戦争と社会階級(2) 第2章 The War Thinker 佐藤清文 Seibun Satow 2010年3月25日 無断転載禁 |
第二章 The War Thinker 国際政治において、国防に翻訳して国家を把握する考え方がかつては優勢である。国家はお互いに潜在的に敵であり、友人などいない。国際協力を表面通り信じているとしたら、実におめでたい。敵の敵が今は味方だけのことであって、食うか食われるかだ。国際関係において諸国の利益はつねに衝突する。 他国を排除しなければ、領土や権益といった国益を確保できない。その問題が世界に存在する以上、国際紛争は恒常的に起こるのであって、国家はそれに常に準備しなければ生き残れない。 軍事力で優位さを維持するために、他国との相対的な関係から認識する必要がある。いくら国防費が前年の倍に増えたとしても、隣国がそれ以上であるなら、不十分である。国家は常に他国との戦争に備え、一旦始まったならば、それを優位に展開するようにしておかなければならない。 このように、戦時から逆算して国家権力の構成要素を捉えるのが伝統的な国際関係論である。 藤原帰一東京大学教授の『国際政治』によると、それは次の六要素である。 1.地理 領土の大きさ・戦略的位置 2.人口 戦力としての人口 3.天然資源 戦争遂行のための自給能力 4.経済力 経済の規模・自給と持久・工業力 5.技術力 技術革新・兵器の性能・生産力 6.軍事力 規模・予算・破壊力・精密度 広大な領土や山岳地帯、密林、海洋などは他国にとって攻めにくく、自国にとって有利である。地理的条件と軍事戦略の関係は地政学としてよく知られている。 人口が多ければ、多くの兵士を戦場に投入でき、それを支える軍需を始めとする関連産業にも必要な人員を確保できる。大規模戦・長期戦になった場合、その差は歴然と現われる。 開戦すると、敵国のみならず、その友好国との貿易も停止される可能性がある。戦争を遂行するためには、国内に十分な天然資源を用意していなければならない。 戦争には莫大な戦費が必要である。豊かな国富があれば、それを賄うことができる。産業革命以来、国富の蓄積には工業力の発達は欠かせない。 兵器の性能やその生産力、技術革新力が戦争の結果を左右することは言うまでもない。 潤沢な国防費による大規模な軍隊はどのような戦争にも対応できる。機械化された兵器が主体の戦闘では、その破壊力と精密度が勝利を決定づける。 この六つの条件を総合的に判断して。その国家に最適な体勢を整えることが為政者の責務である。 しかし、現在、国際政治における国益は領土や権益だけではない。経済や環境も重要なである。前者は一方が得をすれば、他方が損をするというゼロサム状況である、それに対し、後者はみんなが得をすることもあれば、損をすることもあるノンゼロサム状況である。 ゼロサム状況を絶対視して、国際関係を認識することはできない。経済を優先させるために、領土や権益の問題を一時的に凍結する動きさえある。インドと中国は、経済関係を良好にするように、国境線問題を棚上げにしている。両国の経済成長は目覚しく、そんなときに、ヒマラヤの山奥のことで争うなど無益である。 国防に翻訳する発想はゼロサム状況を前提にしている。先に触れた国防予算・編成・装備の考え方も同様である。他国よりも相対的に多く得る利得を「相対利得(Relative Gain)」と呼ぶ。一方、以前よりも増加させることを目的とした利得が「絶対利得(Absolute Gain)」である。 前者は状況をゼロサムから判断し、後者はそれにとらわれない。かりに国防費をGNPの10%内にとどめると政府が決定していても、10%の経済成長があれば、黙っていても前年に比べて増額になる。 経済成長に合わせて国防費が増すようにすれば、国家財政を圧迫することもない。戦後の日本の防衛費はこの絶対利得に立脚して組まれている。 戦時にとって有利な条件は、平時においては逆に負担となる。冷戦時代のソ連を例に解説してみよう。ソ連は多くの条件を満たしながら、解体に陥っている。広大な領土と寒冷な気候は、長い防衛線の維持やインフラ整備に困難が伴う。 2億を超える人口は教育や医療、福祉など社会保障分野の予算を大きくする。戦時は人々に耐久生活を強いる。そうした不満を募らせないために、社会保障制度を手厚くしなければならない。 豊富な天然資源があっても、それを加工できる技術がなければ、宝の持ち腐れである。ソ連の国営企業は資源を民生用にすることが十分にできない。国際的な競争にさらされ、技術革新とコス減に日々努力する西側企業の加工技術に遠く及ばない。軍需関連の重化学工業に傾斜し、民生品の技術革新がなおざりにされ、国際競争力のある製品を生産できず、東側の市場だけで流通するにとどまる。 進んだ技術を持つ外資を呼び込もうにも、資本主義を敵視している体制には企業も及び腰となる。国内総生産はいつまで経っても増えず、外貨準備も不足し、思うように経済成長ができない。巨大な軍隊を維持するための巨額な国防費は、わびしい経済成長では、国家財政を圧迫する。結果、ソ連は崩壊する。 また、戦時であっても、これらが有利な条件として働くとは限らない。特に、個々の戦闘では反対の結果が出ることも少なくなく、あくまでこれは一般論である。第二次世界大戦の消耗戦の反省から、孫子が見直されている。クラウゼヴィッツ流の消耗戦がチェスの発想であるとすれば、孫子は囲碁である。少ない碁石で相手より多くの陣地をとれば勝ちとなる。 ノンゼロサム状況だとしても、そこにゼロサム状況を見出してしまうと、国際協力が瓦解する危険性がある。気候変動問題の改善は各国にとってノンゼロサム状況であるが、温室効果ガスの削減となると、経済への影響を考えて、他国よりも想定的に負担を減らしたいと望み、国際会議は常に紛糾する。 また、経済状況が悪化すると、「奴らが俺たちの仕事を奪っている」と移民排斥が台頭するが、この論理もゼロサム状況に基づいている。 付け加えると、中国が経済発展すると、日本が脅かされるという主張もそうである。国際関係では、ノンゼロサム状況を認識して理論構築をしていくことが世界的な利益につながる。 しかし、こうした知的努力をしゃらくさいとゼロサム状況を扇動する独善主義が絶えず登場する。ゼロサム状況から出発する意見が社会で支配的になるとき、それは戦争の前兆である。 つづく |