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第二章 イサク献供をめぐる哲学的解釈 関根教授は、歴史的アプローチの成果を生かしつつ、哲学的アプローチの可能性を具現化している一例として次の『創世記』22章のイサクの献供物語を挙げている。 日本のモーセ五書研究は、概して、それを「律法」と言うよりも、「旧約聖書」として扱っている。日本はキリスト教を通じてモーセ五書に接触したのみならず、オリエントではなく、ヨーロッパから伝わっている。そのせいもあってか、モーセ五書の翻訳も、古代オリエントとの関連性よりもキリスト教への連続性に傾斜している。日本の研究者はキリスト教徒や欧米留学者は多いが、ユダヤ教徒は少数である。そうした訳文の典型が次の新共同訳である。 22:1 これらのことの後で、神はアブラハムを試された。 この22章は、長らく、E資料に属するとされてきたが、近年の研究でそれが揺らいでいる。ただ、読んでわかるように、1節から14節及び19節と15節から18節までの文体が異なっている。研究者の間では、15節から18節は後から付け加えられただろうという学説が主流である。 数ある聖書の日本語訳の中でも最も個性的なことで知られる次の中澤治樹訳では、15節から18節が省かれている。 22:1それからしばらくののち、神はアブラハムを試みて言った。 中沢訳は意欲的で、従来訳と違い、原典のヘブライ語の構文を生かしつつ、読者の立場を配慮し、こなれた日本語の文章になっている。また、なぜこう訳したのかという理由が註で比較的丁寧に説明されている。 この物語は宗教改革の頃にすでに理不尽だと思われていたようで、聖書のドイツ語に翻訳したマルティン・ルターも、信者に意味を問われた際の回答として複数の解釈を用意している。アブラハムの行為としてではなく、信仰の点を評価すべきだとか、取り消したように、神の気の迷いだったとか苦心している。その後も多くの哲学者たちがとり上げ、独自の解釈を展開している。 歴史的アプローチの成果によって、哲学者たちの解釈が部分的に斥けられている。イマヌエル・カントは、『諸学部の争い(Der Streit der Fakultaten)』(1798)の中で、父が息子を殺して神に捧げるのはおかしいと糾弾しているが、JE資料に属するとされる『出エジプト記』22章28節に初子犠牲の記述が見られる。モロク祭儀の影響から初子犠牲の習慣が古代イスラエルにも紀元前8世紀前半まであったとされている。歴史的に、民法と刑法では整備されたのは前者の方が早い。家族関係を明確に規定しておかないと、相続の問題が浮上する。重要なのはその子よりも跡取りである。こうした点は時代的限界として考慮し、いたずらに非難すべきではない。その部分を取り除いたとしても、過去の偉大な哲学者たちの知見は考察するに十分に値する。 カントは、『諸学部の争い』において、アブラハムに聞こえた声の主が神であるかどうか判断しえないと批判している。「私にいま現象しているあなたが神であることについては、私は確かではなく、またこれからも確かになることはあり得ません」。神が発した声であるか確かなことがわからないまま、それに従うことはできない。この読み方はもしも自分がアブラハムの立場だったらどう振る舞うかという問いに対する回答であり、今日のモラル・ジレンマに通じる。 この物語の哲学的解釈として最も知られているのがゼーレン・キルケゴールの『おそれとおののき(Frygt og Baven)』(1843)であろう。歴史的アプローチからの不備は指摘されているものの、それを乗り越えてその解釈は今日まで共通基盤となっている、このレギーネ・オルセンの元フィアンセはアブラハムを「信仰の騎士」と賞賛する。宗教的目的のために、倫理的思考を一時的に停止し、無限なるもののために有限なるものを諦める。子を殺す行為は倫理的には許されない。けれども、それを神に捧げるという宗教的目的のためには是認され得る。しかし、彼は神がその子を再び自分の元へと返してくれるはずだと信じ続ける。「自分の願いを捨ててから後も、その願いを硬く握って放さず」、「可能なことを期待」し、「神を信じた人」である。 マルティン・ブーバーは、ナショナリズムと全体主義の禍を経た1950年代に公表された『倫理的なものの停止について(Von einer Suspension des Ethischen)』の中で、キルケゴールを批判する。信仰の決断の前に、その声が誰のものであるかを確認しなければならない。アブラハムは神の声をよもや聞き間違えることはないであろう。しかし、旧約聖書全読むならば、犠牲を要求するのが神そのものであるとは自明視できない。アブラハムの如く特別の選ばれし人を別にすれば、真の神の声とそれを真似るものの声を混同してしまうことはあり得る。子殺しのような倫理的な犠牲を求められる場合には、すなわち倫理的なものの停止が問題となっている場合には、何よりも先行する問いがある。呼びかけているのは本当に神なのか、実は神の猿真似をする輩の一人がそうしているのではないかと自問しなければならない。偽の絶対者たちがそうやって倫理的なものを突き破った歴史的経験を踏まえたウィーン生まれのユダヤ系哲学者の解釈は、ケニヒスベルクの賢人の指摘を現代的にブラッシュアップしたものと言える。 エマニュエル・レヴィナスも、1960年代に、『「生きられたキルケゴール」について(A propos de "Kierkegaard vivant")』を始めとするキルケゴール論を発表し、彼のイサク献供物語の解釈を批判する。他者に対する責任の意識としての倫理はその人を個別な個人として規定するのに、キルケゴールは主体性が倫理的なものの上位にある宗教的なものに超越し得ると主張している。しかし、この物語で重要なのは、アブラハムが犠牲を要求する第一の声に従いつつも、それを禁じる第二の声があることを距離を持って用意している態度である。行為を決断したことが大切なのであって、行為自体を重視すべきではない。このリトアニア出身のユダヤ系哲学者は、倫理的なものと宗教的なものを分離し、前者に対して後者を上位に置くことを批判しながらも、アブラハムが第二の声を信じていたという点でキルケゴールと同じである。彼の解釈はデンマークの哲学者のそれの変奏曲である。 ジャック・デリダは、『死を与える(Donner la mort)』(1992)において、イサクの献供物語を周到に読解している。このアルジェリアで生を受けたユダヤ系哲学者は、レヴィナスのキルケゴール批判を不当だと指摘する。その責任と応答の議論を踏襲しつつ、この物語の解釈から宗教性を取り払う。アブラハムには、唯一絶対の「全き他者(tout autre)、」である神に応える責任がる。と同時に、他の他者にも応える責任がある。絶対的責任と一般的な倫理的責任との間でジレンマが生じる。イサクもサラも他者である。と言うよりも、すべての他者は「全き他者」である。人はある他者に応えようとすると、他の他者を犠牲にせざるを得ない。「全き他者」の中からどれかを選ばなければならない場面に直面してアブラハムは、一切の打算もなく、神を選択する。その取引のなさによって、神はイサクを返している。デリダは、キルケゴールやレヴィナスと違い、アブラハムが第二の声を待っていたとは考えない。むしろ、そうでないからこそ、第二の声が発せられたと主張する。デリダの解釈の独自性はこの点に認められる。けれども、神とイサクを同列に置く一般化は、このテキストの固有性を見失わせてしまう。 いずれも個性的で、興味深いが、テキストを自分に引き寄せて解釈し、その個別性が希薄になっているという哲学的アプローチの問題点が見られる。最も顕著なのは最後のデリダであろう。この主張をするのに、わざわざ『創世記』22章を持ち出す必然性はない。デリダは不当な批判からある思想を擁護する際に、その独創性を発揮する。他方、自分の意見を口にすると、ポイントがずれていたり、言葉遊びがすぎたりして建設的とは言い難い議論を招く場合が少なくない。 このような変更が許されるとすれば、はるかに通俗的な物語に読み替えることもできてしまう。神は、マフィアやギャング、テロ集団、反体制派、軍隊、警察など閉鎖的な組織体の最高権力者であり、その構成員であるアブラハムに組織にとって都合が悪い理由からイサクの抹殺を要求する。近頃、アブラハムも増長しており、それは組織に対する忠誠心を試す意味もある。イサクを幼い頃から父親代わりに育てた弟としてもよいだろう。 手塚治虫は、『ブラック・ジャック』の「道すがら」という作品で、イサク献供の非常にユニークな拡張を描いている。主人公ブラック・ジャックはある患者の治療の岐路、ピレネー山中で強盗に襲われ、金を奪われる。通りかかった農夫に助けられ、傷の癒えるまでの間、そこですごしていると、破傷風に感染したその村の顔役の息子の治療を依頼される。わきがの臭いからその息子が強盗犯だと気づき、治療費として自分から奪った全額の返却を父親に要求する。しかし、父はそれを信じない。1年後、日本に帰国したブラック・ジャックの元に、縛った息子を連れた彼が訪れる。息子がすべて白状したと全額返し、それに加えて、拳銃を手渡す。その罪は自分が被るので、息子を撃ち、それで許してくれと告げる。人殺しを含めあらゆる悪事に手を染めてきたが、恩知らずではない。ブラック・ジャックは遠慮せず、銃口を息子に向ける。引き金をまさに引くかに思えた瞬間、怪我人を見ると、治したくなるから息子をつれて帰れと父に命じる。 宗教的葛藤を抜けば、こうしていくらでもこの物語を変形・拡張することが可能である。けれども、そのとき、イサク献供のテキストの固有性が失われてしまう。 つづく |