アメリカのユダヤ人と イスラエルのユダヤ人 佐藤清文 Seibun Satow 2007年1月24日 無断転載禁 本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。 |
「説明されていない夢は読まれていない手紙と同じである」。 ジョージ・W・ブッシュ大統領は、2007年1月23日、イラクへの追加派兵を盛りこんだ一般教書演説を行いました。大統領はすでに2万人増派を発表していますが、民主党からだけでなく、共和党からも批判が噴出する有様です。おまけに、増派の発表後、イラク国内でテロが続発し、さらに、イランとの関係悪化を招いています。 今回の演説で目を惹くのは、イラクだけでなく、エネルギー問題への言及です。環境問題に積極的に触れるのは政権発足以来初めてです。 いずれの課題も中東やイスラム圏と密接な関係があるわけですが、その地域の情勢はパレスチナ問題に帰着します。この難問は当事者のイスラエル=パレスチナ双方だけでなく、アメリカの積極的関与なくしては、解決できません。 しかしながら、常に問われているのが合衆国のダブル・スタンダードです。アメリカは、パレスチナと比べて、イスラエルの肩を持ちすぎています。この偏向により、イスラム圏でアメリカに対する根強い不信感があるのです。イスラエルへの非難決議を国連で採択しようとしても、アメリカが拒否権を行使して妨害するのです。 外務省は、イスラエルに関して、経済協力の主要援助国の項目について次のように記しています(2006年10月現在)。 米(建国以来、多額の有償無償経済援助を実施。98年までの総額は800億ドル弱に達している。対エジプト平和条約締結後の1981年以降は全額無償援助となり、85年以降は経済援助12億ドル、軍事援助18億ドル)。イスラエルの提案を踏まえ、99年より、米の経済援助は毎年1.2億ドルずつ減額され10年間でゼロにすることとされている。(但し、その半額は軍事援助の増額分として振り分けられる。) とは言うものの、合衆国政府は、イスラエル建国当初から、必ずしも、贔屓していたわけではありません。ハリー・S・トルーマン大統領がイスラエルを承認したとき、ジョージ・マーシャル国務長官はそれに反対しています。また、スエズ動乱とも呼ばれる第二次中東戦争の際には、英仏ならびにイスラエルに対し、エジプトからの撤兵するようにと圧力をかけています。アメリカがイスラエルに甘くなったのは、東西冷戦が激化した第三次中東戦争からです。 アメリカにおいて、ユダヤ人は全人口の約2%程度です。二大政党制の下、わずかな票の違いで選挙結果が左右されることから、議会もホワイトハウスも豊富な資金力と強固な組織票を抱えたユダヤ人コミュニティの動向を無視できないために、イスラエルを支援していると一般に考えられています。確かに、世界の都市の中で最もユダヤ人が住んでいるのは、エルサレムでもテルアビブでもありません。ニューヨークです。 けれども、トーマス・L・フリードマンの『ベイルートからエルサレムへ』によると、アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人の間には認識の違いがあるのです。 トーマス・フリードマン(Thomas L. Friedman)はアメリカ出身のユダヤ人です。『ベイルートからエルサレムへ(From Beirut to Jerusalem)』は中東赴任中の経験が書かれ、特に、レバノン内戦、イスラエル・パレスチナ関係を主題としています。この著作は、建国直後、イスラエル当局がパレスチナ難民を撮った映像をすべて押収したため、その姿が現在に至るまで世界に伝えられていないと言及していることで知られています。増補版が1990年出版という制約もあり、また、パレスチナ側の記述に関しては不備が目立つものの、ユダヤ人をめぐって興味深い分析を示しています。 アメリカのユダヤ人は同じユダヤ人だから無批判的にイスラエルを支持しているのであり、彼らの票欲しさに合衆国政府がイスラエルに肩入れしているというのは、極めて短絡的な見方です。ユダヤ系アメリカ人は、彼によれば、イスラエルに対して誇りと恐れのアンビバレントな感情を抱いており、イスラエルのユダヤ人とアメリカのユダヤ人の両者は文化も言語も共有していないのです。 イスラエルが全世界のユダヤ人に対して移住を呼びかけた際、アメリカで応じた者は少なかったのです。それどころか、キッスのジーン・シモンズが、幼い頃、母に連れられてアメリカに渡ってきたように、移り住んだイスラエルをあとにアメリカへ行く人もいたくらいです。フリードマンは、アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人の関係は、愛や相互理解ではなく、アメリカのユダヤ人は「色」を、イスラエルのユダヤ人は「金」を求めての利害による「結婚」のようなものだと譬えています。このカップルに愛はないというわけです。 両者を結びつけているのは、過去によって作られたイスラエルのイメージです。イスラエルのユダヤ人はナショナリズムによって、イスラエル国家を維持していると考えています。しかし、第一次インティファーダ勃発後、アメリカのユダヤ人は、作られたイスラエルではなく、真の姿を知りことになったのです。フリードマンは、イスラエルのユダヤ人はイスラエルの状況に涙を浮かべるが、アメリカのユダヤ人は怒りと恥ずかしさを感じると言っています。後に述べる通り、イスラエル建国という民族誌の正典化がアメリカのユダヤ人をイスラエル支持に回らせているのにすぎません。イスラエルへの非難はこの正典への異議となるため、彼らはそれをしないのです。この後ろめたさなどの複雑な感情に基づいてユダヤ系アメリカ人はイスラエルを支援しているのであって、それがイスラエルの横柄な態度を助長しているのです。 今日、イスラエルを支持することがユダヤ人のアイデンティティにつながるという通念があります。実際、フリードマンも、欧米から多くのユダヤ人が自分探しのためにかのカナンを訪問すると書いています。イスラエル建国が伝統的な宗教的意味としてのユダヤ教徒と言うよりも、近代的なユダヤ人のアイデンティティを与えたのです。 けれども、この建国以前、シオニストがユダヤ人の主流派だったわけではありません。フランス革命によって欧州のユダヤ人のゲットーからの解放が始まりました。その過程で、ユダヤ人はいくつかの派に分かれ、シオニズムはその一つにすぎませんでした。 まず、ユダヤ性を極限まで縮小させ、ヨーロッパ社会に同化しようとする「ハスカラー」と呼ばれるユダヤ啓蒙主義運動が生まれます。その代表的理論家がモーゼス・メンデルスゾーンです。中には──特に、ドイツやフランスで──、極端な愛国主義に走るユダヤ人も現われました。 しかし、解放されたユダヤ人に対し、大変な差別が待ち構えていました。最も有名なのがフランスで起きたドレフェス事件でしょう。 そこで、新大陸への移住が活発化しますが、と同時に、ユダヤ性への回帰の動きが生じます。それは二つに大別できます。 一つがエルサレム市街の丘であるシオンへ帰ることを主張するシオニズムです。彼らは同化主義の道は閉ざされたのであり、ユダヤ人の国家を作る以外残されていないとパレスチナへの移住を呼びかけます。当時湧き上がっていた国民国家体制とナショナリズムの影響を受け、それをイデオロギーに建国運動を進めていきます。ユダヤ教から独立したユダヤ国民国家にアイデンティティを見出したのです。 もう一つは正統派連合と呼ばれるユダヤ教に忠実な人たちです。シオニストは世俗派であり、別に神権政治の体制を構築しようとしているわけではありません。政教分離が原則です。しかし、幅はあるものの、正統派連合は宗教国家イスラエルを目指しています。ユダヤ教規範を国家原理に昇格させようとするのです。彼らはシオニストを近代への屈服者と批難しています。 当初、シオニストと正統派連合は対立していましたが、1935年、両者は建国運動で連携します。すると、それに不満を覚えた少数派が離反していきます。彼らはメシアによる真のユダヤ国家の建設を信じており、超正統派と呼ばれています。ユダヤ人の国は神が創るものであり、人為的にそれを企てることはもってのほかだと考えているのです。 逆に、ユダヤ性を否定する急進的なグループも登場します。彼らは革命を通じて現体制を打破し、普遍的な社会主義・共産主義社会を建設することに取り組んだのです。アイザック・ドイッチャーが「非ユダヤ的ユダヤ人」と命名したレフ・トロツキーがその典型です。 結局、ホロコーストの体験から、シオニスト主導の下で、イスラエルが建国されます。ところが、建国自身を目的としていたため、より正確には、建国こそがユダヤ人の置かれている現状を解決するという楽観的な信念のため、国家像が欠如したままで誕生したイスラエルは内部分裂に悩まされることになるのです。 ここ最近では、一つの政党が単独で政権を担当することはなく、選挙が終わると、連立協議が始まり、不安定な内閣が発足します。しかも、全人口の4分の1は非ユダヤ教徒です。現状を打開するために、首相公選制を導入したものの、混乱を増しただけで、失敗に終わります。 社会民主主義的な世俗国家を目指すシオニストとユダヤ教に立脚する神権国家を理想とする正統派連合が手を組んだにしても、建国を優先するあまり、新たな問題を未来に先送りした結果になります。この曖昧さゆえに、イスラエルという国家の存在自体がユダヤ人のアイデンティティに直結してしまうのです。 それまで多様であったユダヤの民族誌はイスラエル建国を正当化するものを正典化されていきます。この正典に異を唱えることは、それが本当に正典なのかと問いただすことはユダヤ人にとって難しくなりました。戦前、ジークムント・フロイトは、シオニズムに反対し、『人間モーゼと一神教』を書き、モーゼはエジプト人だったという仮説を提起しています。しかし、イタリアの作家プリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツからの生還者ですが、イスラエル軍によるレバノン侵攻を批判し、そのため、イタリアのユダヤ人コミュニティから孤立を強いられ、それが自殺の一因ではないかと推測されています。 イスラエルの建国運動をきっかけに、今までシオニストとパレスチナ人との間で軋轢や紛争が続いています。けれども、それ以前、イスラム圏に居住するユダヤ人の待遇は決して悪いものではありませんでした。そこでは、ムスリムとユダヤ教徒は協力関係にあったのです。 90年代に入り、東西冷戦というイデオロギー・ポリティクスに代わり、アイデンティティ・ポリティクスが湧き上がりました。それはパレスチナ問題ですでに顕在化していたことの拡散です。後世に影響を及ぼした一神教がこの付近で生育したように、ここは世界にとって予兆の場かもしれません。 ユダヤ人であることは、歴史を見れば、多様ですが、それと同時に、団結を求める動きがあったのも事実です。けれども、建国以降、アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人の「結婚」が端的に告げている通り、多様性よりも統一性が極端に強まってきました。それを維持するために、莫大な防衛費を注ぎ込み、何をされるかわからないと怯えながら、なめられてはいけないとハード・パワーに極端に依存しています。しかし、ユダヤ人は、律法とタルムードを読み解き、文化を愛好し、それに貢献してきたように、ソフト・パワーを尊重してきた伝統があるのです。民族誌を正典化し、アイデンティティを確認しながらも、その意味で、今ほどユダヤ人が自分を見失っている時代もないのです。 〈了〉 アイザック・ドイッチャー、『非ユダヤ的ユダヤ人』、鈴木一郎訳、岩波新書、1989年 トーマス・L・フリードマン、『ベイルートからエルサレムへ―NYタイムズ記者の中東報告』、 鈴木敏訳、朝日新聞社、1993年 小滝透、『ユダヤ教』、河出書房新社、1998年 徐京植、『プリーモ・レーヴィへの旅』、朝日新聞社、1999年 ジークムント・フロイト、『モーセと一神教』、渡辺哲夫訳、ちくま学芸文庫、2003年 チャーレス・ズラックマン、『ユダヤ教』、中道久純訳、現代書館、2006年 外務省、「各国インデックス(イスラエル国)」 |