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夜スペシャルと協同学習


佐藤清文

Seibun Satow

2008年1月28日


無断転載禁
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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「無知であると、目をむくような事柄さえ目に入らない」。

メナンドロス

 2008年1月26日、東京都杉並区立和田中学校で大手進学塾「SAPIX中高部」による「夜スペシャル」が始まりました。159人の2年生から希望を募り、土曜日の他に平日の夜に週3回予定されています。成績上位の学力をさらに伸ばすのが目的です。無料ではなく、月謝は国数2教科で18,000円、英を加えた3教科24,000円です。正規の授業料の半額程度です。希望した19人のうち、初日は11人が参加しています。

 ボランティアでつくる「学校支援地域本部」が主催することになっていますが、実際には、リクルート出身の藤原和博校長の考案です。

 はっきり言って、これは予備校講師による受験指導です。しかも、教育学の流れをまったく理解していません。「夜スペ」のような試みは1960年代で時間が止まっているだけなのです。恐ろしいことに、今日の教育学の成果を知った上で、子供たちに学習させているとはとても見えないのです。

 生徒の能力や進路に応じて学習コースを多様化することを教育学では「トラッキング(Tracking)」と呼びます。これは、進路別にカリキュラムを多様化するのと習熟度別にカリキュラムを多様化するのと二つに分類できます。今回の「夜スペ」は習熟度別指導に当たり、トラッキングの一種です。

 しかし、1970年代以降、欧米諸国では中等学校においてこの習熟度別指導をやめ、「総合化(Comprehensive)」へ改革が進められています。廃れた理由は明快です。効果が認められず、格差が解消されないからです。

 習熟度別編成は、同一の能力・習熟度の集団における学習が最も効果的であるという仮説に基づいています。しかし、カリフォルニア大学のジェニー・オークスは、調査を重ねた結果、この根拠は希薄であると報告しました。そのあと、他の研究者たちも調べたのですが、トラッキングは学力向上に効果がなく、しかも、下位集団の学力低下を招き、格差はより拡大するという結論に達しています。

 この後、トラッキング克服のため、さまざまな方法が試されました。代表的なアイデアは二つあります。

 一つはベンジャミン・ブルームの「完全習得学習(Mastery Learning)」です。簡単に言ってしまえば、どんな生徒でも時間をかけて丁寧に教えれば完全に習得できるという考えです。教育内容を細分化した目標を示し、それに達成したことを評価していきます。けれども、これは習熟度別編成と同様の帰結に終わりました。

 もう一つはリー・J・クローンバックの「適正処遇交互作用(ATI: Aptitude Treatment Interaction)」です。わかりやすく言えば、個人の適正にあった最適の教育プログラム・方法で臨めば、学力は向上するという考えです。けれども、個人差と言っても、能力や習熟度、性向、関心、家庭環境、文化的背景など多岐に亘ります。この説が想定している個人差への対応は、現実と比べて、単純にすぎるのです。

 いずれも、トラッキングの克服には個別指導が有効だと考えたのです。トラッキングが学習にはできる限り同質の集団で行う方が効果的だという前提に対し、それをより抽出すれば有効だというわけです。トラッキングの局限化と言えます。

 習熟度別編成も個別指導も学力向上にはつながらず、格差を拡大するというのが今日の教育学の常識的な学説です。

 現在、最も学力向上に有効とされているのが「協同学習(Collaborative Learning)」です。これについてはすでに『競争と協同』でも言及しているので、詳細は省きます。

 佐藤学東京大学教授は、『教育の方法』において、協同学習について次のように述べています。

 「協同学習」の方式においては、子どもたちの能力や個性や文化の多様性が相互の学び合いの条件として尊重されます。「習熟度別編成」や「完全習得学習」が学びを個人主義的に理解していたのに対して、「協同学習」においては学びは協同的な活動として再定義され、学習グループ内の能力や個性や文化の多様性が相互の学びを触発し援助し合うものと認識されています。実際、多くの調査研究が「競争」よりも「協力」、「能力別編成」よりも「協同学習」の有効性を実証しており、「協同学習」によって能力差や習熟度の差を縮小する研究と実践の推進が求められています。

 協同学習は、実は、生徒側だけに限ってはいません。この学習方式には、同僚教師やカウンセラーの間での協力関係も不可欠なのです。一斉授業スタイルであれば、教師は教科書や指導要領などに沿って一方的に生徒に教えていればすみます。生徒もそれを黙って聞き、ノートに板書されたものを書き写すだけです。しかし、協同学習には、教師の自律性と創造性が必要とされます。

 一人の教師が自分で授業のことを抱えこんでいては、多様さに対応できません、「どうやったらいいだろう?何かいいアイデアない?あ、それはやった。でも、だめだった。え、そんあのあるの?やってみたけど、結構、よかった?そう。取り入れてみようかな」などとワイワイと教師やカウンセラーがコミュニケーションをとり、相互作用によって授業を向上させていくのです。同僚教師やカウンセラーなどとの協同学習があって、初めて、この方式は機能します。

 世界的には、教師の資格として大学院修了以上とし、定期的に、最新の研究や実践に触れられる研修制度を設ける方向に向かっています。民間の発想ではなく、専門均な研究・実践を教育現場に導入する流れなのです。そのために、学校の内外に教師の研究や実践を支援するネットワークの形成にとり組んでいます。

 今回の夜ペシャルは、このように、あらゆる点で、今の教育学の成果から遠く離れています。それは学問的な根拠と言うよりも、個人的な信念に基づいていると言わざるを得ません。加えて、学校長と現場の教員との関係もいささか不安が残ります。しかし、何と言っても、これによって一番迷惑を被ることになるのは生徒たちなのです。

〈了〉

参考文献

佐藤学、『改訂版教育の方法』、放送大学教育振興会、2004年