|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
「そして八月十五日、こんなときにはどんな顔をしたらよいのやら、と考えながら放送を聞いた」。 森毅『戦争の終わるまで』 大本営は自分たちの責任を不問にしたまま、しかも山崎大佐は何も求めなかったと事実を歪曲し、この惨劇を美談に仕立て上げ、「玉砕」という戦意高揚のプロパガンダに利用する。以後、太平洋の各地で玉砕が頻発していく。 丸山眞男が『軍国指導者の精神形態』の中で戦争指導者を「権限への逃避」と「既成事実への屈服」と批判したことはよく知られている。日本軍の責任を考える際、丸山以上に非常に示唆に富む指摘をしているのが大西巨人である。彼は、自らの軍隊体験をモデルにした小説『神聖喜劇』において、日本軍では責任が上に及ばないようにしていると明らかにしている。 主人公東堂を含む新兵が朝の呼集に遅刻する。上官は彼らを叱責したが、東堂は呼集の時間を知らなかったと弁明する。上官は、それに対して、「わが国の軍隊に『知りません』があらせられるか。『忘れました』だよ」と言い返す。けれども、東堂は実際に聞いていなかったので、「忘れました」と口にすれば、この場は収まると感じながらも、そうしたら自分を許すことができないとして、「知りません」と続ける。 東堂は、軍隊内で「知りません」が許されず、「忘れました」が強要される理由について次のように考える。部下が「知りません」と言うことが許されるとする。その場合、上官にはそれを教えなかったという責任が生じる。一方、「忘れました」であれば、問われるのは部下の方であって、上官に責任はない。下の者だけが責任を負い、上の者が逃れる。この図式を転倒してその先を突き詰めていくと、「唯一者天皇」に辿り着く。 「この最上級者天皇には下級者だけが存在して、上級者は全然存在しないから、その責任は、必ず常に完全無制限に阻却されている。この頭首天皇は絶対無責任である」。「それならば『世世天皇の統率し給ふ所にぞある』『わが国の軍隊』とは、累々たる無責任の体系、厖大な責任不存在の機構ということになろう」。 天皇に責任が及ばないようにする。そのため、上級者が責任を免れ、下級者がそれを被る。大西巨人によれば、これが日本軍の体質の原因であり、責任の下方化の体系である。 しかし、このような組織体では、下克上がまかり通る。下からは上が保身しか考えていないように見える。天皇への忠誠心が叩きこまれている彼らは自分たちこそ真の赤子であり、お国のために、立ち上がらねばならないと思いこむ。忠誠心の競い合いは行動のエスカレーションを誘発する。過激であればあるほどよい。 もっとも、軍の上層部にしても、下からの突き上げを利用して、他の政治アクターに圧力をかけ、自分たちに有利に交渉を進めている。下克上状況は、戦況が切迫していなければ、上にとって必ずしも悪くない。 そうは言っても、玉砕によって、大本営が責任を放棄すれば、彼らの死を無駄にすまいという強硬論が愛国的であるとして組織内で優勢になる。強気であればあるほど、下級者はとしては上級者に意見を通しやすい。強硬論をとる限りにおいて、下は弱腰や腰抜けと非難でき、上に優位に立てる。無条件降伏などもってのほかである。 実際、上層部の方針を無視して現場が未遂を含めて暴走した事件が非常に多い。
これは主だったものだけで、他にも「越境将軍事件」など命令違反の軍事行動も少なくない。第二次世界大戦の参戦国で、これだけ現場が暴走した軍隊も珍しい。 佐官クラスが起こしているのが目につく。彼らは軍の学校を卒業した幹部候補生である。すでに軍でも異動・昇進が制度化されている。彼らの中から将来の将軍が誕生する。しかし、彼らは待っていられない。自分たちの能力に自信があるから、独善的で、一気に変革したいと願う。しかも、思春期から軍ですごしているため、同じイデオロギーに染まり、違う考えに触れる機会も少ない。彼らの事件はいずれも短絡的で、展望も何とかなる程度で無責任でしかない。 ところが、その佐官クラスの軍人がいざ上層部に回ると、利用した下克上により身動きが取れなくなる。1937年7月に偶発的に始まった盧溝橋事件に対して、石原莞爾ら陸軍参謀本部は戦線の不拡大方針をとっている。当時の陸軍にとって仮想敵はソ連であり、広大な大陸で中国と戦争していてはそれに備えられないし、そもそも手にあまる。けれども、強硬派は彼らを突き上げる。上層部が軍をコントロールすることは難しい。案の定、日中戦争は泥沼化する。 日米開戦に足る過程でも、強硬派に押され、軍上層部がコントロールを失っていることが見える。1941年、アメリカは日本に中国や仏領インドシナからの全面撤兵を要求する。それに対し、日本の指導部は対米交渉を打ち切り、戦争によって事態打開を図ろうとする傾向が顕著になっている。もっとも、彼らに勝算があったわけではない。アメリカは世界最大の工業力・経済力を持ち、資源も豊富、人口も日本の倍以上もある。しかも、日本の経済・軍事はアメリカの貿易に依存していたと言って過言ではない。石油や鉄の禁輸で表等攻めの挙げ句に白旗を揚げるよりも、開戦によって死中に活を求める方がましだという程度である。 軍の上層部が開戦に傾いた理由の一つとして現場へのコントロールの喪失が挙げられる。 陸軍は、上層部の方針に反して戦線が拡大した結果、中国大陸で先の見えない状態に陥っている。すでに多くの戦死者も出ている。とは言うものの、どうやって終結させられるか見通しもなく、ただダラダラ続けている。もしアメリカの要求通り、撤兵を決断したとしても、軍内部に不満が鬱積し、どういう具合で暴発するか想像もつかない。誰も現場を抑えこむ自信がない。客観的に考えた情勢がどうであれ、上層部としてはアメリカの要求は飲めない。 海軍は、陸軍と違い、戦闘をしていたわけではない。しかも、日本海軍にとって、アメリカ海軍はモデルであると同時に仮想敵であり、その力がどれだけのものであるかよく承知している。戦前の国際的な軍縮が軍艦中心だったのは建造に時間がかかるからである。日米の工業力は、その時間に大きな差がある。しかし、石油の禁輸が続けば、燃料がなくなり、軍艦はたんなる飾り物になる。だとすれば、今のうちに開戦すべきであるという主戦派が声高になるが、先に述べた責任の下方化により、上層部もそれを抑えられない。 以上のように、合理的に考えれば、日米戦争が歴史的大敗に終わることが薄々わかりながらも、軍上層部は突入していく。 このシステムは非常に楽観的である。最悪に備えて最善を尽くす体勢になっていない。責任が問われない場合、すなわちうまくいっているときはいいが、旗色が悪くなると、後退する選択肢がないので、泥沼化する危険性が高い。事態の泥沼化は上の責任が曖昧になると生じる。 戦争には戦闘もあれば、敗走もある。指導者は前者の際の手柄を誇るためでなく、後者のときに責任をとるために置かれる。 戦後は、旧帝国陸軍の精神的な残党が、そのメンタリティで経済戦争に突入したのだと言われている。敵から見ると、旧日本軍は進む道を決めたら、他の道の可能性を考えようとしなかったので、非常に扱いやすかったらしい。一筋にやっていくことが最高の価値である、と考えたのが帝国陸軍だった。みんながこうと決めたときに他のことを考える奴は放り出される。〈男味〉の立場からすると足並みを乱すことはゆゆしきことなのだ。 (森毅『男味と女味─集中と分散について』) 〈了〉参照文献 浅野裕一、『「孫子」を読む』、講談社現代新書、1993年 天川晃他、『日本政治史─20世紀の日本政治』、放送大学教育振興会、2003年 大西巨人、『神聖喜劇1』、光文社文庫、2002年 丸山眞男、『丸山眞男集4』、岩波書店、2003年 森毅、『エエカゲンが面白い』、ちくま文庫、1991年 森毅、『ええかげん社交術』、角川oneテ−マ21、2000年 |