デジタル技術と パブリック・エンゲージメント 佐藤清文 Seibun Satow 2010年2月5日 無断転載禁 本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。 |
「人はパンのみに生きるにあらず」。 『申命記』8章3節 最近、ツイッターが日本の政界でも流行し始め、マスメディアもこぞってそれを取り上げている。アメリカ政界からおよそ一年遅れの現象である。 ツイッターを始めとして、世界的に広まる新しいデジタル技術・サービスはアメリカで生まれたものが多く、日本発はほとんどお目にかからない。それどころか、アマゾン・キンドルがアメリカで販売されても、日本では出版業界からの協力が十分に得られず、発売の目処さえ立っていない。科学立国と自負し2012年には世界最速のスーパー・コンピュータを実現するという目標を掲げているにしては、寂しい現状である。 デジタル技術・サービスの普及には、性能よりもそれを裏付ける理論にかかっている。キンドルはアラン・ケイの「ダイナブック構想」、SNSはソーシャル・グラフにそれぞれ立脚している。性能はあくまでもこの理論を実現するための手段である。モノではなく、知への執着が世界的に普及するデジタル技術の開発には不可欠である。 もちろん、理論自身が目的なのではない。崇高な理想である「パブリック・エンゲージメント(Public Engagement)」を実現するために、それを必要としている。 従来、知識・表現は既得権益者に独占され、一般市民はそれを受容されるだけである。これを「パブリック・アクセプタンス(Public Acceptance)」と呼ぶ。 しかし、めまぐるしい科学や学問、技術の進展に伴い、市民の間に不安や懸念が増し、その理解・支持なしにはその発展が望めない状況が生まれる。そこで、既得権益集団がその情報を積極的に公開・説明すると共に、リテラシーとコミュニケーションを備え、リスクとベネフィットを知った市民が意思決定に参加することが重要になる。これが「パブリック・エンゲージメント」である。 事業仕分けの真の目標は、このパブリック・エンゲージメントだったが、その不十分さを別にしても、残念ながら、科学界や芸術界がそれを理解していたとは見受けられない。1998年、国連の欧州経済委員会は、「環境に関する情報へのアクセス」・「意思決定における市民参加」・「司法へのアクセス」を三本柱とするオーフス条約を採択している。現代版啓蒙主義とも言えるパブリック・エンゲージメントの重要性は国際的に認知されつつある。なお、日本はこの条約に現段階で批准していない。 GoogleやDigg、Facebook、Wikipedia、YouTubeなどの開発者は、金儲けのためにこれを公開したわけではない。彼らは、青臭いまでに、公共性・公益性への貢献こそ自分の使命だと固く信じている。民主主義とコミュニケーションのより望ましいあり方を問い、知識や表現の独占状態を解体・自由化し、市民のパブリック・エンゲージメントの実現を目指して、デジタル技術を開発・公開する。 サイバー空間では、私的利益の追求が神の見えざる手によって公益性を実現するわけではない。一儲けできないかという私欲で考案されたアイデアは世界化しにくい。今日の公共を台無しにするのは、シニシズム・権威主義・独善主義である。日本発のデジタル技術が世界化しにくい理由は、この観点から日本語のサイバー空間を見ると、明らかになろう。 むしろ、公益性を意識して、新しい公共を共に構築していく意志を持たねばならぬ。それには啓蒙主義・自由主義・民主主義への尊重が不可欠である。もっとも、この三者の間に齟齬があり、その都度、調停しなければならないのも確かである。しかし、それは遣り甲斐がある。 〈了〉 参考文献 佐藤清文、「ヴィジョンで見る電子書籍」、2010年 http://www.geocities.jp/hpcriticism/mm/2mm12.txt 佐藤清文、「リテラシーと周囲知」、2009年 http://hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/unpublished/ak.html 佐藤清文、「パブリック・モノローグ/公的独白─Twitter」、2009年 http://www.geocities.jp/hpcriticism/oc/twitter.html |