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吉本隆明試論 第二章


佐藤清文

Seibun Satow

2010年9月13日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


第2章 吉本隆明の現在

 1945年8月15日、「敗戦」を20歳で迎えた吉本隆明は、詩人として出発、哲学・文学・宗教を通じて内省を始め、マルクス=レーニン主義を代表とする既存マルクス主義の克服を試みる。60年安保闘争の「敗北」の後、今日の思想の課題は「大衆の原像」を組みこむことであり、置かれた「情況」を認識し、既成の政治的・理論的権威に依存しない「自立」の確立にあると提唱する。知識人が大衆を啓蒙したり、指導したりする前衛の組織論も、ここから否定される。知識人がすべきなのは、最先端の研究を追いかけることではなく、自分の体験や情況に向き合い深く考えることである。1968年頃から、人間の幻想表出の構造を内省的に考察し、それを世界全体の認識へと拡大することを推し進める。吉本は、その60年代、若者に最も影響を与えた文芸批評家である。

 森毅は、『ゆきあたりばったり文学談義』において、吉本隆明について次のように述べている。
 六十年代、吉本人気というのはまたすごかったんです。ぼくは吉本のことを「ええ齢して、あんなにがんばらんでもええのに」と思ったこともありますが、吉本はけっこう幅が広い。むしろ吉本フリークの連中のほうがずっと幅が狭い。しかし、吉本があれだけ人気を持ったために、全共闘世代というのは、「自立」とか、「情況」よか、「共同幻想」とか、"吉本語"をしゃべり過ぎる。これはちょっと問題です。吉本語というものがあって、あれだけものすごい影響を及ぼしたんですが。けっこう吉本はいろんなことをやるんです。それなりに幅が広いですし、また、吉本についてはなるほどと感心することがけっこうあります。
 ぼくは吉本にいつも関心を持っているし、おもしろいと思いますが、六〇年安保で突っ張って出たという出自みたいなのがときどき出て来る。カリスマになったときのスタイル、あれはちょっとかなわんなという気がしています。またそれが吉本人気の一つの面なんでしょうけれども、「そないに突っ張らんでもええやないの」という感じです。またあの人は突っ張らないときのほうが楽しいことを言うんです。その点ではある意味で、大江健三郎に近いわけです。吉本は生真面目で、だから人気があるんですけれども。
 60年代のカリスマだった吉本だが、今、新しい読者が読もうとしても、たちまち音を上げてしまう。彼の作品は、定義が曖昧な我流の用語や無理がある論証、恣意的な理解に覆われている。また、吉本のかかわった論争にしても、実証ぬきの断定や罵詈雑言も少なくなく、建設的ではない。理論には知識や思考の共有という役割も果たすが、当時熱狂した読者以外がそれを持つことは非常に難しい。

 吉本の理論的著作三部作の中でも最も有名な『共同幻想論』を例にとってみよう。国家や法、宗教などが人間の共同の「幻想」として形成されてきたと吉本は訴える。彼は、それを下部構造から相対的に独立した三つの領域によって構成されているとして、その構造を明らかにする。全幻想領域は三種類に分割できる。第一が文学表現など個体としての人間に関わる「個人幻想」である。第二が夫婦や家族など性としての人間に関わる「対幻想」である。第三が国家や宗教、法など共同性としての人間に関わる「共同幻想」である。吉本は『遠野物語』をテキストに共同体の心性構造を分析し、村落共同性が国家へと拡大していく過程を『古事記』を用いて解明する。

 非常に話題になった著作であるが、今日これを改めて読む意義は非常に限られている。「精神」や「観念」、「イデオロギー」、「意識」ではなく、「返送」を使う理由とその定義が曖昧である。また、『遠野物語』や『古事記』を主な分析対象として普遍的な国家論を展開するのはあまりにも乱暴である。しかも、前近代と近代をごちゃ混ぜにしていると批判した山口昌男を「チンピラ人類学者」と罵倒しているが、感情的なしこりが生まれるだけで、そこから次につながるものが生まれない。

 内容は恣意的で理解し難いが、吉本の執筆動機は明快である。戦後日本は目覚しい経済成長を遂げながらも、天皇制が依然として残っている。彼は、それを「ルジメント」、すなわち痕跡器官とは見ない。下部構造が上部構造を決定するマルクス主義の従来の理論ではこれを説明できない。そこで、両者を相互に独立したものとして捉える。『共同幻想論』はこの現状を説明するため、社会構成主義の認識に則り、書かれている。

 「国家は共同幻想である」。しかし、この命題自体に矛盾が潜んでいる。国家が共同幻想だということは、それが人間の意識の外に実在しているのではない。意識内で形成されていることになる。これは「実在論(リアリズム)」ではなく、「唯名論(ノミナリズム)」である。吉本の主眼は環境や経済などによる決定論を斥けることにあるので、主意主義の立場をとらざるを得ない。膨大な各種の資史料を使わず、『古事記』と『遠野物語』にほぼ絞ってそれに寄り添って議論を展開する。しかし、これは解釈主義に基づく定性分析であり、実証主義的な定量分析ではない。客観性に乏しく、この分析結果を一般化することはできない。個別的・主観的な解釈主義をとりながら、結論を一般化することは矛盾している。また、この議論を展開するために、その前提として当該対象の国家とはそもそも何かと定義しようとすると、意識の外にあるものにそれを求めることになり、意図と矛盾してしまう。けれども、国家は無定義で用いられるほど自明の概念ではない。国家が共同幻想であるという命題は、共同幻想であるものが国家であるという論理循環に陥る。かりにこれを天皇制に限定しても、同じである。

 吉本の方法論は扱える範囲が限定している。吉本は特定のテキストに寄り添い、既存のイデオロギーから「自立」し、内省を通じて、その「情況」を解釈する。主観性に依存する定義の対象に範囲が限られ、その意味で、吉本はミクロ哲学である。情況の認識に立脚した判断と責任の倫理学が彼の思想であり、マクロ・レベルの問題に向かった考察には無理がある。彼の主観主義は1950年代に倫理的問題を取り扱っているときには独創的であったが、60年代に入り、世界認識の方向へ向かってから無理が目立ち始める。対象と方法論が合っていない。このように、吉本隆明の現在は限定されていると言わざるを得ない。
 個々人の生涯は、偶然の出来事と必然の出来事と、意志して選択した出来事にぶつかりながら決定されてゆく。しかし、偶然の出来事と、意志によって選択できた出来事とは、いずれも大したものではない。なぜならば、偶発した出来事とは客観的なものから押しつけられた恣意の別名にすぎないし、意志して選択した出来事は、主観的なものによって押しつけた恣意の別名にすぎないからだ。真に弁証法的な〈契機〉は、このいずれからもやってくるはずはなく、ただそうするよりほかがなかったという〈不可避〉的なものからしかやってこない。一見するとこの考え方は、受け身にしかすぎないとみえるかもしれない。しかし、人が勝手に選択できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ〈不可避〉の一本道しか、わたしたちにあかしはしない。そして、その道を辛うじてたどるのである。
(吉本『最後の親鸞』)

つづく