エントランスへはここをクリック   

酔いどれ大臣の死

佐藤清文

Seibun Satow

2009年10月5日


無断転載禁
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「ごまかしで成功するよりも堂々と失敗する方がよい」。

ソポクレス『ピロクテーテス』


 一人の人間が亡くなった時に、哀悼の意を表することは、社会人として当然の礼儀である。しかし、中川昭一元衆議院議員の訃報に際し、前途ある政治家の早すぎる死であるかのようにマスメディアが報道しているのは見当違いである。

 彼の政治生命はあの酔いどれ会見で終わっている。

 もしあの会見をティモシー・ガイトナー財務長官が行ったとしたら、その政治生命が断たれていたのはまず間違いない。彼はマスメディアから厳しく糾弾され、『サタデー・ナイト・ライブ』でさんざん笑い物にされ、政界引退に追いこまれるだろう。

 彼がどれだけの能力を持っていようと、それが情状酌量にはならない。公人としての自分を管理できなかった以上、公職から退くのは当然である。

 それだけの失態をした中川元議員に対して、「保守」の旗を掲げた自民党再生を担う政治家の一人であるとのコメントを口にするジャーナリストや政治家が少なくない。このような意見は自民党の人材不足と公党としての自覚のなさを露呈しているだけであり、記者もそれを批判してしかるべきだ。世論は、自民党の「保守」とは自分に甘く、他人に厳しい独善主義のことだと見なすだろう。

 しかも、中川元議員はアルコール依存症が疑われている。それがあの醜態につながったという見方もされている。もしそうであれば、断酒宣言して総選挙に臨むなどしている場合ではない。彼は政界を引退し、医療機関等で依存症の治療を始め、断酒の会に入った上で、それがどれだけの不幸をもたらすかを世間に訴えていくべきであろう。アルコール依存症は深刻な問題であって、断酒宣言すれば回復できるほどなまやさしいものではない。

 日本のメディアは小さな失敗につらく、大きな失敗に甘い。いわゆるトラ箱の件でしかない草g剛氏の方がメディアはきつい反応をしている。しかし、こうした対応は人をダメにする。

 小さな失敗は取り戻せるが、大きな失敗は取り返しがつかない。草g氏の場合が前者であったのに対し、中川元議員は、明らかに、後者をしでかしている。安倍晋三元首相も同様である。小さな失敗から人は多くを学び、大きな失敗をしないように備える。一方、大きな失敗をしたら、責任をとり、自省し、その経験を他の人が生かせるように説く。小さな失敗は自分のためにあり、大きな失敗は他人のためにある。そういった克服されるべき存在として生きることを中川元議員がなしえなかったのは、本当に残念である。安倍元首相も政界を引退して、その失敗者としての生き方を今すぐ始めるべきだ。まだ遅くない。

〈了〉