ジハードとイルム 佐藤清文 Seibun Satow 2007年3月29日 無断転載禁 本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。 |
アラブの諺 中東情勢が報道されない日はありません。しかも、パレスチナやイラク、イランなど緊迫した状況が続いています、それと共に、その地域で多数派の宗教であるイスラム教に関する情報も伝えられています。 その中でも最も関心を持たれているのが、「ジハード(jihad)」でしょう。過激派が口にしていることもあって、この概念をめぐり、イスラム教は暴力を容認しているのか、それとも寛容と平和の宗教なのかという問いがしばしば発せられます。 ジハードは「聖戦」とも訳されますが、語源的に言って、本来の意味は「努力」です。よきイスラム教徒になるべく努力するという用法です。「戦争」という意味はありません。 しかも、『コーラン』にジハードはわずか二箇所しか出てこないのです。それだけの言及でイスラム全体を決めつけるというのは、そもそも乱暴な話です。 このジハードの意味に別の解釈が加わったのは十字軍の禍です。十字軍による残虐非道を前に、当時のイスラムの学者たちは悩みました。なぜこんな目にあったのか、アッラーを怒らせるようなことをしてしまったのだろうかと問い直したのです。 信心深いヌールディーンとサラディーンという2人の将軍がこのジハードを掲げ、兵士たちを鼓舞し、十字軍に戦いを挑んだのです。「聖戦」という解釈を含むようになったのはこうした経緯があるのです。 ジョージ・W・ブッシュ大統領が9・11の報復として軍を派遣する際、「十字軍」に譬えたのは、こうした点からも、最悪だったと言わざるを得ません。 区別するために、新たな意味を「小ジハード」と呼びます。また、この受動的なジハードと異なる能動的なジハードを「大ジハード」と言います。 ジハードとは逆に、『コーラン』に最も登場しながら、日本のメディアがまったくと言っていいほど伝えていない概念があります。それが「イルム(ilm)」です。 “Al-Mawrid: A Modern English-Arabic Dictionary 2006”によると、この単語には知識や情報、知性、知覚、認知など「知」に関する全般的な意味があります。また、自然科学が「イルムタビーヤティ」であるように、学問の「学」という用法もあります。そのため、アラブの出版社がこの語を社名に入れているのをよく目にします。 残念ながら、ネットで日本語の検索をしても、「イルム」に言及しているサイトは非常に少なく、イルムに「知識」の意味があると記されている程度です。その重要性を説くウェブはあまり見当たりません。 また、政府の補佐官を含め、中東通なる人物が「イルム」に触れているのも聞いたことがありません。まあ、確かに、感情と利害、打算で政権が誕生してしまう日本らしい光景だとも言えなくもありません。日本政府も、遅まきながら、中東和平に積極的に参画しようとしていますが、こういう半端な「知識」は危険です。 『コーラン』は知を尊んでいます。西洋近代合理主義は理性を重んじましたが、それよりも知性です。知識のないことは危険であり、それを求めることはよきイスラム教徒になるためには欠かせません。努力はより多くの知識を身につけようとすることでもあるのです。 ジハードではなく、イルムからイスラムを捉える方がより本質的です。イスラム文化の全盛期はこのイルムに基づく統治の時代でした。 一方で、『コーラン』は感情的になることを戒めています。扇情的な行動などもってのほかです。その意味で、イスラム教はイルムの宗教、知の宗教と言えるのです。 今日の中東は知性ではなく、感情が爆発している状況でしょう。おまけに、利害が絡み合っています。あまりにも半端な知識がまかり通っています。 最も困難かつ複雑な場所でさえそうなのですから、感情や利害を見つめ、厳しい自己反省をする知性は尊ばなければならないのは、何も、イスラム教徒だけではありません。今、世界が求めているのは知性です。それは日本も例外ではないのです。 〈了〉 参考文献 『コーラン』上中下、井筒俊彦役、岩波文庫、1957-64年 小滝透、『イスラーム教』、河出書房新社、1998年 Munir Baalbaki, Al-Mawrid: A Modern English-Arabic Dictionary 2006 , Kazi Pubns Inc, 2006
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