「生む機械」発言と 『ロボット』 佐藤清文 Seibun Satow 2007年1月31日 無断転載禁 本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。 |
「機械で産み出せるというのは大進歩です。楽ですし、速いのです。お嬢様、速度を速めるというのはいつも進歩なのです」。 カレル・チャペック『ロボット』 生理学者ロッサム博士は、偶然、生きた原形質を作り出すことに成功し、それを使って人造犬、次いで人造人間を誕生させました。その甥のエンジニアは人造人間から「無駄」を取り去り、労働をするだけの生命機械「ロボット」を開発させました。これをビジネス・チャンスと捉え、ロッサム社が設立され、万能型のロボット(通称R・U・R)として商品化して量産を始めたのです。 そのロッサム社をヘレン・グローリーという女性が訪れ、社長のハリー・ドミンと面会しようとする場面から、カレル・チャペックの戯曲『ロボット』が始まるのです。 今日、「ロボット」という単語は日常的に使われていますが、それは、元々、チェコの作家カレル・チャペック(Karel ?apek)の『ロボット(R.U.R.: Rossumovi univerzalni roboti)』から生まれています。チェコ語の「労働(robota)」からの造語です。 10年後、労働から解放された人間は無為徒食となってしまい、ロボットはそれに反発し始めます。人間から「労働」以外の「無駄」を除去し続けて誕生したのが「ロボット」であり、そのロボットにより苦役から解放された人間は生殖機能もなくしてしまったのです。 ドミンの妻となったヘレンは人間の生殖能力を喪失させたロボットの製造を停止させるため、生命創造の秘密を記した文書を償却します。ロボットはとうとう反乱を起こし、人間を一人だけ残して抹殺してしまいます。けれども、その秘密を知ることはできません。ロボットは再生産の方法がわからず、滅亡の道を辿る運命に愕然とします。 しかし、男女一組のロボットの間に愛が芽生え、彼らが新しい人類の「アダム」と「イヴ」となっていく予感をさせて幕となるのです。 この戯曲が初演されたのは1921年1月25日のことです。極めて先見的であり、主人と奴隷の寓話や生命倫理の問題、商業主義、創造性、出産など多岐に亘って、根本的な再考を突きつけています。ただ、現在ロボットと一般的にイメージされる機械仕掛けではなく、バイオテクノロジーによって生み出された現代のゴーレムです。 その86年後の2007年1月27日、松江で、柳沢伯夫厚生労働大臣は、女性を「産む機械、装置」と譬えて、少子化問題をめぐって講演しました。この非常識な発言に対し、野党のみならず、与党議員から批判が続出しています。市民・女性団体もこれに抗議し、巷の会話や世間話でも、その不見識に呆れと怒りがあがっています。 かの想像力溢れる戯曲のロボットたちは子供を儲けることの秘密に悩み、それと直結しないで、愛を覚えます。ロボットも「産む機械」ではないのです。 女性が「産む機械」であるから、心の痛みを感じることもないだろうと柳沢大臣は思って、機械的にそう口にしたのかもしれません。今回の一件は失言ですむことではありません。働いていても、何も考えていない人を「ロボット」と呼ぶことがありますが、今の柳沢大臣ほどそれがふさわしい人物もいないのです。 〈了〉 参考文献 カレル・チャペック、『ロボット(R.U.R)』、千野栄一訳、岩波文庫、2003年 |