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「実は、私はたまたまアメリカで『限りなく透明に近いブルー』を読んで、ひどく嫌悪をおぼえ、何も知らぬ友人に"A basically base novel based upon the base"を読んで気分が悪いといったりしたのをおぼえている。評家がこれをアメリカによくありそうな作品だが独創性があるといっているのを読んで、ますます不快になった。アメリカにこういう作品がないことだけは確実である。もちろん、それはすでにポルノがありふれていて、まともな作家の主題にならないということではない。私の嫌悪をかきたてたのは、この作品の想像力の質にあった。しかし、今度の作品を読んでから、私の嫌悪の"質"を考えなおしてみて、それはアメリカにいたときの私が触れたくなかったものをむき出しにしていたせいではなかったかと思った」。 柄谷行人『同一性と差異性』 ペンタゴンによると、2010年3月末時点で100人以上の米軍部隊が駐留するのは、戦時派遣のイラクとアフガニスタンを除くと、25カ国、総員約12万人に及ぶ。 現在、イタリアでは、2007年1月に決まった北部ヴィチェンツァ(Vicenza)の米軍基地の拡張計画が進められている。陸軍第173空挺旅団が駐留し、米兵約2750人が所属している同基地は、中東戦略の重要拠の一つとして、これまでドイツに駐留してきた部隊約2000人も合流、2012年に欧州最大の米軍基地へと拡大する予定である。 地元市民はこの計画に猛反対だが、イタリア政府は聞く耳を持たない。しかも、この決定をしたのはロマーノ・プローディ中道左派内閣である。2006年の選挙で「ブッシュのプードル」シルヴィオ・ベルルスコーニを政権から引きずりおろし、対米政策の方針転換も起きるのではないかという市民の期待は裏切られる。米軍基地問題の対応で世論を失望させたのは鳩山由紀夫 民国社連立政権だけではない。パレンティとファツィはこの運動を取材する。さらに世界各地でも同様の自体が起きていると知る。彼らは沖縄にも足を運び、撮影している。 通常、軍隊は国防を目的としているが、アメリカだけはそうではない。普遍的な正義のために世界で軍事力を行使している。2000年のデータで、総人員約150万人(国防総省職員も含む)、年間予算5800億ドル以上(対GDP比4%強)の巨大な組織である。ちなみに、自衛隊は、2010年度、総員数は約24万8000人、予算は米軍再編関係費を含めておよそ463億ドル(対GDP比0.9%)である。 アメリカ軍が肥大化し、政治的影響力が強まったのは第二次世界大戦以後のことである。それ以前は戦争が終わる度に、軍縮の潮流が起こり、連邦軍が解散していた時期さえある。行政において外交を担当するのは伝統的に国務省だったが、その地位は低下し、国家安全保障会議が外交の重要政策を決定している。正副大統領の他、国務・国防の両長官で構成され、国家の安全保障に関する外交・軍事政策について大統領の決定を補佐する役割を果たす。事務局長として国家安全保障担当の大統領補佐官、事案に応じて、統合参謀本部議長やCIA長官も列席する。 孤立主義を掲げていたため、外交経験の浅いアメリカだったが、冷戦の進展により、その苦手分野で国際社会における中心的なプレーヤーを担わなければならなくなる。19世紀の欧州は外交の時代であり、力の均衡を保つために、戦争は外交の一戦略として位置づけられている。ヨーロッパ全体を巻きこむような大戦争を防止するには、小さな国家間戦争も必要だと認知されている。他方、アメリカは孤立主義を外交方針としており、軍事が分離され、その行使には何らかの普遍的な正義の裏づけを不可欠とする。アメリカは善であり、敵は悪にほかならない。であるアメリカが行う戦争はつねに「正義の戦争」、すなわちイデオロギー戦争である。 正義のために戦うのだとすれば、それに異を挿むべきではなく、一旦始まったなら、徹底的に勝利に向けて戦争を遂行しなければならない。戦時は平時と極端に区別される。敵が降伏したなら、正義が達成されたのであり、アメリカは速やかに平常へ復帰すべきであり、軍縮風潮が強まる。 ところが、第二次世界大戦が終結した後、冷戦が始まったため、アメリカは正常への復帰に進まない。しかし、完全に戦時でもなく、準戦時といった状態である。それによって、軍事力行使が外交の一戦略として組みこまれ、アメリカは友好国との間の軍事同盟に躊躇しないようになっていく。その反面、連邦政府は市民には正義を訴え続けなければならず、イデオロギー第一主義をかつてないほど強化する。 冷戦が終結しても、アメリカは平常への復帰を選ばない。各地の地域紛争や麻薬戦争、対テロ戦争など依然として脅威にさらされている。アメリカは、何度か軍事行使に踏み切っている。しかし、イデオロギーに染め抜かれた戦争であるため、戦線が膠着しても兵を引けず、泥沼化する傾向がある。しかも、核兵器の廃絶を提唱する大統領でさえ、「正義の戦争」を主張しなければならない。アメリカはまだ変わっていない。 第二次世界大戦以降、平常への復帰に向かわないアメリカは世界各地で基地使用の権利を手に入れている。一度使い始めると、国際情勢が変化しようとも、アメリカ軍はそこからなかなか去ろうとしない。 これを国際政治から説明するよりも、むしろ、基地をアメリカ軍にとっての既得権と見なし、中でも士官学校出身のエリート軍人の行動様式を考えに入れる必要がある、軍隊は非常に厳格なヒエラルキーに基づく組織である。エリート軍人は、こうした厳しい序列のため、昇進への願望が強い。もちろん、動機には愛国心もあるだろうが、軍と一体化してその威信を国内外に示したい、あるいは軍内部で尊敬されて発言力を高めたいといったものもあるであろう。いずれにせよそれを表わすのが位である。 異動・昇進は制度化されているので、軍はポストを確保するために、予算規模を拡大させる要求を政府にする。予算が増えれば、組織規模も大きくなり、ポストの数も増す可能性がある。在外基地の閉鎖は、エリートたちにとって個人的にも重要な問題である。基地を一つ閉鎖することは、ポストが減り、昇進のチャンスが少なくなることを意味する。在外米軍基地は増加させることはあっても、返還させるべきではない。彼らは、基地返還の動きが出ると、当然、アメリカの安全を保障し、世界の安定に寄与するなどと在外基地の必要性を政府や議会に訴え、抵抗する。 ペンタゴンの背広組は予算の極大化や在外基地の維持に必ずしも固執しない。国防長官が予算を圧縮し、兵器のハイテク化・部隊の再編成を通じて軍の効率性を向上させる意向の場合、それに従った方が省内での自分の立場がよくなると判断したなら、積極的に組織形成に臨む。 実際、エリート軍人であっても、政治家へと転身すると、軍の要求に対して抑制的な姿勢をとる人物も少なくない。「軍産複合体」を批判したドワイと・アイゼンハワーがその典型である。日本でも、軍人時代は軍拡論者だった加藤友三郎が首相に就任すると、積極的な軍縮論者になっている。「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」(カール・マルクス『経済学批判』)。 このようにエリート軍人を高級官僚の一種として捉えるならば、アンソニー・ダウンズ以来の官僚の行動様式論を援用してみると、納得がいく点が少なからずある。エリート軍人たちも、第二次世界大戦後に国際情勢の変化の中で獲得した既得権を手放すつもりはない。 在外米軍基地問題は外交や安全保障の観点からのみ捉えられがちである。しかし、それを「基地に基づく基本的にさもしい問題」としてアメリカの行革と考えてみることも必要である。 〈了〉 参考文献 阿部齊他、『現代アメリカの政治』、放送大学教育振興会、1997年 柄谷行人、『反文学論』、講談社学術文庫、1991年 真渕勝、『改訂版現代行政分析』、放送大学教育振興会、2008年 |