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大連立構想と小沢一郎代表


佐藤清文

Seibun Satow

2007年11月6日


無断転載禁
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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「苦労して自分の性格を克服した時、性格を持っていることが証明される」

ネッカー夫人『随筆集』

 日本には、歴史的経験から絶対に受け入れられない三つのことがあります。核兵器、文民統制なき軍隊、それに大政翼賛会です。

 今国会では、補給艦「とわだ」の航海日誌の破棄や給油量の食い違いの隠蔽など文民統制のあり方が問われることが発覚し、まさにそれが議論されるところでした。

 しかし、その重要案件に代わって、今、大政翼賛会の再来とも言うべき特異な大連立構想が重要な政治・ニュースとしてメディアにとりあげられています。

 有権者は蚊帳の外に置かれたまま、いろいろな報道が飛び交い、全体像をつかむのが難しい状況です。一体どうなっているのかわかっている人は非常に少ないことでしょう。ただ、政治における原則的な話はすることができます。

 通常、大連立は、選挙の結果、いずれの党も過半数の議席をとれず、第一党も第二党も第三党などに連立を働きかけたけれども、失敗し、もはや両党が連立をせざるをえなくなるときにのみ許される特殊な体制です。

 最近ですと、ドイツやイスラエルで成立しました。しかし、いずれも選挙制度は比例代表制が中心です。

 小選挙区制がメインでの議会で大連立など聞いたことがありません、一つの選挙区で一つの議席を争っていて、その相手と手を組むことなどできるはずもないし、第一、投票した有権者から信頼を失います。選挙不振を招いてしまいます。

 小選挙区制の下での大連立構想が起きること自体、日本の政界が近代議会制民主主義が何たるカを理解していない証です。一部メディアが公然とそれを支持しているように、日本はまだまだ政治的に未熟なのです。

 それどころか、このデザインをしたのが渡辺恒雄読売新聞朱筆だという説さえ流れています。

 プロ野球の一リーグ制構想も世論の猛反発を受け、戦後最も支持されたストライキによって頓挫したというのに、もし本当だとしたら、懲りない人です。

 本質的に全体主義的メンタリティの人物なのでしょう。おまけに、伝えられるところによれば、この大連立構想は憲法変更が目的です。格差問題が深刻にもかかわらず、人々の生活など二の次なのです。

 今、騒がれている大連立など大政翼賛会そのものです。194010月、第二次近衛文麿内閣は、ナチスやファシストを模して、挙国一致を掲げ、政党を(自主的に)解散させ、大政翼賛会を発足させます。

 これにより、慎重な分析や冷静な議論を欠いた日本の政治は、ただ願望思考に基づく判断を続け、泥沼化した日中戦争を解決できなかっただけでなく、太平洋での戦争まで起こすことになってしまったのです。大政翼賛会は、近代日本政治史における最大の汚点と言っても過言ではないのです。

 小沢一郎民主党代表は政権交代のできる政党政治の構築を政治的目標とし、そのために、今回の動きをしたと言っています。

 今度の真意はどうなのかはわかりません。しかし、そもそも、その可能性をこれまでつぶしてきたのは小沢代表自身でした。小選挙区制による総選挙の前に、非自民政権が崩壊してしまわなかったら、政権交代可能な体制が確立できたと思われています。

 やりくりしていかなければならない状況では、そうすることが政治力です。けれども、彼はゴールを焦るあまり、オフサイドをする傾向があるのです。

 小沢代表は、田中角栄氏や竹下登氏と違い、人材を発掘できても、育成することができませんでした。育てるには待たなくてはなりません。彼にはこの待つということができず、性急に結果を求めてしまうのです。

 小沢代表は尊敬する政治家として原敬の名を挙げますが、それが彼自身の傾向をよく物語っています。

 御厨貴東京大学教授は、『転換期の大正』において、明治日本を描くのに、「司馬遼太郎流」と「山田風太郎流」の二つの方法論があると次のように述べています。

 一つは司馬遼太郎の『坂の上の雲』をはじめとする一連の歴史小説に見られるもの。ここでは一人の主人公、あるいはその一人をとりまく複数の主人公が成長していく過程を、明治日本の発展過程と重ねあわせながら叙述していく。言い換えると、彼の大河小説にはさながら伸びゆく明治の青春群像の活写、青年譚の展開を、はっきりくっきり映し出すという趣がある。

 これに対して、今ひとつの山田風太郎の『明治伝奇小説集』に象徴される。『警視庁草子』に始まる一連の開化伝奇シリーズは、ある個性の持ち主が別の個性の持ち主と偶然出会うことから事件が起こる。またそこに別のキャラクターがからむことによって、事件が予想外の方向に転換していく。いわばその出会いのざわめきの中で、物語が紡がれていくことになる。

 司馬遼太郎の明治日本は、ひたすら前へ進んでいくと、周囲の明かりが照らし出す中に世界の行く先が浮かび上がってくる。他方山田風太郎の明治日本には、横への思わぬ広がりが示される中で、舞台全体がせり出していく様相が浮き彫りにされる。

 日本の政財界には、小泉純一郎元首相を含めて、司馬遼太郎のファンは大勢いますが、山田風太郎の愛読者はあまり多くないようです。

 さらに、御厨教授は、この二つの方法論は明治から大正にかけて活躍した岩手県出身の二人の政治家に応用できると付け加えています。前者が原敬、後者が後藤新平です。原敬が「地位は人をつくるタイプ」であるとすれば、後藤新平は「器量が地位をつくるタイプ」です。

 47歳で自民党幹事長に就任した小沢代表は「地位は人をつくるタイプ」です。その政治活動にも、「ひたすら前へ進んでいくと、周囲の明かりが照らし出す中に世界の行く先が浮かび上がってくる」という趣があります。

 彼のオフサイド癖も、そのためなのでしょう。しかし、「横への思わぬ広がりが示される中で、舞台全体がせり出していく様相が浮き彫りにされる」こともあります。その方が政権交代可能な政党政治体制を生み出すかもしれないのです。 

〈了〉

参考文献

天川晃他、『日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2007