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変化と政治


佐藤清文

Seibun Satow

2007年9月26日


無断転載禁
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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「変化は別の変化を準備する」。

ニコロ・マキャベリ『君主論』

 金田一秀穂杏林大学教授は、2003年、『新しい日本語の予習法』において、チャットや掲示板などのウェブ上での世論形成について次のように分析しています。

 なるべく早く反応したいために、短くなり、内容が空疎になる。うけ狙いに走る。顔文字を使いたいのであらかじめ用意しておかなくてはならず、それが定型化して、同じパターンのことばが多くなる。時間をかけてゆっくりと議論すべき大切な事柄が、茶化しの対象にしかならなくなる。極端な意見は、わかりやすいというそれだけの理由で、説得力を持ちやすい。初めはうそだとみんなが知っていたことが、面白いから本当だと思うことにしようということになり、そのうち本気で信じるものが出てくる。最初に言い出した人は、あわてて打ち消そうとするのだが、もう急流の中の木っ端にすぎなくて無視される。とてつもない言論の自由が、強い統率力を持ったことばに喜んで従い始め、小さな声が大きな声につぶされていく。まるで、ナチスが発生した原因を分析する社会心理学のシミュレーションのような状況が、毎日パソコンの向こう側で観察できる。

 これは小泉政権誕生以来蔓延してきた政治家の言葉・世論形成のメカニズムを的確に言い表しています。荒々しく、威勢のいい言葉、粗雑で、短絡的な主張が幅を利かせ、「わかりやすいというそれだけの理由で」、極端な意見がもてはやされてきました。もしかしたら、今もそうかもしれません。

 金田一教授は、その名前から推測できるように、金田一京助=金田一春彦と続く三代目です。しかし、政界の世襲議員とは一味違います。彼は世界各地で日本語を教えていた経験から、外国語として日本語を考えることを提唱しています。「正しい日本語」や「美しい日本語」という立場を決してとりません。「私が本当に面白いと思えることは、日常の中で使われていて、誰も困らず、誰も不思議に思っていないような言葉の中に、考えても考えてもわからなくなるような謎を見つけ出すことです」(『ふしぎ日本語ゼミナール』)。新しい表現を「乱れ」と非難するのではなく、「変化」と捉え、その意味を読みとろうと心がけています。新しい奇異な印象の言い回しが巷で流布した場合、それが生まれた経緯ならびに違和感の理由を分析し、本質的な議論を展開していきます。

 「1000円からお預かりします」のように、コンビニ敬語とも、マニュアル敬語とも呼ばれる聞くたびにひっかかりを覚える敬語があります。金田一教授は、『日本語のカタチとココロ』、の中で、「お客様への異常なほどの配慮、恐怖心」の現われだと指摘しています。「1000円からお預かりします」は、本来、「1000円をお預かります」のはずです。預った1000円を全部貰うのではなく、きちんとお釣りをお返ししますよという意識が働き、「1000円お預かりして、1000円からお釣りをお返しします」という文章が構成され、それが長いので、短縮して先の表現になったのだろうと分析しています。これはお客に配慮しているかに見えて、実は、規制緩和やグローバル化に伴って競争が激化して生じた強迫観念が発せさせているというわけです。

 そもそも敬語は、ある年齢以上になってから習得する以上、日本語のネイティヴ・スピーカーにとっても外国語です。しかも、店員には若者や留学生が多く、あまり敬語を使う場面を経験していません。彼らが接客の際に、どういう敬語を使うべきなのかわからなくても、無理からぬところでしょう。金田一教授も、日本語学者として敬語を研究しているが、敬語を実践的に使いこなせているかどうかとは別の話だと吐露しています。知ることではなく、考えることの方がはるかに有意義なのです。その種の敬語を「乱れ」と指摘し、「正しい」言い方を辞書から引っ張り出すだけでは、それが表象する社会の変化を把握できません。

 変化についていくのなら、若い人の方が反射神経がありますから、適しているかもしれません。けれども、現代の変化はたんに速いだけではなく、絶え間ないものです。むしろ、変化の意味を読みとり、本質を理解する方が変化に真に対応しているのです。激動の時代だからと若さに期待するのは非常に浅はかな考えです。

 威勢良く荒々しい言葉は、表向きの勇ましさとは裏腹に、変化についていくのが精一杯なだけで、置いて行かれたくないという恐怖心の現われにすぎません。急速な変化自体が「強い統率力を持ったことば」への積極的な従属をもたらしていたのです。変化の意味を読みとるという本質に向けられた洞察力がそこにはないのです。

 ようやく国会が再開されます。恐怖に左右される政治はもうおしまいにすべきでしょう。政治にも「強い統率力を持ったことば」ではなく、本質的で実りある議論が不可欠なのは明らかです。そのためには、政治家も、メディアも、人々も、洞察力をもっと磨く必要があるのです。

〈了〉


参考文献
金田一秀穂、『新しい日本語の予習法』、角川oneテーマ21、2003年
金田一秀穂、『ふしぎ日本語ゼミナール』、生活人身所、2006年
金田一秀穂、『日本語のカタチとココロ』、日本放送出版協会、2007年