大連立構想と小沢一郎代表 佐藤清文 Seibun Satow 2007年11月6日 無断転載禁 本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。 |
ネッカー夫人『随筆集』 日本には、歴史的経験から絶対に受け入れられない三つのことがあります。核兵器、文民統制なき軍隊、それに大政翼賛会です。 今国会では、補給艦「とわだ」の航海日誌の破棄や給油量の食い違いの隠蔽など文民統制のあり方が問われることが発覚し、まさにそれが議論されるところでした。 有権者は蚊帳の外に置かれたまま、いろいろな報道が飛び交い、全体像をつかむのが難しい状況です。一体どうなっているのかわかっている人は非常に少ないことでしょう。ただ、政治における原則的な話はすることができます。 通常、大連立は、選挙の結果、いずれの党も過半数の議席をとれず、第一党も第二党も第三党などに連立を働きかけたけれども、失敗し、もはや両党が連立をせざるをえなくなるときにのみ許される特殊な体制です。 小選挙区制の下での大連立構想が起きること自体、日本の政界が近代議会制民主主義が何たるカを理解していない証です。一部メディアが公然とそれを支持しているように、日本はまだまだ政治的に未熟なのです。 それどころか、このデザインをしたのが渡辺恒雄読売新聞朱筆だという説さえ流れています。 今、騒がれている大連立など大政翼賛会そのものです。1940年10月、第二次近衛文麿内閣は、ナチスやファシストを模して、挙国一致を掲げ、政党を(自主的に)解散させ、大政翼賛会を発足させます。 小沢一郎民主党代表は政権交代のできる政党政治の構築を政治的目標とし、そのために、今回の動きをしたと言っています。 小沢代表は、田中角栄氏や竹下登氏と違い、人材を発掘できても、育成することができませんでした。育てるには待たなくてはなりません。彼にはこの待つということができず、性急に結果を求めてしまうのです。 小沢代表は尊敬する政治家として原敬の名を挙げますが、それが彼自身の傾向をよく物語っています。 御厨貴東京大学教授は、『転換期の大正』において、明治日本を描くのに、「司馬遼太郎流」と「山田風太郎流」の二つの方法論があると次のように述べています。 一つは司馬遼太郎の『坂の上の雲』をはじめとする一連の歴史小説に見られるもの。ここでは一人の主人公、あるいはその一人をとりまく複数の主人公が成長していく過程を、明治日本の発展過程と重ねあわせながら叙述していく。言い換えると、彼の大河小説にはさながら伸びゆく明治の青春群像の活写、青年譚の展開を、はっきりくっきり映し出すという趣がある。 これに対して、今ひとつの山田風太郎の『明治伝奇小説集』に象徴される。『警視庁草子』に始まる一連の開化伝奇シリーズは、ある個性の持ち主が別の個性の持ち主と偶然出会うことから事件が起こる。またそこに別のキャラクターがからむことによって、事件が予想外の方向に転換していく。いわばその出会いのざわめきの中で、物語が紡がれていくことになる。 司馬遼太郎の明治日本は、ひたすら前へ進んでいくと、周囲の明かりが照らし出す中に世界の行く先が浮かび上がってくる。他方山田風太郎の明治日本には、横への思わぬ広がりが示される中で、舞台全体がせり出していく様相が浮き彫りにされる。 日本の政財界には、小泉純一郎元首相を含めて、司馬遼太郎のファンは大勢いますが、山田風太郎の愛読者はあまり多くないようです。 47歳で自民党幹事長に就任した小沢代表は「地位は人をつくるタイプ」です。その政治活動にも、「ひたすら前へ進んでいくと、周囲の明かりが照らし出す中に世界の行く先が浮かび上がってくる」という趣があります。 〈了〉 参考文献 天川晃他、『日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2007年 |