地域医療と自尊自大 佐藤清文 Seibun Satow 2007年1月7日 無断転載禁 本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。 |
「普通の医者は患者を死ぬるにまかせるが、やぶ医者は患者を殺す」。 ジャン・ド・ラ・ブリュイエール『人さまざま』 2007年1月1日、岩手県の地方紙『岩手日報』は一面トップに「あすのカルテ」という特集記事を掲げました。この特集は第一部は15回連載し、その後、随時続けられていくようです。 そこに記されているのは、壊滅寸前の地域医療の現状です。日本全体としては量から質への医療サービスの転換が唱えられていますが、地域医療の現場では質以前に絶対的な量が足りていないため、十分のサービスが提供できないのです。 『岩手日報』の世論調査によると、岩手県民の6割以上が医師不足を感じています。しかし、岩手医科大学小川彰医学部長はこの数字に対し、岩手県の地域医療が「危機的状況にある割には少ない」とし、「現状は最後の柱一本で支えているようなもので、ちょっとした異変が起きればすべて瓦解する危険性を秘めている」と述べています。小川医学部長は全国医学部長病院長会議の地域医療に関する専門部会委員長を務めています。 岩手県の増田寛也知事も、医師不足を県政の「最重要課題の一つ」と認めています。県もさまざまな対策を講じているのですが、効果は芳しくありません。 臨床研修医制度の必修化に伴い、全国で2年間に1万5500人の医師が誕生したものの、研修医は研修に専念しなければならなくなりました。その結果、全医師の6%が失われたことと同じであり、これを岩手県にそのまま置き換えると、150人が医療現場から去ったことになります。 また、医師が不足しているからと言って、たんに医師の数を増やせばこの問題が解決するわけでもないのです。医師が増やしても、その多くは東京や大阪などの大都市圏に集中してしまい、地域医療に携わる医師の増加に繋がっていないのです。 地域医療の瓦解は、戦後どころか、近代日本の基盤の一つが崩れることになるのです。 江戸時代、西洋近代文明は、高野長英のような蘭学者を通じて日本に紹介されましたが、彼らの多くは医師でもありました。明治に入ると、その西洋医学だけが医学の地位を獲得し、かつて正統派だった東洋医学は民間療法へと格下げになったのです。 戦後、整備された医療システムにより、多くの風土病や感染症を抑え込むことに成功しました、また、日本医師会の武見太郎会長は「武見天皇」と呼ばれ、(医師会・薬剤師会・歯科医師会の)三師会のみならず、政界や官界にも絶大な影響力を誇っていました。 地域医療という非常に身近で具体的な問題は、近代日本という大きな社会的・歴史的枠組みにかかわることなのです。 一方、全国紙の『朝日新聞』の元旦の一面トップは松岡利勝農林水産大臣のスキャンダルです。出資法違反容疑で福岡県警の家宅捜索を受けた資産運用コンサルティング会社「エフ・エー・シー」の関連団体「WBEF」のNPO法人申請をめぐり、松岡大臣の秘書が審査状況について内閣府に照会をしていたのです。この熊本の代議士は、以前から、さまざまな黒い噂が絶えず、あまりに危なくて大臣にさせられないと政界でささやかれてきた人物です。 安倍内閣は発足100日の間で、人事において、欲(金)・色(下半身)・人(黒い人脈)という政治家スキャンダルの三拍子そろったことになります。短期間の内に、これだけスキャンダルに塗れた政権はちょっと記憶にありません。 にもかかわらず、先に国会では政府が提出した法案はすべて通過しています。どんなに無能な政権であっても、数の力で厚顔無恥にも押しきっているのです。なのに、政府はそれを「実績」と自画自賛し、安倍首相は、年頭の記者会見で、「美しい国づくり」に邁進し、任期中の「改憲」を唱えています。あまりに自尊自大がすぎるというものでしょう。 しかも、経団連も、この政権におべっかをつかうように、「希望の国、日本」なる事大主義な御手洗ビジョンを元日に公表しています。 今の政治は自分が見えていない学生の書いた出来の悪いレポートのようです。国家論のように、やたら大きいテーマを選び、対象をろくに絞り込まず、下調べを怠り、具体性に乏しく、誰かの本から写したのがみえみえで、半端な知識が舌足らずの文章でつづられているのです。「自惚れは愚か者につき物である」(ヘロドトス)。 おそらく、次の国会においても、どれだけ支持率が下がったとしても、数に頼る姿勢を貫くに違いありません。世論が支持していないのに、法案は通り、こんなはずではなかった社会が到来し、引き返すことができなくなってしまうのです。 〈了〉 |