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半ズボン総理と死の内閣


佐藤清文

Seibun Satow

2007年5月31日


無断転載禁
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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「新米の弁護士だと遺産が失われ、新米の医者だとうずたかい墓場が大いに繁盛する」。

フランスの諺

 2007530日に行われた党首討論において、安部晋三内閣総理大臣は「ふまじめ」と自分に向けられた野次を批難しました。今回に限らず、ここのところ、彼は野次に対し苛立つ姿をよく見せます。

 けれども、彼こそかつて国会の見学者をうんざりさせるほどしつこく野次を飛ばしていたのです。騒々しくねちっこく続けるため、菅直人衆議院議員からたしなめられたこともあります。

 それは、まるで自分のことは棚において、同級生を注意する半ズボンの学級委員のようです。この手の子は、「君だって私語をしていたじゃないか」と反論されると、「ぼくが?いつどこで?何時何分?」と早口でまくし立てるのです。確か、係争中のNHKの番組への圧力の有無をめぐって、テレビ朝日系の『ニュース・ステーション』に出演した際、彼は同様の質問をしていました。これは記憶頼りですので、もしかたら、ぼくが?いつどこで?何時何分?」とつっこまれるかもしれません。

 安倍首相はやわに見られないために、毅然とした態度をとろうとするのですが、これがまたちぐはぐです。彼は、528日、自殺した松岡利勝農相が緑資源機構の官製談合事件に絡み関連法人から献金を受け取っていた問題を指摘されていることに関し「本人の名誉のために言うが、緑資源機構に関しては、捜査当局から『松岡農相の取り調べを行っていた事実はないし、これから行う予定もない』という発言があったと承知している」と述べました。

 けれども、これは三権分立の原則をないがしろにするする発言です。下痢をするからとカレーライスの代わりにハヤシライスを食べる首相ですが、こんな前提さえ消化できないほど知的に未熟なようです。

 この半ズボン総理の政権は、発足以来、論功行賞人事のため、「仲良しクラブ」と揶揄されてきました。首相の人選は、身体検査が雑なせいで、色・金・人のスキャンダルの三拍子がそろったお粗末なものでした。おまけに、やることなすこと政治的リーダーとして未熟さが目立つのです。優先的政治課題と有権者が見なしていない教育基本法の変更や改憲を目的とした国民投票法案の可決を、議論もろくにせず、2005年夏の総選挙の結果を利用して、強引に押し切ってきました。

 ところが、いざ一般の関心の高い課題──官僚の天下り規制や政治における金の透明化、不明年金など──に着手した途端、不手際や認識不足、ごまかしが露呈し、支持率が一気に急落する有様です。

 しかも、短期間であるにもかかわらず、この内閣からは死の匂いが漂っています。いじめを苦にして子供たちが自ら命を絶ち、伊藤一長長崎市長が銃撃され、さらに松岡利勝農林水産大臣が自殺しました。加えて、想起する年配の方が多いように、半ズボン総理の政治方針や姿勢が戦前、あの死に覆われた時代を思わせています。「死の内閣」と呼んでもいいかもしれません。

 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を自らの政治目標として口にします。この「レジーム(Regime)」はフランス語に由来し、政体や体制、制度といった意味があります。

 一般には馴染み深くはありませんけれども、高校の世界史の教科書では、「アンシャン・レジーム(
ancien regime)」として登場してきます。

 これはフランス革命以前の政治・社会を指します。そのアンシャン・レジームを攻撃した手工業者・職人・小店主・賃労働者などの貧困市民層は「サンキュロット(
sans-culotte)」と呼ばれました。

 当時の貴族・ブルジョアジーが着用していたキュロット、すなわち半ズボンを履かない者たちという意味です。半ズボン総理がしようとしているのは、この歴史と重ね合わせるならば、「アンシャン・レジームへの回帰」にほかならないのです。

 政治における死というものは野蛮さではなく、未熟さがもたらすものなのです。あからさまな暴力は、短絡的で未熟さが支配した社会で、我が物顔に振舞います。それは歴史が不吉にも教えてくれることです。

 日中戦争に突入させ、「東亜新秩序」を公表してその戦争を泥沼に引きずりこみ、国家総動員体制や統制経済を進め、ナチスを手本として大政翼賛会を結成したのは、あの経験不足でひ弱な近衛文麿でした。

 育ちのよさからくるソフトさもあって、彼は世論からの支持は非常に高かったのですが、政権を運営できるほどの経験も知識も判断力もなく、二進も三進もいかなくなり、最後はすべてを放り投げたのです。彼の政権は人々を死へ導いた「死の内閣」でした。半ズボン総理はこの近衛によく似ているのです。

〈了〉

付記

 松岡利勝農水大臣の自殺に関して、メディアでタレントだけでなく、それなりの社会的地位のある人が「サムライの切腹」のアナロジーを用いています。

 しかし、これは適切とはいえません。侍は「さぶらひ」に由来し、武士のみを指すわけではなく、六位以下の近侍者のことで、今で言うと、ノンキャリアです。

 芥川龍之介の『芋粥』の藤原利仁がまさに侍なのです。これは高校の日本史で扱われています。また、近世以前、切腹は、入水などと同様、武士の自決方法の一種にすぎず、江戸時代に刑罰と明確に位置づけられてから様式化したのです。「腸を刺した程度では、苦しいだけで容易に死ねない。

 時代劇の切腹に介錯がつくのも、腹を切っただけではすぐに死なないからだ。切腹だけで死のうとすると、腸を切って、さらにその奥の背骨の前を通っている腹部大動脈まで切断しないと死ねない。

 余談だが、池波正太郎の時代小説を読むと、首の頚動脈を切られて即死した、という描写がよく出てくるが、頚動脈を切られると頭に行く血液が極端に少なくなるので、意識はすぐになくなるだろうが、死ぬまでには何分かかかるだろう」
(支倉逸人『検死秘録』)

 天下泰平の前の武士は敵に捕まるくらいなら自決を選んでいただけで、黒澤明の『七人の侍』で触れられている通り、戦に負けても生き延びて、身を潜め、再起を図るケースも多かったのです。

 こうした歴史を振り返る限り、松岡大臣の自殺を「サムライの切腹」と譬えるのは、肯定的であれ、否定的であれ、「ふまじめ」です。

参考文献

千葉徳爾、『切腹の話−日本人はなぜハラを切るか』、講談社現代新書、1972

全国歴史教育研究協議会、『日本史用語集』、山川出版社、1988

全国歴史教育研究協議会、『世界史用語集』、山川出版社、1989

支倉逸人、『検死秘録』、光文社、2002