連載コラム 第28回 『ダーウィンの悪夢』 と外部不経済 佐藤清文 Seibun Satow 2007年1月15日 無断転載禁 本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。 |
「われわれは、われわれ自身を、解放された人民であると考えることに慣れている。われわれは民主的であり、自由を愛好し、偏見や憎悪にとらわれないという。この国は坩堝であり、偉大なる人間の実験の場であるという。いかにも美しい、高貴な、理想主義的感懐に満ちた言葉である。ところが現実は、われわれは野卑な、出しゃばりの烏合の衆であり、扇動政治家、新聞人、宗教的山師、宣伝屋等々の連中に他愛もなく動かされる感情の持主なのである。これをしも自由人の社会だなどと称するなら、神への冒涜だ。この狂った活動が進歩と文明化を代表するものだなどという偏執狂的妄想のもとに、この地上からふてぶてしくも劫掠したあり余る剥奪品の上に、何をわれわれは世界に提供しなければならぬというのか」。 ヘンリー・ミラー『冷房装置の悪夢』 1 種の絶滅 「資源は誰のものなのか?」──映画『ダーウィンの悪夢(Darwin’s Nightmare)』はそう問いかけている。 一九六〇年代、アフリカ最大の湖ヴィクトリア湖に、バケツ一杯の外来魚「ナイルパーチ」が放流される。この大型魚は食用に適していることもあり、アフリカ各地で放流されておる。 この世界第二の面積の淡水湖は、生物種が短期間の内に適応し、放散して分布してきた歴史を持っている。一万五〇〇〇年の間に、わずかな原種からシクリッド(カワスズメ)など300種以上の固有種が生まれている。こうした実績通り、ケニア・ウガンダ・タンザニアの三カ国に接する恵み深き湖は、その白身魚も期待以上のスピードで繁殖させる。 漁民たちは、このスズキ目アカメ科に属する魚により、経済的利益を手にし始める。さらに、多国籍企業がそれを買い上げるだけでなく、湖岸に魚加工工場を建設する。こうした投資は湖周辺に雇用を創出し、漁民以外にも収入をもたらすことになる。 二〇〇六年一二月二九日付『朝日新聞』によると、日本は、EUに次ぐ、お得意さまである。二〇〇五年、約二五〇〇トンを輸入している。三枚おろしの形で冷凍にして運びこまれ、国内では、スズキの代用として業務用に重宝されている。大きいため、切り身にしやすいと同時に、加熱しても身割れしない特徴があり、フライやソテーの料理に用いられることが多い。主に、飛行機の機内食やホテルのバイキングで使われている。 けれども、ナイルパーチは人に食べられるが、その数以上に他の魚を餌にする肉食魚である。大きいもので全長二メートル、重さ一〇〇キログラムにも達するこの魚は食欲を満たすために、固有魚の二〇〇種を絶滅させ、残りもその危機に直面させている。 脊椎動物の種がこれほど大規模に絶滅に向かったことはかつてない。史上最悪の種の浄化である。加えて、周辺地域の農業によるシルトと呼ばれる非常に細かな粒子状の土砂が沈殿し、富栄養化させたことも湖のホロコーストの進行に拍車をかけている。国際自然保護連合(International Union for Conservation of Nature and Natural Resources: IUCN)はその大飯喰らいを「世界の侵略的外来種ワースト一〇〇」に選定し、環境省も要注意外来生物にリストアップしている。 一九九三年二月二九日から、生物の多様性に関する条約、いわゆる生物多様性条約が発効されている。国連難民高等弁務官事務所や国連食糧計画、世界銀行、IMFなどのアフリカ援助に関連する組織にしても、手をこまねいているわけではない。 しかし、その経済的利益も民衆の生活向上につながっているかどうかは、はなはだ疑問である。潤っているのは多国籍企業や先進国、湖岸地域のボスくらいで、民衆は富を収奪されているだけではないのかと映画の観客は思わずにいられない。 言うまでもなく、このような環境破壊と富の搾取はこの湖畔だけに限らない。途上国の各地に見られるだろう。ヴィクトリア湖の問題は氷山の一角にすぎない。フーベルト・ザウパー監督は「生命にとって、一番危険な懸念は知らないこと、無知だと思います。私は知的な戦いとして、このグローバリゼーションというコンテキストの中で、この仮面を剥ぐ、ということを使命に感じています」と記者会見で答えている。 監督は、これをアフリカの諸問題に対する処方箋のつもりで描いているわけではない。かりにナイルパーチのもたらす富が民衆に還元されたとしても、矛盾が顕在化する。と言うのも、この問題は市場経済自身が抱える根本的欠陥にかかわっているからである。 2 コモンズの破壊 ヴィクトリア湖は、近代以前、漁業に携わってきた人々にとって、入会権に基づく、入会地、すなわち「コモンズ(Commons)」である。 コモンズは、元々の意味は、近代以前のイングランドとウェールズにおいて、牧草地管理を自治的に行う制度のことである。これは英国に限った制度ではなく、その開放度に違いがありますが、世界中に見られる。それらを総称するために、現代では、「コモンズ」という用語が使われている。 日本にもこうしたコモンズの伝統はある。明治以前、日本各地に「入会地」の制度が認められている。村落共同体が、村落の外枠にある山林原野において、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を慣習的に行っており、その権利を「入会権」と言い、入会権が設定された土地が「入会地」である。地域によっては、これが漁場の場合もある。その利用及び管理に関するルールは各村落によって微妙に異なるが、所有権が複合的・重層的である点は共通している。入会地は入会権を持つ人たちが所有しているものの、共同体の共通資本であって、それを分割することも売却することもできない。 しかし、コモンズの制度は、近代化と共に、解体される。 長野県総合計画審議会最終答申『未来への提言〜コモンズからはじまる長野県ルネッサンス〜』(二〇〇四)はコモンズの歴史について次のようにまとめている。 自然環境をコモンズにより巧みに管理し、その機能を永続的に維持しようとする営みは、ある意味では人類の歴史とともに古いといってよい。 対象となる自然環境あるいは自然資源の特性に応じて、また、そのときどきの技術や経済、法制的条件に順応して、固有な制度を形成し、固有のルールにしたがってコモンズは機能してきた。 日本の歴史的体験に照らしてみても、さまざまな形態をもった経営・管理組織がつくられ、機能してきた。特に、森林、溜池灌漑、漁場に関する入会の制度はその典型的なものである。 たとえば、ある一つの村落が中心になって森林を管理し、一定のルールにしたがって利用し、あるいは労力を提供して森林を持続可能なかたちで維持するものが森林に関する入会である。 伝統的なコモンズは、地域ごとに、「結」、「講」、「小繋」、「衆」、「組」など、さまざまな名称で呼ばれ、長い歴史的な過程を経て、進化・発展を遂げてきた。 しかし、産業革命を契機として、工業化を最も効率的に進展させるための組織、制度がきわめて早いペースで普及し、近代合理主義的な政治哲学にもとづく近代国家が形成される中で、伝統的なコモンズは、前近代的、非効率的なものとして排除されていった。この歴史的傾向は、二十世紀に入っていっそう加速された。 特に、第二次世界大戦後における経済発展の過程を通じて、農業の比重が大きく低下するとともに、世界の多くの国々で、伝統的なコモンズは消滅の一途を歩み続けていた。 日本においても、明治以降近代的な法体系が整備されていく過程で、入会制のような、私的所有関係が明確でない制度は徐々に廃止されていったのである。 近代は入会権を無効にし、一元的で排他的な財産権(所有権)を最も基本的権利として成立している。原則的に、近代が一義的なシンボルの社会だとすると、それ以前は多義的なアレゴリーの社会である。入会権を含む土地に関する諸権利は重層的・複合的であり、近代の所有権は、そうした複雑な封建的制約を廃止する過程で確立されている。 ジョン・ロックは、『市民政府二論』(一六九〇)の中で、財産権の根拠を国家や社会からではなく、個人の労働に求めている。労働は個々人によって自然に所有されている以上、その人が労働を加えた物を所有する権利を有する。個人たらしめるのは財産権であり、それは不可侵とならざるを得ない。財産権に基づく自由で平等な個人が社会契約を結び、近代的な政治体制を誕生させる。 この財産権は政治だけでなく、新たな経済システムをも後押しする。一元的な財産権が認められた土地・建物・商品・ザービスは、市場を通じて、自由に売買できるようになる。こうした市場経済では、誰のものかわからないものを売買することなどできない。 可能な限り多くのものに所有権を明確にしても、すべてをそうできるわけではない。市場には,「外部性(Externality)」が存在する。それは、ある主体の経済活動が市場を通さなかったり、他の主体の同意をとらなかったりすることで及ぼす影響である。外部性は、「正の外部性(Beneficial Externally)」と「負の経済性(Negative Externally)」に大別できる。 前者は「外部経済」とも呼ばれ、他の経済主体にとって有利に働く。よく用いられるのが養蜂家の譬えである。蜜蜂が野原から集めてきた植物の蜜を蜂蜜として出荷するが、養蜂家は野原の所有者に対価を支払わない。けれども、蜜蜂により受粉が引き起こされ、食部の繁栄を促している。 後者は、「外部不経済」の別名通り、他の経済主体にとって悪影響を及ぼす。環境汚染はこの外部性がもたらす典型例である。 3 コモンズの悲劇? 一九世紀から世界各地で近代を受け入れが始まるが、それに伴い、為政者は入会権に代わって財産権を適用していく。しかし、昨今、この新しい経済権が途上国における貧富の格差のみならず、貧困自体を生み出していることが、開発経済学の研究によって、明らかにされている。 高木保興放送大学教授は、『開発経済学』において、多くの研究者の成果を紹介している。森林資源を例にそれを要約すると、次のようになる。 途上国には、熱帯林の森林伐採が行きすぎ、環境の悪化のみならず、大洪水や種の消滅などがもたらされているところも少なくない。木材は先進国には売れば金になるし、植林事業には補助金もつく。こんなおいしい話のため、大量の伐採はとどまるところを知らない。 近代化を推進する政府は国富を増すために、森林資源に目をつける。「これを伐採して、外国に売れば、莫大な利益を得ることができるではないか」。新たな雇用を創出し、外貨収入も得られる。ところが、山岳民族の中には、焼畑農法を使い、その森林資源を消失させている者もいる。彼らを平地に移住させ、森林を国有化し、計画的に伐採・植林をすれば、森林資源を有効利用できる。 けれども、所有権を明確にしなければ、開発することは困難である。そこで、政府は、一定期間の内に、この森が誰のものであるかを登記しなければ、国有地にすると通達を出す。しかし、入会権は近代の財産権とは違う。住民が登記することはできない。「これは誰かのものじゃない。この村のみんなのものだ」。コモンズは、結局、国有地化されてしまう。 政府は代替の農耕地を生活の糧を失った彼らに用意している。しかし、新参者に、実り豊かな土地が残されているはずもない。条件の悪い地に、農耕の知識・技術・経験に乏しい彼らが挑んだとしても、結果は目に見えている。「ここにくるべきではなかった。あの森に帰ろう」。慣れた仕事の方が、生活を安定させる確率は高い。 けれども、戻って目にした森の姿にはその面影がない。政府から許可を受けた企業が大規模伐採が進んでいる。「ここは、元々、自分たちのものだ」。彼らも、忍び込み、伐採を始める。しかし、そこはもう彼らの森ではない。政府管轄の森には、コモンズだった頃に守られてきた暗黙のルールが存在しない。森はすべての者にとって収奪の対象となる。ここに、ギャレット・ハーディンの言う「コモンズの悲劇(The Tragedy of Commons)」が到来する。 このコモンズの悲劇は「囚人のジレンマ」の応用例と考えられている。生物学者ギャレット・ハーディンは、一九六八年、『サイエンス』誌にコモンズの悲劇という仮説を発表する。コモンズである牧草地に、複数の農民が牛を放牧したとする。ある農民が利益の最大化を求めて、より多くの牛を放牧し始める。 けれども、近代以前、コモンズは機能し続けている。コモンズはその共同体にとって生活の糧である。住民は依存している資源を枯渇させるようなことはせず、ルールに従い、共同管理し、つねに一定の状態を維持する。木材は、絶対的に、売買の対象などではない。 資源と言っても、すべてを同一の見方で考えることはできない。森林資源や海洋資源と違い、地下資源は近代以前にも枯渇しているケースも少なくない。今でこそ資源の乏しい島国であるが、石油の時代が到来する前、日本は資源大国である。「黄金の国ジパング」はよく知られているけれども、金だけではない。 そうした経緯もあって、地下資源の収奪は、森林資源や海洋資源以上に、露骨であり、激烈である。地下資源の所有権は、実質的に、先進諸国が握っている。中東の石油は産油国自身ではなく、先進国で大量に消費されている。産油国が石油事業を国営化しようとすると、イランのモハンマド・モサッデグ政権のように、先進諸国があからさまな妨害工作に打って出るケースも少なかったとは言えない。 伐採許可を受けている企業にしても、違法伐採が横行していたとしても、実は、損をしない。植林事業を行えば、政府から補助金が下りるからだ。誰かが勝手に伐採していれば、それだけ植林面積が増えることになる。政府が、逐一、森林の状況を監視しているわけでもない。 加えて、植林される種類は限定される。売れるものに絞りこまれ、画一的な森が再生産される。樹木の品種が減るにつれ、環境が変化し、絶滅する生物が現われ、種の多様性が失われていく、 このカラクリを知った旧住民たちの中にも、平地で収入を得ているにもかかわらず、改めて、森の所有権を主張し始める者も現われる。認められると、多くの場合、小遣い銭の足しにとばかりに、無茶な伐採を開始する。 さらに、地方政府・自治体も収入の確保を目的に、森林事業に手を出す。地方の場合、中央以上にその資源への依存が高いため、森林資源の保護よりも、伐採を優先させてしまう。 しかし、世界にとって地球温暖化が最重要課題となっている現在、森林資源は伐採・輸送・販売の対象にとどまらず、温室効果ガスの一つである二酸化炭素を吸収してくれる貴重な場である。また、多様な種を保全することは生態系の維持にも欠かせない。その意味で、森林は地球全体の資源である。旧住民のものか国家のものかという「あれかこれか」の問題ではない。 「各主体にとって、外部性が大きいということは、各主体にとって最適と思われる行動が、より広い外部の主体にとって見ると外部性を考慮していない批判すべき行動と映ることを意味する。個人や企業が地方政府から批判され、地方政府は中央政府から批判される。そして、熱帯林を豊富に持っている途上国は世界、とりわけ、先進国から批判される」(『開発経済学』)。 この外部性を内部化しようとしても、内部化には経済的負担が伴う以上、各主体が対立する。熱帯林を地球全体の資源と考えるならば、途上国の伐採は世界にとって負の経済性をもたらす。途上国は世界にその見返りとして経済的負担を支払わなければならない。 一九一九年のワイマール憲法が「所有権は義務を伴う」と言及しているように、公共の福祉のために、財産権が制限されることは、今日、法的に正しいとされている。けれども、公共の福祉自身をどう捉えるかによってその縛りも揺れ動く。 先進国は、途上国における乱開発の原因として、近代的制度の不備・未成熟を挙げる。けれども、そうした乱開発は、世界的な近代化=画一化の進展と共に、生じている。コモンズが機能していた時代には、今では途上国と呼ばれる地域で、産業化による大規模な環境破壊は起きていない。 自由貿易論者は道徳的使命感ではなく、合理的欲望に環境問題の解決を委ねようとする。けれども、国際的な自由貿易はシステムが共通もしくは類似している国や地域の間でしか成り立たない。近代の制度は欧米から世界中に拡散している。全世界が一斉スタートしたわけではない。グローバリゼーションは一気に世界を共通の制度の下に置く試みである。 自由貿易がすべての国に利益をもたらすわけではない。それは先行する国にとって有利である。自由貿易はそれを始め、そこから利益を享受するもが維持を望んでいる。しかし、マラソンで、先頭集団から五分遅れでスタートしたランナーが二分つめたとしても、まだ三分の開きがある。後発国にとって、この貿易制度は決して公正なものではない。 近代以前、アフリカと欧州の国々の間で、対等な立場で貿易が行われている。アフリカでは、海岸沿いに寄港拠点が点在し、欧州諸国は内陸の各王朝と対等な友好関係が築かれ、お互いに国王が手紙や贈答品を交換している。コンゴ王国とポルトガルのコンゴ王国のアフォンソ一世とポルトガルのマヌエル一世(在位一四九五年─一五二一年)の間でと交換された書簡は、両者の関係が良好であったことを示している。双方共、別に、相手に自分の制度を押しつけてはいない。 「ということは、ベストな制度は生活水準や技術水準によって異なってくるというここでの考え方に基づけば、国際貿易では双方が利益を得るには両国の所得水準は似通っていることが求められる。先進国と途上国のように生活水準に大きな開きがある二国間での国際貿易は、ここでの議論のように、途上国に大きなマイナス効果をもたらすケースが起こりうるのである。 そのため、コモンズは、グローバルな規模で、再認識されている。レバノン南部のベカー高原では、二〇〇五年一二月七日付『朝日新聞』によると、内戦により荒廃した湿原や森を「ヒマ」と呼ばれるアラブ伝統のコモンズによって再生している。 「ヒマ」の起源は六世紀のアラビア半島に遡るとされ、その意味はアラビア語で「保養地」である。泉や緑地の一部を部族あるいはコミュニティの共有地とし、水や燃料の供給源として保全している。 4 ニエレレの夢 途上国の資源をめぐるアポリアをヴィクトリア湖岸地域へと置き換えてみよう。 種の多様性が著しく失われたヴィクトリア湖は、住民の生活の糧としてのコモンズではない。収奪の対象である。ナイルパーチは地元で消費されるわけではなく、先進国に輸出されている。ナイルパーチ漁は雇用創出と外貨獲得を主目的とする産業である。 そもそも、これだけ一つの産業に地元経済が依存している現状では、権威主義・事大主義的雰囲気に圧され、住民からの民主的な発言は期待できない。そうなると、ここをとりしきるボスとその取り巻きが横暴に振舞い、目先の利益だけを追いかけるようになり、労働者の待遇は悪化して、貧富の格差が拡大し、裏ビジネスも横行する。 国連は、毎年、世界の国・地域の「人間開発指数(Human Development Index: HDI)」を発表している。これはその国・地域の人々の生活の質や発展レベルを示す指標である。この上位国は先進国と重なり合う場合が多い。二〇〇六年版によると、全一七七中、ウガンダは一四五位、ケニアが一五二位、映画の主な舞台であるタンザニアに至っては一六二位である。このようにヴィクトリア湖岸諸国と先進国との生活水準の差は著しい。それは、とりも直さず、その三国が自由貿易の恩恵を受けにくいことを意味する。 しかも、タンザニアの近代制度の確立を邪魔したのは先進諸国自身である。タンザニアは、独立当初の一九六〇年代、世界銀行調査団の提言通りの政策を実施していたが、外国から投資が集まらず、経済的に立ち行かなくなっている。その主な原因は、東独承認に反発して西独が援助を停止したこと、そして、白人少数政権のままでローデシア独立を承認した英国に抗議し、国交断絶に至ってしまったことの二点である。 タンザニアの初代大統領ジュリウス・カンバラゲ・ニエレレは、セネガルのレオポルド・セダール・サンゴール等と並ぶアフリカ社会種の提唱者の一人である。彼は、タンザニア独立の翌年である一九六二年、『ウジャマー─アフリカ社会主義の基礎』という論文を発表している。これによると、アフリカは民主主義にしろ、社会主義にしろ、欧米から教えてもらう必要はなく、それはすでにアフリカの伝統に根付いている。 一般に「ウジャマー社会主義」と呼ばれるこの平等主義は農村を基礎としている。タンザニア政府は農業の近代化を推進させたが、それは最初から見込みがない。農業の近代化に伴う投資費用は受益農民が農産物販売で弁済できる金額を上回っている。そこで、農村社会主義化を勧めていくけれども、頓挫する。それは政策のまずさもあったが、この地域ならびに世界情勢に翻弄されたことも見逃せない。 ケニア・ウガンダ・タンザニアは、独立後、「東アフリカ共同体(East African Community: EAC)」を形成していたが、一九七七年に崩壊する。三国は共同で鉄道・船舶・郵便・航空などの組織を運営していたが、加盟国間の経済格差が広がり、ウガンダからの割り当ての支払いが滞り続けると、比較的豊かなケニアが不満を覚え、共同体から脱退し、おまけに、ウガンダとタンザニアの間で、国境をめぐって、戦争が勃発してしまう。 ナイルパーチは、こうした社会的・歴史的状況に、かのアフリカの大湖へ放流され、繁殖してきたのである。 このヴヴィクトリア湖のゲシュタポが問題の原因ではなく、それに依存せざるを得ない貧困こそ根源であるというのは正論かもしれない。しかし、その肉食魚が貧困の悪循環を促進させているという将来的見通しは否定できない。この旧英国領の三国はコロニアリズムに依然として苦しめられているのであって、この巨大魚はその表象である。 単一種に支配されつつあるヴィクトリア湖の環境悪化の影響以前に、かりに住民へナイルパーチからの利益を今まで以上に分配したとしても、その巨大魚の需要が激減すれば、この地域の経済は破綻する。気候の変動や市場の動向に左右されやすい一次産品のモノカルチャーは、長期的に見て、経済を安定させることはない。むしろ、ウジャマー構想の再検討が有意義であると言わねばなるまい。 『ダーウィンの悪夢』は市場経済と財産権のはらむ本質的な矛盾を描いている。市場の持つ潜在的な力を引き出すには、一元的な財産権の導入が不可欠である。しかし、それは、象が針の穴を通るほど困難な内部化できない外部を不可避的に生み出してしまう。ダーウィニズムは、そうした市場経済の勃興期に反発・受容され、それを正当化するために曲解されている。プロレタリアートにとって、社会的ダーウィニズムは悪夢以外の何ものでもなかったろう。 もちろん、入会権を素朴に復活させれば、市場経済のもたらした弊害をすべて解決できるわけでもない。世界は産業革命以前とあまりに変わってしまっている。しかし、社会的公正さに則って、財産権を再考し、現代的な入会権を再構成することは必要である。 5 『資本論』を読む 入会権と財産権の対立は現在先進国と呼ばれている地域でも、かつては問題になっている。一八四二年、ケルンの『ライン新聞』の若いデスクがラインラントのコモンズを擁護する記事を書いている。 ラインラントの住民は、昔から、森に入って、薪を集めて生活の糧としている。ところが、人口が増加し、町が繁栄してきた結果、この薪拾いが問題となり始める。当局は古くからの住民の入会権を無効とし、森に私有財産権を適用すると決定する。すると、財産の保全を求めて、多くの住民がプロイセンの法廷に殺到する。この過程により、法律はいっそう厳格化され、森林資源の所有者に略式で盗難額を算定できる権限が認められてしまう。 弁護士を父親に持つこの編集長は、その権限について、次のように批判している。 さらに、このトリール出身のジャーナリストはモーゼル渓谷のブドウ栽培者も支持している。ドイツの各州では、当時、共同市場がつくられ、モーゼルの栽培者たちは、そうした関税同盟の下、激しい競争にさらされている。その頃、所得税という税制はまだなく、関税は政府にとって重要な税源である。 そこで、彼は自由な場で双方が意見を戦い合わせてはどうかと次のように提唱する。 困難を解決するためには、管理する側もされる側も、ともに第三者を必要とする。この第三者は公の立場につかず官僚的にもならずに政治的であって、それと同時に、私的な利害に直接かかわりをもたぬ市民を代表する者でなければならない。問題の解決にあたるこの第三者とは、政治的な精神と市民の心からなる自由な新聞である。 その後、ベルリン大学卒のこの記者は、ロシア皇帝に対し、離婚に関して世俗的に取り組むべきであるという記事を掲載する。当局は、一連の記事を問題視し、一八四三年、『ライン新聞』を発行停止とする。職を追われた彼は、家族を連れて、パリへ逃れていく。 この若者の名前は「カール・ハインリヒ・マルクス」と言う。後の偉大な経済学者の政治的対決の出発点がコモンズであったことは非常に意味深である。大著『資本論』には「経済学批判」の副題がつけられている。これは経済学における負の外部性に対する批判である。この革命家による資本主義批判はそのシステムだけではなく、暗黙の前提に向けられる。資本主義の糾弾者が私的所有を問い直したことはよく知られている。 <参考文献> ジョン・ロック、『市民政府論』、鵜飼信成訳、岩波文庫、一九六八年 甲斐道太郎、『所有権思想の歴史』、有斐閣、一九七九年 ジョン・K・ガルブレイス、『不確実性の時代』上、斎藤精一郎訳、講談社文庫、一九八三年 マーク・ブローグ、『ケインズ以前の100大経済学者』、中矢俊博訳、同文館、一九八九年 トマス・ホッブズ、『リヴァイアサン』1、水田洋訳、岩波文庫、一九九二年 坂本勉=鈴木董編、『イスラーム復興はなるか』、講談社現代新書、一九九三年 宮本正興=孝松田素二編、『新書アフリカ史』、講談社現代新書、一九九七年 中山幹夫、『はじめてのゲーム理論』、有斐閣、一九九七年 柳原正治、『グロティウス』、清水書院、二〇〇〇年 山岸俊男、『社会的ジレンマ─「環境破壊」から「いじめ」まで』、PHP新書、二〇〇〇年 石見銀山歴史文献調査団編、『石見銀山』、思文閣出版、二〇〇二年 高木保興、『開発経済学』、放送大学教育振興会、二〇〇五年 マイクロソフト社、DVD『エンカルタ綜合百科辞典2006』、二〇〇六年 長野県総合計画審議会、『未来への提言〜コモンズからはじまる長野県ルネッサンス〜』、 http://www.pref.nagano.jp/kikaku/comoseit/comosei/vision/saisyu.pdf 青山貞一、「『環境と経済』の狭間で翻弄されるアフリカ〜ダーウィンの悪夢〜」 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col7182.html フーベルト・ザウパー、「『ダーウィンの悪夢』フーベルト・ザウパー監督 記者会見」 http://www.darwin-movie.jp/reports.html UN Human Development Report, “2006 UN Human Development Index Report” |