、安全保障理事国入りや偵察衛星の打ち上げの理由として、情報収集の向上を挙げています。情報が収集できないから、それらが弱いというわけです。

 「情報」は、明治時代、フランス陸軍の用語の翻訳だという説が有力ですが、 現代の日本語において、これが二つの英単語の訳語にあてられています。一つは「インフォメーション(information)」、もう一つは「インテリジェンス(intelligence)」です。前者を情報における量的な蓄積、後者を質的な判断と言い換えることができるでしょう。

 重要なのはインフォメーションではなく、インテリジェンスです。アメリカの中央情報局はCIAと略称で呼ばれていますが、正式には、Central Intelligence Agencyです。情報を収集する以上に、それを分析し、その意味を判断する組織だとアピールしています。

 20世紀、「分析」を掲げた二つの思想潮流がありました。一つは、言わずと知れた精神分析学であり、もう一つは英米で発達した分析哲学です。

 いずれも言語に焦点を合わせ、断片的な情報を分析しながらも、総合的な意味を考察しています。分析哲学を代表するウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン博士は、鶴見俊輔氏が師事したことでも知られていますが、
1942年から1946年にかけてはアメリカ海軍の諜報部に所属したのです。入手困難なことを集めるのではなく、誰もが手に入れられることから優れた分析・判断をするのがインテリジェンスというものです。

 同会議も分析機能の強化すべきだと言っています。しかし、海外で展開する企業と比べ、日本の外交・安全保障が弱い理由の一つに、ほとんど対米追従一辺倒が示す通り、分析力の脆弱さがあることは確かでしょう。

 それらの政策は既成事実と後知恵に終始してきたのです。そこにはインテリジェンスはありません。日本版
NSCも、安倍首相が望む集団的自衛権の行使の研究を目的としているとされています。だとすれば、それは後知恵にすぎません。分析の名に値しません。結局、インテリジェンスの重要性に政府は気がついていないのです。

〈了〉

参考文献

W・V・クワイン/、『真理を追って』、伊藤春樹・清塚邦彦訳、産業図書、1999

小野厚夫、「明治期における『情報』と『状報』」、神戸大学教養部紀要「論集」No.4781-98

http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Jouhou/kyoukan/Ono/joho_rep/910315.html