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「なぜ世界は(二番目の文字)ベートの文字で造られたか。ベートは三方がふさがり正面が開いている。これは上と下と後ろを調べてはいけないということである」。 『ミドラッシュ・ラバー』1章10節 説明がまったくないが、これはおそらく『創世記』1章2節の「テホム(tehom)」─より正確にはエの半母音なので、「ティエホム」───のことだろう。慣例的に、秩序の生まれる前の混沌という意味合いで「深淵」と訳され、現代ヘブライ語でもそう用いられている。 もっとも、この単語は語根の意味がはっきりしていないため、正確にはわかっていない。ヘブライ語やアラビア語のセム語では、3個の子音から構成される語根に母音や接頭辞・接尾辞を加え、さまざまな語彙や動詞の活用形などがつくり出される。「テホム」は語源が不明確な単語である。ヘブライ語にも影響を及ぼしているアッカド語やウガリト語を比較分析すると、「海」に関係しているのではないかと推測されている。 この「テホム」を含む『創世記』1章1-3節は、実は、研究者の間では翻訳が難しい箇所として知られている。現在、複数の日本語訳が刊行されているが、翻訳者の認識がよく示されている。 始めに神が天地を創造された。地は混沌としていた。暗黒が原始の海の表面にあり、神の霊風が大水の表面に吹きまくっていたが、神が、「光あれよ」と言われると、光が出来た。どの訳が正しいか間違っているかが問題なのではない。いずれもあり得るだけでなく、他の訳文も十分に考えられる。実際、「混沌」と訳出されている単語も語根が不明なため、「何もない」など他の可能性もある。余談ながら、「水」はヘブライ語で「マイム(mayim)」という。日本でもよく知られたフォークダンス『マイム・マイム』の「マイム」である。 関根訳と新共同訳は、伝統的な解釈に則っている。日本語版に限らず、ヨーロッパ諸語の翻訳でも、1節を表題としての機能を持つと捉え、完結した一文と訳出されている。『ヨハネによる福音書』1章1節の「初めに言葉あり」と類似した構文である。この独立説は二節から神の仕事が始まったとし、混沌とした大水をその素材にしたと説明する。この世はまったくの無であったわけではない。神の創造が無と有ではなく、混沌と秩序の対比によって把握されている。 一方、中澤は1節を従属節と考え、2節を状況説明、3節を主節と認識している。これはヘブライ語原文に文法的に忠実な訳である。1節は定冠詞のついていない「ベレーシート」から始まり未結で終わり、2節の最後の単語が句読点の役割を果たす休止形、3節の文頭がヴァヴ・ヒプーフとなっている。水を創ったのも神である。1章を天地創造を主題とする物語として捉えられている。 聖書ヘブライ語において、最も独特な文法規則の一つがヴァヴ・ヒプーフである。動詞の前に接続詞の「ヴァヴ(vav)」──英語で言うと、and──がつくと、時制が逆転する。未来形で過去、過去形で未来を表わす。この理由について合理的な説明がなされているが、どれも必ずしも決定的ではない。なお、聖書ヘブライ語では、動詞+主語+目的語という語順が支配的である。こうした動詞文はアラビア語の物語でもしばしば見られる。 この3節はヴァヴ・ヒプーフの中のサブルールが巧みに使われ、他の単語とうまくかみ合い、非常にリズミカルな文章である。中澤訳はそれを意識している。 『創世記』1章1-3節は、ヘブライ語版を見ると、同2章4-6節とほぼ同じ構文をしている。ところが、伝統的な訳は前者を独立文、後者を従属節としている。この構文は、『ギルガメシュ叙事詩』と並ぶバビロニアの天地創造物語『エヌマ・エリシュ』の冒頭句にも見られる。神々の争いというバビロニアの多神教的要素は一掃されているが、中澤訳はキリスト教への連続性と言うよりも、そうした古代オリエント世界との関連から『創世記』を捉えている。 『創世記』の天地創造物語は1〜2章に記され、1章1節-2章3節と2章4-25節の二つの部分に分かれている。両者の間には、文体や語彙、思想などで違いが見られる。例えば、創造の順番が前半では光→天→地→植物→光る物→動物→人、後者においては男→植物→動物→女である。今日では、両者がそれぞれ別の時期に成立したと考えられている。 『創世記』を始めとする『出エジプト記』・『レビ記』・『民数記』・『申命記』のモーゼ五書は、ユダヤ教では、律法、すなわちトーラーと呼ばれる。紀元前400年頃までに経典として確立し、ユダヤ人のコミュニティにおける生活の根本規範が記されている。ただし、律法が預言書・諸文書と共にユダヤ教の三分冊の経典と最終的に認められたのは、紀元132年から135年に亘って続けられたローマに対する第二ユダヤ叛乱の後のことである。地下に潜っていたり、国外に逃げていたりしていたラビが下ガラリアのウシャに集結し、その会議の場で決定されている。ローマによる迫害がユダヤ教徒にそのアイデンティティの確認・強化をもたらし、加えて、イエスによるユダヤ教改革運動として興ったキリスト教との論争にも臨む必要があったからである。 1753年、フランスの医者ジャン・アストリュックはバチカンの図書館で、ヘブライ語の旧約聖書を読んでいるとき、『創世記』で神の呼称が「ヤハウェ」と「エロヒム」の二種類あることに気づく。さらに読み進み調べていくと、五書の中に違った神の呼称を使用する二種類の資料の存在を発見する。「ヤハウェ」は神の名前であり、「エロヒム」は神を意味する普通名詞の複数形であるが、動詞の活用が三人称単数で、は固有名詞的に用いられている。また、二章と三章において「ヤハウェ神」という用語が用いられている。微妙に統一性が損なわれている。なお、日本語訳では、「ヤハウェ」は「主」、「エロヒム」は「神」、「ヤハウェ神」には「主なる神」と当てられる慣例がある。 アストリュックを含む聖書に対する批判的研究者たちは、成立年代の違ういくつかの資料が編集されて現行になったのではないかと考え、ユリウス・ヴェルハウゼンが文書仮説として大成する。紀元前10〜前9世紀に成立したとされるヤハウェ資料層(J資料)、紀元前9〜前8世紀にまとめられたと見られるエロヒム資料層(E資料)、紀元前8〜前5世紀に編纂された申命記的資料層(D資料)、紀元前6〜前5世紀に書かれた祭司資料層(P資料)とに大きくわかれ、そのうち、紀元前722年の北王国滅亡後にJとEを編集・結合したのをJE資料と呼ぶ。これらの四大資料の分類・分析に批判もあるけれども、律法研究における重要な共通理解である。なお、申命法資料は、『創世記』に関するかぎり、さほど立ち入る必要はない。 『創世記』の天地創造物語は、前半がP資料、後半がJ資料ないしJE資料に属するという説が主流である。とは言うものの、これは二つの資料に還元できるが、なぜこの部分に限ってそう編集されているのかそれだけでは理解できない。アトラハシース物語など古代オリエントの創造神話では、最初に大まかな記述をした後に、再度その詳細に言及していく特徴がある。『創世記』もこうした慣習に則ったと推測できる。 日本はキリスト教を通じてモーゼ五書に接触したのみならず、オリエントではなく、ヨーロッパから伝わっている。旧約聖書の一部であって、律法ではない。けれども、ユダヤ教にしろ、キリスト教にしろ、オリエントで生まれ、それが持つ多種多様な文化的背景に基づいている。中澤訳はそれを再考する意欲的な試みであると言わねばなるまい。 加えて、母音記号のついたヘブライ文字による編集、いわゆるマソラ本文は6〜8世紀に完成したものである。すでに前3〜前1世紀にはギリシア語への全訳、いわゆる『七十人訳陣役』も行われ、さらに他の言語への翻訳も手がけられている。その成果も、後のモーゼ五書の編纂にも影響を与える。現在の聖書研究は。それをめぐる小説よりも、門外漢にとっても、はるかに魅力的である。 『創世記』1章2節の「テホム」は、こうした多元的・重層的な歴史のダイナミズムの中で意味が探求され、「深淵」と定着している。人は歴史の相互性をあまりに頻繁に忘れて、惨劇を招き、改めて「テホム」を知る。イラクはその一例である。 〈了〉 参照文献 『旧約聖書 創世記』、関根正雄訳、岩波文庫、1967年 『世界の名著13 聖書』、中澤治樹他訳、中公バックス、1978年 『古代オリエント集 筑摩世界文学大系 (1)、』、杉勇訳、筑摩書房、1980年 共同訳聖書実行委員会、『聖書 新共同訳』、日本聖書協会、1987年 『世界の文学17』、朝日新聞社、2001弁 池田潤、『ヘブライ語のすすめ』、ミルトス、1999年 佐藤淳一、『はじめてのヘブライ語』、ミルトス、1993年 リブカ・エリツール、『聖書の伝説(1) 創世記編』、別府信男訳、ミルトス、1988年 チャ―レス・スズラックマン、『ユダヤ教』、中道久純訳、現代書館、2006年 |